『国家の罠』というには、些か題名が重いと思う。新聞広告で、暗いおもざしの顔で「外務省のラスプーチンと呼ばれて」と副題があった。窺い知れない深い怨嗟の淵を感じたので、この本を読み始めた。
日露の外交経過や、拘置所の生活は、緻密によく書けているし、表現能力が卓越していた。自らが嵌め込まれた犯罪への抗弁は、ほんの数頁で済んだかもしれない。普通に考えて、罪になるのは理不尽であると思う。
しかし現実には罪を被せられ、ある政治家を潰す材料に使われた。その心の傷や怒りがこの本を書かせたのかも知れないと思った。
ところが、怒りの持って行き先がどこなのかが判らない。検察の標的は一人の政治家なのであり、その犯罪を構成する材料としての自分への罪ならば、いったい誰を、何を恨めばいいのだろう。
潰された政治家、つまり鈴木宗男氏であるのだが、政治のヒエラルキーを越して、国家外交に関与し過ぎたのを、誰かが気づき、大きな力が動いて、いわゆる検察に「国策捜査」を実行させたのであろう。
多くの政治家が日常的にやっている口利き≒収賄のような行動を、急に犯罪だと認定をして、政治家を潰すというのがこの本で云う「国策捜査」の意味であった。
この「国策捜査」を検察が「時代のけじめ」と形容するのは、いささか傲岸で、かつ詭弁であろう。検察も大きな力に動かされたのだろう。
結局、外務省は抹殺すべき政治家の犯罪立証に協力していく。官僚組織の無情さは、形は違うが、今現に起きている、森友・加計事件にも相通じる筋書きが底流に流れている。この本は『道具にされた官僚』というのが実際の題名なのかな。
