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玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

『朝、目覚めると、戦争が始まっていました』㈤

2024-06-21 09:54:31 | 

方丈社編のこの本は、全体的な印象としては、或る朝起きて、戦争が始まったことを知って、まず驚き、感動し、なぜだか万歳という感想が多いような気がしている。

この本の引用文献を見ると「日記」と「印刷物」の半々である。開戦直後に出版された印刷物に戦争への危惧や反戦の事を書く勇気のある知識人は殆どいない。斯く言う、この本の方向性の一抹の危うさを感じる、…。

四十歳の召集枠の外にある年代はどうかというと、次の二人が印象深い。

清沢洌 51歳

清沢のような人間が社会に多ければ、政府の中枢に戦争への責任感を持つ者が多ければ、別の選択肢があったかも知れない。

幸田露伴 74歳

老人は涙を流すしかないのだろう。現代でも、七十歳を過ぎれば、目立たずひっそりと集団自決しないように余生を過ごすしかないのだろう、…が。

しかし、政治においては、太平洋の向こうではトランプとバイデンが、この圀では自民党の麻生や二階が表舞台から降りようとしない。老人の交通事故のようなコトが政治の世界で起きないことを願う。

 

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権力は腐敗する

2024-06-20 09:55:17 | つぶやき

東京都、群馬県、兵庫県、及び、小さな市町村で、首長のセクハラ・パワハラや歴史修正等の問題行動が顕在化している。

8年間の安倍政権の空虚な経済政策が綻び、8年間の小池都政の権力の私物化が露呈されてきた。

腐った権力体制より、この際、立憲・共産党の蓮舫、得体の知れない石丸だって、現体制よりは増しなのではないか。

一旦、風が変わるコトが肝心。又一呼吸おいて、次の風を求めれば良しとする。兎も角も長期権力は必ず腐敗する。

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『雨の日は会えない、晴れた日は君を思う』

2024-06-19 10:03:57 | 映画

原題は「DEMOLISHION」…多分破壊という感じかな。2015年公開作品、ジェイク・ギレンホール、ナオミ・ワッツ。

日本語の題名に吊られて観たが、原題ならば見なかったかもしれない。

この映画のあらすじは、妻が交通事故で死んでも涙が出ない夫がいる。やがてすべての周りのモノを壊しだす。ある日、車に残された妻のメモから『雨の日は会えない、晴れた日は君を思う』を見つける。

夫ではない別の相手のことを思って書いたか、単に私的なフレーズを書き留めたか解らない。そのメモを見た時に、失った肉体とは別に彼女の心を触ったのだろう。彼は妻の死を受け止め、刻み、新たな生活に進む予感がする。

ナオミ・ワッツは妻役ではなく、心の闇を抱えるシングルで難しい息子を持つ女性として、件の夫と絡んでいくストーリーとなっている。

ナオミ・ワッツは好きな女優だが、同郷のニコール・キッドマンと被る。セクシー全開のキッドマンに比べ、ナオミ・ワッツは切ない質素な役柄が多いようだ。いつも存在感が薄い。

ジェイク・ギレンホールは随分と毛深く、入念に毛剃りしてニュー・ヨーカーに変身するのも興味深い。西洋人は本当に毛深いのだと感心した。

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政治業の無資格者たち

2024-06-18 10:18:35 | 政治

近頃、政治家としての価値のないモノが存在している。庶民の厳しい生活や苦しい心情を理解できない政治業者は近代民主主義の政治家となる資格がない。

アベクロミックスの誤りで円安による物価高騰の責任も取らず、もっぱら企業賄賂(献金)を求め、その見返りを与え、選挙に受かり、自己の議員生活を潤し、世襲の業を守る輩は、国会から又一切の政治の場から消え去って欲しい。

権力に平伏するメデイアも存在価値がない。裏金脱税議員の一覧表を配布する以外に企業として存続が危うくなり、早晩潰れてしまうだろう。

有権者が裏金脱税議員の落選運動をし、腐敗した自公政権が潰れ、努力した者が報われる社会を少しづつ造るしかない。時間が掛かるが、少子化も止まるのではないか。

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机の下の警棒

2024-06-17 09:49:39 | 言葉

「答弁を差し控える」というならば、その理由、答弁拒否という行為に至る適切かつ合理的な説明がなければならない。議会側の質問に鹿児島県警の監察部がこの言葉を使った。

近代民主社会において、言葉の説明をせず、警棒をふるう警察行政は、非民主、反民主を超えて独裁制、専制政の前段階である。

権力側が、あえて口を閉じて、「問題があるか」という居直りでもある。特に常時武器を携行し使用できる警察行政の態度には机の下の警棒や手錠が垣間見える。

昨今の警察中枢キャリア官僚の暴力性は、アベスガ政治の反知性を気取っただけの生来の無知・無学からの負のレガシー(遺物)でしかない。

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