l'esquisse

アート鑑賞の感想を中心に、日々思ったことをつらつらと。

石田徹也―僕たちの自画像―展

2008-12-17 | アート鑑賞
2008年11月9日-12月28日 練馬区立美術館



冬空の曇天が広がる冷え冷えとした土曜日の午後遅く、石田徹也(1973-2005)の個展を観に行ってきた。美術雑誌やテレビなどのメディアを通じてたびたび彼の作品を目にしたことはあったが、実作品を、しかも個展という形でまとめて観られる機会を今回初めて得ることとなった。

31歳で夭折したこの画家は、あんなに絵が上手なのに、ただでさえ短い制作活動期間の中であんなに苦しそうな絵ばかり残して、いったい人生に何を見てしまったというのだろう?という私の暗澹たる想いは、作品によってさらに深まったり、あるいは新しい発見によって少し楽になったりした。

 

石田の初期の作品では、たいていネクタイを締めたスーツ姿の若い男性が、車輪、飛行機、車両、学校の建物などに閉じ込められたり、合体していたり、何かを背負わされたりして、自由に動けずがんじがらめになっている。眉を八の字に曲げ、困惑し切ったような顔をしているか、あるいはすべてを諦めたような虚ろな表情を浮かべている。その奇想ともいえる発想に感嘆しつつ、コンピューターや携帯を持ち歩き、常に”囚われの身”である会社員として、自分も同じ視線で共感できる部分が多々あるともいえる。どちらかというと分かり易い作品群だ。

しかし年を追うごとに、石田作品はもっと深遠な、計り知れない絶望感を漂わせ、表現もより奇抜になっていく。2004年の『体液』では、男性が洗面台と合体し、目からとめどもなく涙を流している。その涙が溜まった洗面台の中には、1匹の三葉虫。虫類の苦手な私は、初めてこの絵を雑誌で観たとき、正直あまりに生臭い感じがして生理的に受けつけなかった。しかし実際の作品の前に立った時、三葉虫よりも何よりも私はその涙に胸が締めつけられた。泣き顔というのは、それまでの作品には観られない、ある意味とてもダイレクトで人間的な感情表現だ。それまで画中の男の人は、困り果てながらも感情を無理に押し殺して何とかやり過ごしている風だが、ずっと堪えてきたものがここにきて崩壊し、とうとう落涙に至ったように思えてならない。

後期の作品では、象徴的だったスーツ姿の男性が姿を消し、白いTシャツを着た普通の若い男性が主人公になる。彼もまた何かに悩み、怯え、苦悶している。病的に横たわった姿も多くなり、前期では感じることのできた、逃げようとする気力すら感じられない。最後の方に展示してあった、2004年制作の『無題』で、何もない部屋で壁にしなだれかかり、座っているというよりもやっと首から上を起こしているような男性は、もはやもぬけの殻といった態だ。Tシャツがめくれ上がった上半身、そして何も身につけず露わになった両ももの上には、目を閉じた死人のような顔がいくつも浮かび上がっている。まるで生きる屍状態。観ているこちらも息が詰まる。

ただし、同じ2004年に制作された『触手』と、やはり海を描いた『無題』は他の作品群と異なる印象を残す。『触手』では、透明なクラゲに包まれた男の子を女性が優しく両腕に抱くという絵。女性が額や腕に怪我を負っているのが暗い影を落とすが、ふわりとしたクラゲに包まれた男の子は安らかな寝顔を見せる。1997年制作の『クラゲ』に共通する主題に思われるが、子宮の中の胎児のイメージであろう。人間は疲れると海を見たくなるが、それは海の波の音が子宮の羊水の音に似ているからだと聞いたことがある。この世の苦悩を知る前の胎児のイメージを膨らますことは、石田にとってしばしの安寧を得られる、心の逃避だったのだろうか。

初期の作品に戻るが、1995年制作の、『ビアガーデン発』と『居酒屋発』の2 作品では、それぞれに登場する3人の男性が、驚くことに朗らかな笑顔を見せている。こんな絵も描いたのか、と一瞬思ったが、あとでこれは石田の本意ではないのではないかと思い直した。この2作品は、毎日広告デザイン賞優秀賞を受賞している。図録に収録されている横山勝彦氏(練馬区立美術館副館長)の”石田徹也論のための覚書“に、『当然のことながら、他人に受け入れられることを前提とするデザインやイラストレーションの世界では、注文主の意向など多様な配慮が要求される』とある。『イラストレーションの仕事をこなしながら、一方では、「自分のためだけによい絵を描いていきたい」との思いを強くしていったのではないだろうか』と。この2作品についての指摘ではないし、実際石田がどのような経緯でこの作品を制作したのかわからないが、広告デザイン用の、割り切った絵と私には映る。

また、石田作品には本人のサインが描かれていない。展示作品の中では唯一2003年制作の『無題』となっている、野原に立つ子ども(膝、肘、首などが切断されて体のパーツがずれていて、右腕は下に落ちている)を描いた作品に、落款風に四角く囲んだ徹也の朱色の文字があるだけだ。確かに現代作家の作品にはサインがないものが多いような気もするが、石田が署名を入れなかったこと、あるいはこの一作品だけに徹也と入れたのにも意味があるように思われる。そして具象画なのに『無題』が目立つのも特徴的。出品リストを見ると、大学ノートのアイデア帖を除いて72点の出展作品中、実に25点が『無題』だ。

今回実作品を目の当たりにして改めて気付かされたのは、その卓越した画力だった。石田は武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科を出ている。きっとデザインを学んだ人だからであろう、画面構成がしっかりしていて、細かい線描も正確で妥協がない。草や木、部屋の床や諸々の置物も写実的に丹念に描かれているし、消防士が赤ちゃんを助け出すシーンを描いた作品(2000年頃作 『無題』)に観られる、消防士の乗るゴンドラの、網目の防御カバーの描写など職人的ですらある。

アイデア帖として展示されていた大学ノートへの書き込みも大変興味深かった。「僕の求めているものは、悩んでいる自分を見せびらかすことではなく、それを笑い飛ばす、ユーモアのような物なのだ。ナンセンスに近づくことだ」という言葉は、こちらが作品から想像するほど石田自身が絶望感に捕らわれておらず、実は精神的に余裕があったのかと思わせる。イギリスかアメリカへの留学も考えていたようで、費用の概算や買うべき辞書なども几帳面に列記されていて、今後の活動への希望、期待、前向きさも伝わってくる。石田が海外に出ていたら、どんなことを絵に切り取っただろう?

1枚だけ展示されていた石田徹也の写真は、ごく普通の温和そうな青年に見える。でもその風貌からは想像し難い鋭い感性の持ち主であるこの画家が、もう二度と作品を生み出すことはない。それが非常に惜しまれる。