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玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

根拠のない仮説

2024-07-15 11:09:30 | 雑感

全く根拠のない説ですが、何処かで見た同じようなコトがまた現れる。

希望の党と民進党を合体しようとした時、「排除します」の緑の狸さんの一言で、この國の憲法は偶然に守られ、民進党は瓦解し、その残骸で立憲民主党ができました。

この時は、裏で「連合」がかなりの動きをしていた筈です。

かつて立憲民主党と共産党が選挙協力しようとした時、「連合」の会長が今の赤の狸さんに替わった。この時は「立憲共産党」という揶揄がマスコミ界を席巻しました。

今回の都知事選で、赤の狸さんの「連合」が緑の狸さんを支持すると堂々と表明しました。労働組合なのに…。

議会の少数意見を「無視する」、フリーな言論を「排除する」、平気で歴史を「見ない振り」をする、そういう民主主義から外れた人物を堂々と労働組合の上部団体が支持する。これは異様です。

此の圀の右傾化への歩みが立ち止まる時に「連合」なるモノが蠢く、…。これは何処から来たのか??

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高齢化・国際化・高度情報化

2024-06-04 16:20:40 | 雑感

凡そ半世紀前、入社試験の一般教養に将来社会の三つのK標語があった。この三課題が現実の姿となって現れている。

「高齢化社会」は、人々が施設や病院の収容能力から落ちこぼれ、家庭内介護(看護)が広く普及した。しかも近年、コロナ禍が社会全体の医療サービスの限界を明示した。結果、多くの患者が家族に看取られずに独りで逝くことが普通化した。

「国際化」は仏語・独語・露語はもはや要らず、英語でほぼ用が足り、この圀の田舎町にも外国人の観光や就業の場となったが、時に犯罪の国際化の場ともなっている。

「情報化」は残念ながら世界の先端から脱落して、後進的情況に陥っている。

昨今、個人情報カードで統制化するデジタル庁の意図が全く見えない。担当の眉の太い大臣の野暮な独断ばかりが目に付く。例の裏金脱税事件に類似する情報企業献金の見返り政策なのだろうか。

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忖度という名の怯懦

2024-05-28 09:48:04 | 雑感

かつてアベ・スガの粘着的な強行性は実際に放送法の許認可に踏み込む恐怖をマスコミ関係者に与えたのではないか。

それは官僚人事権にも当てはまる。一罰百戒の見せしめの意図をもって、「ふるさと納税」という名の新たなネット商売を税制論から箴言して官僚人生を棒に振った総務省エリートがいたそうだ。たぶん、態と恐怖を付与する為にスガは人事権をふるって見せた。

それらの成功体験を見て、時代錯誤の強権主義と特権意識を自民党の中枢議員たちは強固な幻想として保有しているようだ。それが裏金脱税に正面から取り組めない要因となっている。

だが、先祖帰りのように、戦前報道の如く怯え続ける大手マスコミやTV局は、又、政権交代をしたら、民主党を倒した時のように如何様の威勢が戻るのだろうか。それこそが悪夢なのだが。

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デパート・スト、いいね!

2023-09-01 11:42:07 | 雑感

若い頃、春闘と云えば、「スト」それも鉄道ストでえらい難儀をして通勤したことを思い出す。

西武鉄道や京浜急行はストをしなかったが、デパートの西武はストをするという。ストは嫌いだったが、特に労働者の人権が軽視される今の時代には、企業に社会的な雇用責任を自覚させる意味でやらねばならない事であろう。

特に労働権という感覚が欧米に比較して薄いこの国の人々には、是非ストをやって、こんな人権表現もあると広めて欲しい。

デパートはストによってブランドイメージが傷つくような感じがあるが、近頃の販売分野ではセルフ・レジに移行する流れがあって、人が客に商品を介して対面で労働を売る職場としては、デパートは最後の牙城であろう。その代表としての労働スト権の発動は他の分野の見本となって欲しいものだ。

昔、東京では西武と伊勢丹はファッション・リーダーだった。今度は労働運動の復活の旗手というのも洒脱である。

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宮中用語の復活

2023-06-16 18:32:26 | 雑感

昔「裁可」という言葉を使う都知事が居た。

この言葉は天皇の承認行為の言葉と思うが、軽々しく使っていた。何様だと思っていたのだろう?

野党議員は政権批判に「看過できない」と使う。「見過ごすことができない」と反対挙証が難しい場合に使う一種の左傾の逃げ言葉のような気がする。

近頃、よく使われているのが、「懸念」だ。

これも元は宮中用語ではないだろうか。

戦後世代はこの言葉を使って来なかったから気になっているのだ。本来は「物事の心配・不安」の意味であろうが、「危険・恐れ」の意味にも拡張して政権側やそれに忖度するメディアが使っている。

最近のメディアでは「懸念度」と意味の解らん統計的用語として使ったのには呆れた。さすがにその後は使われいないようだが、…。

こんな志の低いマスコミ・放送メディアは、報道機関として受け入れたくない。だから、新聞も購読しない、TVも信用していない。特に政権に人事が握られている似非役所のNHKはもう要らないモノである。

だが、裏読みで正しいことが解る効用がある!情けないメディアだね。

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