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玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

懲戒市長

2013-04-20 21:47:11 | 政治

少し前の話だが、懲戒処分の警告文を給与明細に載せたという西の都。一種の厳罰主義だね。何でも懲戒処分を減らそうという運動だというのだが、一種のノルマ主義だね。その明細書が給料日に大阪市の職員の手元に配られた時の職員の落胆ぶりは想像するに余りある。その時は自分たちの首長が唾棄される存在になる瞬間でもある。

今にして判ったことは、大阪府の場合には財政破綻の克服という大義があったが、大阪市の場合はこれと言って職員を攻撃する種がなかった。そこで内部規律の乱れに目を付けたのだろう。相手を凹ませられるものなら、何でも使うという情け容赦のない喧嘩殺法だ。それによって、さしあたり、彼は強者として君臨できるかもしれないが、決して職員から尊敬されない市長であろう。お膝元の1万5千人の職員すら信頼も尊敬もされない市長が、はたして260万の市民から愛され、信頼される人になれるのだろうか。

何のための懲戒処分減少運動なのか?ただ自分が市長になったからには、これだけよくなったというバロメターの一つに使うだけではないのか。彼は一体何を求めているのか?お笑い系弁護士が独裁政治家になろうとしているのか。この落差は滑稽でもある。この種の滑稽さは東の首長にもあった。滑稽な行動・言動は、現代の政治家がマスコミの存在感を高める常とう手段でもある。小泉純一郎にも似たものがあった。滑稽さで周囲の眼を眩ませて、内心ではベロを出して自己実現に向けてひた走る、そんな狡猾な人間性がテレビに映る彼の顔から垣間見える。

政治家に成りたがる者は、魂を売って成る者もいる。金を使って成る者もいる。差し詰め、彼はマスコミに顔を売って政治家に成るつもりだろう。しかし、それは単なる顔ではなく、実際の彼の生き方が嘘であろうと無かろうと、勝手にマスコミが作りあげた生き方を切り売りしていることに彼は気付いていない。しかも、そのマスコミの作った生き方から、彼は脱出することはできない。もっとも転落することはできそうだが。

西の都の意味のない恐怖政治を、マスコミが、関西人が、許容していることに、戦前以来の偏狭な国民性の残存を感じさせられるのは悲しいことである。彼は拳をあげて学校の体罰を否定しながら、自らの部下である役所の職員に心の体罰を与えているのだ。

 

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懲戒市長

2013-04-20 21:47:11 | 政治
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