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玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

こんな本初めてだ

2018-06-19 21:14:44 | 

実に”奇妙”と云うにふさわしい本を、今、読んでいる。事実を語る言葉でなく、読む者に何かを感じさせる文章なのだ。普通の書物が風景画だとしたら、そして写実を基本とするとしたら、凡そこの本は精確でもないし、事実でもなかろう。物事の捉えが、気持ちが真実を創ろうとしているのだ。

1★9★3★7(イクミナ)

要するに、この本はフィクションなのだ。だって、南京虐殺の有様を積屍(死体が積み重なって山になっているんだ)と表現している。しかし現実にあったのかもしれないと思いだすんだ。さらに、読む者に確実なる衝撃が残る。この本は、絵ならば、抽象画である。こんな本は初めてかもしれない。

本気で、真面目に字を追ったら、違うような気がする。これは観る本、想像する本、感じる本なのだね。

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新聞やめようかな

2018-06-17 21:55:56 | あれこれ

もう新聞をとるのをやめようかな。矯正した記事、操作された記事はもういらない。そんなものに金を出す気はない。新聞はただ社会の一面の事実を、確実に、正確に表すベタな記事でいいんだ。

共同通信と時事通信があれば良いのだ。製品物としては、ネットで地方新聞の全国版を見ていれば社会の動きがよく分かる。

B・アンダーソンの「想像の共同体」から「操作の共同体」に変えようとしている古い政党の政権があるらしい。この悪だくみは、1955年まで繰り下げて、戦前の旧支配層の思惑と欲望につなぎ合わせて見なければなるまい。

戦後の日本は、棚から牡丹餅の民主化でも、庶民にとって、民主化というものは十分に心地よいものだ。どっかの党はアメリカに押し付けられたとかいうけれど、そんなら今より良い憲法を作れるのかしら。

今更、特権階級に虐げられて生きねばならないとしたら、我々はこの地上から早晩いなくなるけれど、後に生きる若い日本人たちが可哀想だ。今更、教育勅語の世界に戻って、誰が儲かるか、誰が満足するのか、あのA氏に、あのA夫人に聞いてみたいものだ。

Pile of old newspapers

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新しい友に会えそう

2018-06-14 11:59:38 | 

年とると、友達付き合いが難しくなる。お互いの過去の比較ばかりで、前に進まないから。そして、暗黙の裡に相互の批判は避けるようになる。それが関係を壊さない秘訣だから。

本は、つきあいが広がる。最初は『国家の罠』の憂鬱な表情の佐藤優であった。ある日、『国家に隷従せず』という「隷従」という言葉に引っかかって、斎藤貴男を知った。すると、その中に辺見庸が出てきた。それで『1937』を買った。偶々『国家とメディア』を買うと、魚住昭と佐藤優は近いらしい。そして、辺見庸も出てくる。

国家に隷従せず

10年前までスリップするが、四人の友ができた。この友は自由に批判ができる友だ。忙しくて、10年前に見逃してきた、この國の陋劣な有様を見ることができるかもしれない。

国家とメディア―事件の真相に迫る (ちくま文庫)

コメント (1)
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道具にされた官僚

2018-06-12 10:30:44 | 

『国家の罠』というには、些か題名が重いと思う。新聞広告で、暗いおもざしの顔で「外務省のラスプーチンと呼ばれて」と副題があった。窺い知れない深い怨嗟の淵を感じたので、この本を読み始めた。

日露の外交経過や、拘置所の生活は、緻密によく書けているし、表現能力が卓越していた。自らが嵌め込まれた犯罪への抗弁は、ほんの数頁で済んだかもしれない。普通に考えて、罪になるのは理不尽であると思う。

しかし現実には罪を被せられ、ある政治家を潰す材料に使われた。その心の傷や怒りがこの本を書かせたのかも知れないと思った。

ところが、怒りの持って行き先がどこなのかが判らない。検察の標的は一人の政治家なのであり、その犯罪を構成する材料としての自分への罪ならば、いったい誰を、何を恨めばいいのだろう。

潰された政治家、つまり鈴木宗男氏であるのだが、政治のヒエラルキーを越して、国家外交に関与し過ぎたのを、誰かが気づき、大きな力が動いて、いわゆる検察に「国策捜査」を実行させたのであろう。

多くの政治家が日常的にやっている口利き≒収賄のような行動を、急に犯罪だと認定をして、政治家を潰すというのがこの本で云う「国策捜査」の意味であった。

この「国策捜査」を検察が「時代のけじめ」と形容するのは、いささか傲岸で、かつ詭弁であろう。検察も大きな力に動かされたのだろう。

結局、外務省は抹殺すべき政治家の犯罪立証に協力していく。官僚組織の無情さは、形は違うが、今現に起きている、森友・加計事件にも相通じる筋書きが底流に流れている。この本は『道具にされた官僚』というのが実際の題名なのかな。

国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)

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都合の良い言葉

2018-06-07 14:11:41 | あれこれ

「再発防止」― 最近、この言葉が、あまりにも使われ過ぎている。失敗をした。いけないことをした。法を犯した。人の命を奪った。そうした重大な事柄を「再発防止」という一つの言葉で片付けようとする。

徹底した事実の解明、そこに行きついた原因、理由の解明があって、はじめて心からの反省と、元に戻らないことを謝罪する。その上で自らの責任を果たして、時には職を辞し、自分ができないことを詫びつつ、「再発防止」を後任に委ねるというのが、これまでの日本の常道であった。

今や、A・A政権は、その言葉を乱発して、責任を回避し、恋々と職にしがみ付く。ただ屁理屈の言葉として使われる。この言葉は努力を尽くして、やっと最後に出てくる言葉じゃないのか。

安易な終結の言葉は、社会全体に伝染して、その言葉が安っぽく濫発され、現実の解明に蓋をして、すぐ将来に置き換えて、目前のすべき責任行為を逃れようとする卑劣な指導者たちが多すぎる。

この状況は、政治に限らず、社会全体で起きていることで、この「再発防止」という言葉の意味、役割をもう一度再考する時期に来ている。

湘南は海の家がたちはじめた。もう夏か。

 

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