元 黒龍江大学日本語教師   

元黒龍江大学日本語教師としての思い出などを写真を交え、日記風に綴っていくもの。(No.812からは、故郷新潟から発信中)

黒龍江大学日本語教師No.177

2010年10月31日 | 日記
「三江平原の旅」の続編。「偶然」のお話。(その9) 「佳木斯駅」を出発して「同江市」そして「撫遠県」を経由し、黒龍江省の最東端近くにある記念館「赫哲民族文化村」にたどり着いた。「文化村」の館内を見学しているとき、一枚の「書」に目が留まった。館内の案内人のご説明では、この「書」は赫哲族の中でも、「書」と「篆刻」では、トップクラスの「哈普都隽明」という方が書かれたものという。

どこかで聞いたようなお名前、見覚えのある書体だったので、私は後日、黒龍江大学の教職員宿舎に帰って調べてみた。1993年の夏、新潟県と黒龍江省が「県省友好提携議定書」を締結して10周年を記念し、ハルビンから著名な「画家」と「書家・篆刻家」の2名を新潟県が招待したことを思い出した。お二人は記念会場となった「新潟ふるさと村」で印鑑を彫ったり、絵を描いたりと両県・省の友好交流、文化交流に尽力され「10周年記念事業」を大いに盛り上げていただいた。

私はその時、「書家・篆刻家」の「哈普都隽明」(本名・趙俊明)氏から中国ハルビンで印鑑を作ってもらい新潟まで持参していただいた。印鑑の押された名刺を見て驚いた。偶然にも「哈普都隽明」の名前が書かれていたのだ。新潟でお会いしてから17年、彼は今どうしているのだろうか。ご一緒に来県された画家の「楊秀坤」氏にもお会いしたくなった。

記念館「赫哲民族文化村」入口


飾られていた哈普都隽明氏の「書」


哈普都隽明氏の書かれた「名刺」と「印影」