l'esquisse

アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

古代カルタゴとローマ展~きらめく地中海文明の至宝~

2009-10-21 | アート鑑賞
大丸ミュージアム・東京 2009年10月3日-25日



これは意表を突く、よい展覧会だった。会期はもう数日しかないけど、是非お薦めします。

公式サイトはこちら 

まずは歴史のおさらいをちょっぴりと。実は私が滞英中の1995年に現地で邦人向けに発行されていた「ジャーニー」という月刊誌に上手くまとめられたカルタゴ特集記事があったのを思い出し、本展のカタログと共に参照させて頂いた。

カルタゴが興ったのはアフリカ北端に位置する現チュニジア共和国。国土の一部を地中海に面し、シチリア島を挟んでイタリア半島と対岸するこの国は、現在アラブ人98%のイスラム教国。カルタゴは紀元前9世紀にチュニス湾内の半島に海洋民族フェニキア人が移住して建設した古代都市で、その名称は「新しい町」を意味する。

前6世紀には西地中海における最大の商業国・海軍国として栄えていたが、シチリア島の利権をめぐってギリシャと対立。やがてギリシャを制圧したローマと反目し合うようになり、ポエニ戦争が始まる。ポエニとは、「フェニキア」のラテン語読み。

第一次ポエニ戦争 (前264~241)
カルタゴはローマに敗れ、シチリアを失う。後にコルシカ、サルディニアも失い、多額の賠償金を課せられる。

第二次ポエニ戦争 (前218~201)
第一次の戦争で失った損失を補うべく、スペインの経営を進めたカルタゴはたちまち利益を上げ、前231年には賠償金の支払い終了。波に乗ってローマと盟約関係にあったサグントゥムに攻め入ったハンニバルがローマを刺激し、再び戦争へ。結局ハンニバル率いるカルタゴ軍は負け、海外領土を全て失う。賠償金も第一次の時の3倍。

第三次ポエニ戦争 (前149~146)
地中海に出回るカルタゴ産のイチジクなど、その見事な農業技術に恐れを抱いたローマは再び進軍、今度は完全にカルタゴを破壊。

紀元前1世紀後半にローマ都市カルタゴ(のちに「ローマのアフリカの首都」と呼ばれる)が建設され、再び繁栄。7世紀末にはアラブ人が侵入し、アラブ化されていく。

本展では、そんなカルタゴの文化を紹介すべく、チュニジア国立博物館群の所蔵品から160点余り(その9割が日本初公開)を、「ポエニ時代」と「ローマのアフリカ」となってからの二つの時代区分に分け、以下の2章で構成:

Ⅰ 地中海の女王カルタゴ
Ⅱ ローマに生きるカルタゴ

では、順番に。

Ⅰ 地中海の女王カルタゴ

ローマ軍に徹底的に破壊され消えてしまったカルタゴであるが、近年の発掘調査により様々な遺物が出土。この章ではそのポエニ時代のカルタゴの文化が伺える多様な出土品が展示される。

『マスク』 (前3世紀末-前2世紀初頭) テラコッタ



しょっぱなからインパクトのある造形のマスク。頬骨が高く、細い面持ち。用途は隣に2点並ぶ女性のマスク形頭部像の説明にあったのと同様、墓に置かれた魔よけと加護のためのものなのだろうか。余談ながら、このマスクをはじめ、展示品は一部を除いて全て地中海を思わせる青い台座に載せられており、とても美しい展示空間となっていた。

『奉納石碑』 (前4-前2世紀前半) 石灰岩



本展では様々な図像が刻まれたこのような石碑が10点余り並ぶ。この石碑に見られるのは、ポエニ語の碑文とタニトの図像。

フェニキア人はアルファベットの基礎を築いた民。画像ではわかりにくいが、ポエニ語にも既にアルファベットに近いものが見受けられる。カルタゴの人々は宗教心に篤く、地中海の多様な文化を背景に多神教であった。そんな中、カルタゴでもっとも崇拝さたのがバアル・ハモンという男神とタニトという女神だった。タニトは以下の図像で表される:

 ちょっとクレーを思い浮かべる

『マスク形ペンダント』 (前3世紀) ガラス



ガラス製と知ってビックリ。ペンダント・トップには人間の顔の造形を模したマスク形のものが多かったが、その奇妙な顔立ちの中に加藤泉さんの作風を思わせるものが。。。

『アンフォラ形容器』 (前3世紀前半) ガラス



カルタゴの人って、色彩感覚が優れていると思う。

アンフォラといえば、1m以上もあるテラコッタ製の細長いアンフォラが数点展示されていたが、船舶輸送のための形状と聞けど扱いにくそう。特に陸路はどうやって運搬していたのだろうとしみじみ考えてしまった(考えたところで皆目見当がつかないが)。固定する枠みたいなものがあったのだろうか。

『哺乳瓶形容器』 (前3世紀前半) テラコッタ



ポエニ式陶器の存在はカルタゴが創建された時期から確認されているとのこと。その多くが幼児の墓から見つかったというこの哺乳瓶形の容器は4点ほど出展されていた。取っ手もついているし、現在の吸い飲みのようなものだったのだろう。ふっくらとした胴体、小さな吸い口の形状が何とも言えない。

『スフィンクス』 (1世紀) テラコッタ



円錐形のティアラが可愛いらしいスフィンクス。

『有翼女性神官の石棺(蓋)』 (前3世紀) 大理石 長197cm



カルタゴのネクロポリス(共同墓地)から出土した石棺。少し起こされた形で展示されていたが、ぎょっとする美しさだった。左手に香炉、右手に鳩を持つこの女性の下半身は翼で覆われている。死んで硬直した鳥の死骸を想起したりもした。足の長い指が生々しい。この石棺はエジプト様式なのだそうだが、顔や上衣の流れるような襞はヘレニズム風に思える。

『ネックレス』 (前6世紀)



カルタゴの人々も貴金属を良く好んだとのことで、眩いイヤリング、指輪、ペンダント、ネックレスなどもいろいろと並んでいた。このネックレスは金の部品の細工が見事で(よく見るとウジャトの眼が)、色彩のバランスも良い。他のアクセサリー類やコイン類も観るにつけ、カルタゴの人の色彩・デザインのセンスはとても洗練されていて高度だと思った。

残念ながら画像はないが、1章ではとても良くできたカルタゴの港の模型も展示されていて、興味深かった。カルタゴには最大200隻も格納できる円形の軍港と、建造、修理、停泊、乾ドックを備えた長方形の商港を備えていたそうだ。映像での解説も流されており、その規模の大きさとシスティマティックな構造にはただ驚くばかり。

Ⅱ ローマに生きるカルタゴ

第三次ポエニ戦争のときに燃え尽くされた後、最後には二度と草木が生えないようにとローマ軍に塩まで撒かせた古代都市カルタゴは、しかしローマ支配のもと更に発展し、文化は円熟期を迎える。

こちらのセクションに入ると、展示物の作風がガラリと変わり、ローマ風の白大理石の彫像群がお出迎え。そしてテラコッタの作品が続く。

『ローマ式ランプ』 (1世紀 テラコッタ)



ランプの起源は前2000年にさかのぼるが、完成されたのはローマ時代になってからとのこと。ローマ帝政初期(前1世紀末以降)に入ってからは様々な図像が描かれるようになった。中でも「見世物と港の風景はチュニジアで発見された1~4世紀までのランプに頻繁に現れる」と解説にある通り、20種類も展示されたランプには様々なシーンが。画像のモティーフは拳闘士。

しかしながら、こちらの章で一番の目玉は何と言ってもモザイク作品。黄色い壁のセクションに足を踏み入れると、大型の見事なモザイク作品がずらりと壁を覆い、圧巻。北アフリカは大理石の採石地が豊富だそうで、チュニジア北西部から多く出る黄色大理石はローマやコンスタンティノープルにも輸出されていたという。この石によりピンクのグラデーションが出せる、と説明にあったが、最初に出迎えてくれる『バラのつぼみを撒く女性』と『水を注ぐ女性』(共に5世紀前半、各190x140cm)の女性の裸体の美しい肌の色を観てなるほどと思った。1辺1cmのサイコロ状の石やガラスを敷き並べて作られた大画面の迫力を、失礼ながら博物館ではなくデパートの美術館で堪能できるとは思ってもいなかった。

『ネプチューン』 (5世紀末‐6世紀初頭)



263x263cmもある大画面の中央に、2頭の海馬(ヒッポカンポス)に乗るネプチューン。周りには様々な魚貝類がひしめき(よく観ると鳥も数羽)、とても装飾的に映える作品。ちょうど右目の瞳の部分が剥離してしまっていて、もし1㎤の黒の一石が嵌っていたらこのネプチューンの表情も格段によくなるのに、と思わずにいられなかった。

『メドゥーサ』 3世紀



浴場の舗床モザイクの一部。ウネウネと動く蛇の曲線も見事に表現されている。これが浴場の床にあったらちょっと踏みつけにくいように思う。

他にも大土地所有者の領地内で行われていた狩猟の風景を4連作で作成した『野ウサギの追跡』、『落馬する狩人』、『野ウサギの捕獲』、『狩猟からの帰還』 (3世紀末)もその躍動感溢れる表現が大変魅力的だった。



いつかチュニジアに行ってみたいなぁ。