goo blog サービス終了のお知らせ 

玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

奇妙な一年でした

2021-02-01 14:22:13 | 日記

ほぼ1年が過ぎようとしている。昨年の2月下旬に仲間の飲み会をやった。そのときに、「そろそろ危ない」と日程を繰り上げてやった。

その後から自粛生活に入った。定期健診の病院以外はほとんど都心に行っていない。

湘南の海と陸の中にじっとして居た。海は少なかったが…。

この厄災が落ち着いたら、退職した時のように一日ボーと海を見ることを夢想していたが、それも当分無理だろう。

この厄災によって、みんなの生活が、考え方が変わるような気がする。きっと、大きく変わるだろう。

当然、国や政治も、そして社会も変わるだろう。つまり官僚も政治屋も、そして企業も…。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おとなしい日本人

2019-03-07 11:11:58 | 日記

三月と言えば、恒例の確定申告の月かな。凍てつくような寒い雨の日、税務署のまえが長蛇の列だった。小さなプレハブの専用の申告事務室の前にはテントも張ってなかった。寒風を受けながら、雨に打たれて、老いも若きも黙って順番を待っている。何と我慢強い、従順な国民なのか、誰か文句を言う人間がいないかと思うのだが、凡そ今までもそういう光景に出くわしたことはない。

これが日本人の美徳?いや不徳なのであろう。これで、黙って戦争に狩り出され、国家だか天皇に?多くの国民が命を捧げてきた。それは永い間、忍従の生活を強いられた封建時代に起因するのかと思ったりもするが、お隣の韓国や中国の国民の自己主張ぶりを見ると、あまりの違いに愕然とする。彼の国こそ封建制の先駆けだった。

しかし、日本人がそんなにおとなしい国民性なのならば、戦前の朝鮮や中国では、皇軍の日本兵はどうだったのかというと、これがけっこう残酷なことを平気でやったらしい。

ということは、他民族に征服された経験を持つ韓国や中国と、日本のように米国(国連軍)に一時的に占領されたが、他民族に丸ごと征服されたことはなかった国民とは、その性格が自ずから変わってくるのだろうか。

しかし、かつてこの国では、おとなしく並んでいれば最後は同等なものが手に入ることになっていたが、どうも、近頃はそうではないような気がする。ふと、そんな事を順番を待ちながら想うのです。

相州高座郡あたりの風景

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

残す年賀状

2019-01-12 10:19:04 | 日記

今年の年賀状は三枚来なかった。一枚は分からない。一枚は喪中だったようだ。もう一枚は本人の死去を妻が知らせてきた。このケース、初めてかもしれない。 

暗い気持になった。彼は、ある意味若い頃はライバルだった。彼の方が文章も、絵も上手かった。なんとなく、去年と一昨年の二年分の年賀状を処分したくなった。細かく千切ってごみ籠に捨てていると、どうしても切れないのがあった。 

私の友人には二人の写真家がいる。ひとりはプロ、もう一人はアマだ。他にも、どうも本人にとっての最後の年賀状らしきものもあった。残す年賀状もあっていいのかもしれない。

もどることもある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦争はある

2018-06-30 10:10:26 | 日記

先日読み終わった魚住昭『国家とメディア』で紹介されたジョエル・アンドレアス『戦争中毒』を読んでいたら、「朝鮮半島は二つに分断されたままで、約4万人のアメリカ兵が今も韓国に駐留している」とあった。

ふとネットで調べたら、4万人の米兵がいるのはわがニッポンだった。韓国は非公表のようだ。ドイツにも5万人とあった。まだ“冷戦”は続いているのか。

決して憲法凍結派ではない。かつての戦争も憲法を近代化できなかったことだと考えている。がしかし、この國から9条を変えたら、或いは消したら、何が残るのだろう。どの顔して東南アジアの諸国を訪ねることができるのだろう。

東京・神楽坂

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちゃんとした人間

2018-04-05 10:32:55 | 日記

まだちゃんとした人間だったころ、何をして過ごしていたのだろう。朝早く起きて、身支度を1時間で終えて、足早に駅に向かい、満員電車に乗って、職場に着くや、挨拶をして、自分の席に着く。

今思えば、あんな都会の地価の高いところに自分の机やロッカーがあったことが不思議だ。そんなに重要な仕事をしていたのかな。

そこでは、時には残業もして、帰りにはよく酒を呑んで酔っ払って深夜にタクシーで帰宅することもあった。そんな繰り返しを何十年間も続けた。まだちゃんとした人間だったころ。

でも、今は朝から、何からも必要とされていない代わりに、気ままで自由である。自由であることは些か飽きることもある。実はただ終電車を待つ空き時間なのかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする