昨日、昼呑みで久しぶりに横浜に行った。西口は駅前広場が変わった。常に変化し続けるのが都会の街でもある。
高層部分が旧東急ホテルの開発だ。渋谷を含めて東急の動きは強含み。
旧来の高島屋と相鉄ジョイナス。そう言えば相鉄の動きも活発。
駅前広場のロータリー部分が少し狭くなって、歩道部分が広がった。正面左の高層ビルは相鉄系のホテル。横浜駅西口はそろそろ開発の限界なのかもしれない。かつての新宿駅西口のように。
昨日、昼呑みで久しぶりに横浜に行った。西口は駅前広場が変わった。常に変化し続けるのが都会の街でもある。
高層部分が旧東急ホテルの開発だ。渋谷を含めて東急の動きは強含み。
旧来の高島屋と相鉄ジョイナス。そう言えば相鉄の動きも活発。
駅前広場のロータリー部分が少し狭くなって、歩道部分が広がった。正面左の高層ビルは相鉄系のホテル。横浜駅西口はそろそろ開発の限界なのかもしれない。かつての新宿駅西口のように。
話は簡単で入植した開拓者が故郷の地名を付けたようで。
石川、香川、山形、福島などが多いとか。札幌市のそばの北広島市は広島県からの入植者によって付けられたとか。
実は私の父は北海道生まれなのですが、親の代に石川県から移住したと聞いています。
アイヌ語をあて字にして作った地名もあるとか。大きな川が「ペツ」小さな川が「ナイ」とすれば、稚内、登別、岩内がそうなんでしょうかねえ。
実は岩内にはうちの親戚がいるんです。でも二度行ったが川は見なかったが、河川敷にうちの土地があったというのは聞いたことがあります。そこから良い砂利が出て、高度成長期に建設材として使ったとも聞きました。
若い頃、自分のルーツを訪ね、父の生まれたところに行った時に、先祖代々のお墓が有る場所の停留所の名前が「島コタン」と聞いた時に、ゾクッとしたことを、ふと思い出しました。
【引用文献:武光誠『地名から歴史を読む方法』河出書房新社】
遊行寺通りの裏道に蔵がある。
藤沢は古い町だから旧東海道筋にも幾つか蔵が残っている。
古い蔵を見るとつい歴史を感じるが、・・・。
こと藤沢宿においては、元々が東海道の宿場町なので、蔵というモノより、旅籠に関わるモノの方が価値があるというのを郷土史家に聞いたことがある。けだし、それも尤もな説だと納得した。
これらの蔵や建築物は築90年だそうだ。
ということは、建造されたのは昭和初期で、1931年の満州事変の頃だということだね。
ふーん、外観は古いが、近現代史の中では、まさに此の國の軍國化への真骨頂時代でもある。