元 黒龍江大学日本語教師   

元黒龍江大学日本語教師としての思い出などを写真を交え、日記風に綴っていくもの。(No.812からは、故郷新潟から発信中)

No.755  「懐かしい人」(その5)のお話。

2012年05月31日 | 日記

「懐かしい人」(その5)のお話。     先日、「久しぶりに昼食をたべましょう!!」という嬉しい電話を頂戴した。電話の主は、黒龍江大学経済学部経済学博士の宋成華先生。私と宋先生とは、1996年に宋先生が新潟県国際交流員として赴任されて以来、約15年間、お付き合いをさせていただいている。私が黒龍江大学日本語教師となってからも何度となく、いろいろな場所でご招待を受けた。

今回の≪昼食会≫の会場は、ハルビン市南崗区保健路47にある「李家小館」という人気の中国料理店。ハルビン市内に7軒の店舗を持つ有名なチェーン店。当大学からタクシーで10分くらいで到着する。さすがに人気の店だけあって、大勢のお客様で混雑していた。この店の名物は「田舎料理」と「特大のパン」。

宋先生は店が用意した薄いビニール製の≪手袋≫をして、この店の名物である「特大のパン」を細かく食べやすい大きさにしてくれた。この店で料理として出される「肉」や「野菜」は、柔らかいのが特徴とのこと。厨房を覗いてみると、いくつもの≪圧力鍋≫を使って調理していた。この≪圧力鍋≫を使うことが、肉などを柔らかくいただく≪秘訣≫である、と宋先生から教わった。いつも親切にしていただいている宋先生ご夫妻に感謝申し上げたい。

「懐かしい人」

「懐かしい人」         大きなパンを食べやすい大きさに分けてくださる宋成華先生。

「懐かしい人」         美味しくて柔らかい田舎料理。

「懐かしい人」

「懐かしい人」

「懐かしい人」

「懐かしい人」   ハルビン市南崗区保健路47にある「李家小館」という人気の中国料理店の入口。  



No.754  「黒龍江省・黒河の旅 = 中俄民族風情園」(その2)のお話。

2012年05月30日 | 日記

「黒龍江省・黒河の旅 = 中俄民族風情園」(その2)のお話。     今日は「ロシア村 = 中俄民族風情園」のお話。現在、なくなってしまったが、昔、私の故郷<新潟>に「新潟ロシア村」があった。この「新潟ロシア村」にある教会や民家など、ロシアの村を代表するような建物が「黒河」郊外の「ロシア村」に建てられている。ここの正式な名称は「中俄民族風情園」という。「中」は中国、「俄」はロシアを指す。

この日は天気も良く、ピンク色の「スモモの花」が咲き始め、春の息吹が感じられる絶好の行楽日和であった。今回訪問した「中俄民族風情園」は、中国とロシアとの国境を流れる大河「黒龍江」の河畔に建てられており、対岸にはロシアの景色がよく見える。この村は、8年前の戦争映画の撮影現場となった場所であり、その当時建てられたロシア人女性兵士の住む<マリアの家>、<教会>や<村長の家>などがそのまま残っているのが特徴。

<マリアの家>に入ると数多くの撮影当時の写真が壁に飾られていた。「中俄民族風情園」を訪れる外国人観光客は、ロシア人観光客が一番多いという。従って、ここの中国人ガイドさんはロシア語での説明もできる。園内を見学している途中、大型観光バス一台に乗ってきたロシア人観光客の団体にあった以外は、ほかの観光客は、ほとんど見当たらなかった。ここを訪れる日本人観光客は珍しいという。

「中俄民族風情園」のガイドさんの説明は、すべて中国語。聞き取れない箇所も多く、中国語会話能力アップの必要性を強く感じた一日でもあった。

「中俄民族風情園」           

「中俄民族風情園」          ロシア教会の前で記念写真。

「中俄民族風情園」         ピンク色のスモモの花が美しい。

「中俄民族風情園」         園内を流れる人工の小川。

「中俄民族風情園」           ロシア人女性兵士「マリアの家」。

「中俄民族風情園」         マリアの家の内部。

「中俄民族風情園」           マリアの家の内部。

「中俄民族風情園」         ピンク色の「スモモの花」と「新緑」が美しい。

「中俄民族風情園」    

「中俄民族風情園」         教会の建物。入口には「鍵」がかかっていて、内部を見ることができない。

「中俄民族風情園」         丸い小さな石が敷き詰められた歩道。

「中俄民族風情園」         スモモの花と教会。

「中俄民族風情園」         黒龍江の対岸はロシア領。

「中俄民族風情園」        村長の家の看板。

「中俄民族風情園」         村長の家の壁に張られてある「中俄民族風情園」の地図。 

「中俄民族風情園」       鐘を鳴らす黒龍江省人民政府農業委員会の付さん(今回の旅行の引率者)。

「中俄民族風情園」

「中俄民族風情園」        女性の浴室には、丸い木製の桶が2個、置いてあった。

「中俄民族風情園」        女性兵士の宿舎。

「中俄民族風情園」       女性兵士の宿舎の内部。  白樺の木で作られた二段ベット。

「中俄民族風情園」       ベットの脇には「銃」が置いてあった。

「中俄民族風情園」          機関砲を操作する付さん。

「中俄民族風情園」          家の壁に貼られた女性兵士の写真。

「中俄民族風情園」

「中俄民族風情園」         対岸に見えるロシア領の山々を背景に、記念写真を撮る筆者。

「中俄民族風情園」         教会の内部。   ロシア人女性観光客と一緒に写真におさまる遠藤さん(白い帽子)。

「中俄民族風情園」         教会の天井。

「中俄民族風情園」         教会の天井。

「中俄民族風情園」                  団体で訪れたロシア人観光客。      

「中俄民族風情園」        園内にある教会。


「中俄民族風情園」        園内にある「酒場」の二階。


「中俄民族風情園」        可憐に咲く、黄色の花。





No.753  「卒業記念写真」のお話。

2012年05月29日 | 日記

「卒業記念写真」のお話。    この時期になると黒龍江大学では「卒業論文面接試験」が行われる。日本語学科の4年生は、既に会社で「研修」と称して就職内定先で働いているものも何人かいる。それらの学生も一斉にこの面接試験のために当大学へ集まってくる。そして、4年間、一緒に学んだ仲間とともに、懐かしい大学構内で「卒業記念写真」を撮っている光景がいたる所で見られる。  

日本で「卒業式」といえば、一般的には、卒業生・在校生・卒業生の父母・教職員など関係者が一堂に集まって挙行される。校長先生の「送る言葉」を聞き、在校生が卒業生に送る言葉である「送辞」を述べ、卒業生代表が感謝の言葉である「答辞」を述べる。「卒業証書」が授与され、「国歌」、「校歌」や「蛍の光」を歌って終了する式が多い。しかし、黒龍江大学では、卒業生全員が集まっての「卒業式」は行われない。 

「卒業式」はあるが、大学関係者と4年生の代表だけが集まっての「卒業式」となる。そこには父兄の参加もない。そのため、卒業生が一堂に集まって来るこの「卒業論文面接試験」の前後の時期が、一緒に勉強してきた仲間たちと「卒業記念写真」を撮る絶好の機会となる。当大学構内で、黒い帽子と黒い卒業服ガウンに身を包み、カメラの前でポーズをとっている多くの学生の姿を目にすることができる。

これから社会に巣立つ黒龍江大学卒業生の健康と幸福をお祈りしたい。    

「卒業記念写真」                       日本語学科の4年生たちと「記念写真」を撮る筆者(二列目右端)。


「卒業記念写真」

「卒業記念写真」

「卒業記念写真」

「卒業記念写真」

「卒業記念写真」

「卒業記念写真」

「卒業記念写真」

「卒業記念写真」

「卒業記念写真」

「卒業記念写真」


「卒業記念写真」

「卒業記念写真」

「卒業記念写真」

「卒業記念写真」

「卒業記念写真」

「卒業記念写真」

「卒業記念写真」

「卒業記念写真」

「卒業記念写真」

「卒業記念写真」 

「卒業記念写真」 


No.752  「蚤の市」のお話。

2012年05月28日 | 日記

「蚤の市」のお話。       毎年、この時期になると、黒龍江大学では4年生の卒業面接試験が行われる。そしてこの試験が終わると、新しい就職先や故郷へ帰る準備のため、4年間生活してきた学生寮の荷物の整理が一斉に行われる。天気の良い日に、これまで使ってきた教科書や衣服など不用となった品物を売る「蚤の市」が開かれる。学生たちは大きなケースに販売する品物を入れて、当大学構内の「蚤の市」広場に集まって来る。 

この日は、当大学構内のA区の学生食堂脇の広場が「蚤の市」会場となっていた。売られている品物はさすが大学生だけあり、「教科書」「辞書」「参考書」などの書籍類が多い。次に多いのが「衣服」である。Tシャツなどの夏物、防寒服などの冬物と種類も豊富。そのほか「スケート靴」「パジャマ」「靴」「化粧品」「スポーツウェア」「小さなテーブル」「日本のマンガ本」まで売られている。 

教科書を購入する学生にとって、4年生が教科書に書き込んだ≪メモ≫などが参考になるという。特に教科書の中にある「問題」に対する「回答」が書き込まれた参考書は、人気があるという。学生だけではなく、一般のお店よりもかなり安い販売価格のため、近くの主婦などが「衣服」を中心に買物に来ている。この日、「蚤の市」に店を出していた日本語学科の学生に販売状況を聞いてみた。

初日の売り上げは約100元(日本円で1.250円)、2日目は約300元(日本円で3.750円)とのこと。中には一日、400元~500元(日本円で5.000円から6.250円)売る店もあるという。

大勢の学生で賑わう「蚤の市」。 

大勢の学生で賑わう「蚤の市」。 

「蚤の市」大勢の学生で賑わう「蚤の市」。 

「蚤の市」              教科書、参考書、衣類などが多い。

 「蚤の市」              教科書、参考書、衣類などが多い。

大勢の学生で賑わう「蚤の市」。 

「蚤の市」         大勢の学生で賑わう「蚤の市」。 

「蚤の市」

「蚤の市」            日本語学科の学生の出した店。 

「蚤の市」


「蚤の市」

「蚤の市」

「蚤の市」

「蚤の市」




No.751  「黒龍江省・黒河の旅 = 夜行寝台列車」(その1)のお話。

2012年05月27日 | 日記

「黒龍江省・黒河の旅 = 夜行寝台列車」(その1)のお話。    黒龍江省の最北の市である「黒河市」を、私は今回、初めて汽車で訪問することができた。午後7時30分、ハルビン駅正面にある大きな時計の下に集合した。集まったメンバーは、ハルビン理工大学の佐藤先生ご夫妻、中川先生、黒龍江大学の大島先生、留学生の遠藤さんと私の6人。

引率者は、業務ご多忙の中、参加していただいた黒龍江省人民政府農業委員会の農業技術専門員の付健和さん。また、今回の「黒河の旅」を企画・立案された、同農業委員会の応爽さんも「酒のつまみ」を持参して、ハルビン駅までわざわざ見送りに駆けつけてくれた。付さんと応さんの温かいお気持ちに、感謝申し上げたい。

私は久しぶりに日本でいう「グリーン車」利用客の待合室を通って、「黒河」行きの寝台列車に乗り込んだ。チケット代は151元(日本円で約2.265円)。早速、寝台車の4人一室の個室の中で、応さん差し入れの「つまみ」を口に、付さんが用意してくださった≪冷たい缶ビール≫で、旅の無事を祈り、「乾杯」が始まった。この日は、午前と午後に授業があったこともあり、疲労とビールの酔いも手伝って、私は早めに眠ることができた。

翌朝、午前3時30分頃、列車の揺れとともに目が覚めた。列車の外は既に明るく、車窓から見える約200km続くと言われている「白樺」と「落葉松」の林は、見ごたえがあった。早朝からトラクターに乗り込み、農作業をしている人の姿も見られた。列車内の廊下の温度は18度と少し肌寒かったが、寝台車の個室の中は暖かかった。これからどんな旅が始まるのか楽しみだ。

「黒河の旅」          ハルビン駅正面にある大きな時計の下に集合。

「黒河の旅」         日本でいう「グリーン車」利用客の待合室へ行く通路。

「黒河の旅」           ハルビン駅前で記念写真。

「黒河の旅」             寝台列車のチケット代は151元(日本円で約2.265円)。

「黒河の旅」            「黒河」行の列車。

「黒河の旅」       一室4人の寝台車の個室で乾杯。

「黒河の旅」          早朝3時30分頃には夜が明ける。

「黒河の旅」          延々と続く、線路脇の白樺の林。

「黒河の旅」         延々と続く、線路脇の白樺の林。

「黒河の旅」        途中で停車した「孫吴」の駅。

「黒河の旅」          その後も延々と続く、線路脇の白樺の林。

「黒河の旅」         その後も延々と続く、線路脇の白樺の林。

「黒河の旅」           寝台列車は、終着駅の「黒河」駅に定刻に到着した。

「黒河の旅」         終着駅「黒河駅」の構内。

「黒河の旅」        黒河駅の正面玄関。