やおよろずの神々の棲む国でⅡ

〝世界に貢献する誇りある日本″の実現を願いつつ、生きること、ことば、子育て、政治・経済などについて考えつづけます。

【経済】 「ハゲタカ資本主義」を自由にさせてはいけない ~「倫理的・儒教的資本主義」の登場?~

2012年06月03日 | ~h27 政治経済

 このごろの地球上には、諸悪の根源になっている者たちが2種類いるように思います。
 利己的欲望(=カネや権力獲得)のために他人を意図的・計画的に踏みにじる、(1)《遅れて登場してきた、帝国主義で非人間的な悪の国家:中共の支配者たち》と(2)《非人間的資産家たち》。
 
いずれも、利己的欲望のために他者に対して《ごまかし、だまし、支配・抑圧し、最悪の場合は殺すこと》にためらいがない人間たちのようです。
 つまり、自分のカネとカネもうけを、ほかのなによりも最優先する「拝金主義者」たち

 
 ※「人間とはもともと性悪でそのようなものだから、”間”というのはまちがっている。」という人もいるようです。しかし、人間が80億人ほどにも増えて地球上で繁栄しているのは、倫理・道徳・社会規範・法令などの「共生できる思想」を発達させてきたからでしょう。

 一見、「農業や医療などの産業技術の進歩」が人口増加の最大要因のようにみえますが、もしも人類が今でも、ほんの半世紀ほど前までのように、大集団による奪い合い・殺し合い(=国家や民族単位などの戦争)をつづけているとしたら、このような「人口爆発」は起きていないでしょう。

 ですから、《倫理・道徳を無視するヒト》については、きちんと「非人間的」と呼んだほうがみんながよく分かるのではないかと思います。「人(にんぴにん)」でもいいですが…

 
かつて多くの人々が倫理・道徳を大事にしていたころは、人々の力で「人」「悪徳者」は軽蔑され、その活動はそれなりに抑えられていたと思います。商業的マスメディア業界(=新聞社、出版社、ラジオ局、最近はテレビ局)も、数十年前まではそれなりに倫理・道徳的判断を大事にしていたと思います。

 しかし、しだいに、堕落しつづけているテレビ業界や財界などの人間が、平気で恥知らずな=拝金主義の発言をする場面が増えてきたように思います。
 特に、アメリカ発の《「グローバル資本主義」・「市場原理主義資本主義」・「自由主義的資本主義」などの「ハゲタカ資本主義」》を強引に推し進めた、自民党の小泉政権のころにどっと増えました。まるで、彼らの興味・関心は「カネもうけ」にしかないように見えます。自分ではその異常さに気づかず(気づかないので)、とてもあっけらかんとしているのが特徴的です。


■「倫理的資本主義」「儒教的資本主義」の登場?

 月刊テーミス(THEMIS)4月号の、菅野英機氏の「ギリシャ破綻の原因は『大衆参加の資本主義」だ ~日本や東アジアの経済発展はものごとを歴史的に捉える儒教が礎石になっている~」という小論文から一部を引用・紹介します。

・個人主義とセットになった功利主義は、「自分さえ良ければ何をしても良い」という「エゴイズム」に変質してしまったのに対して、受給はこの近代化のもたらすマイナス面を適度に補う役割を持っていた。
 儒教は、過去と現在、未来を連綿と継続した線上で、ものごとを歴史的流れにおいて捉えることから「歴史的時間の重視と古代に対する尊敬」を生む。
 この思想は「持続可能な資本主義」をもたらす。

・孔子は、~~徳を中心とした政治を説いた。君子即ち指導者は、修養によって徳を身に付けねばならないとした~~。

・儒教は、「個人か全体」か、「個人か集団」かの二者択一ではなく、両者が「宥和」し、両立することを理想とし、「中庸」に徳があり~~。

・儒教の教えからすれば、マルクス主義のような階級闘争史観は誤りであり、「縁故資本主義」や「ハゲタカ資本主義」も誤りである。

・(アダム・)スミスの思想や儒教の教えからすれば「倫理的資本主義」が、世界共通の理想である。

儒教社会である東アジアが経済発展を果たした基本的要因は、教育の重視と勤勉なことである。さらに~~、政府は優れた指導力を持ち、特に日本は国民の統一性も高く~~、市場経済と政府・公共部門が巧くかみ合って高い経済成長を成し遂げてきた。
 現在の日本経済の停滞は、この点がぐらついていることにその原因がある。

これからの資本主義のあるべき姿は、儒教的資本主義であり、「儒教資本主義への回帰」が活路を切り開くことになる

 日本の企業はもともと「儒教的」であったと思います。
 それが、「拝金的」になった原因には、「アメリカ化=グローバル化=ハゲタカ資本主義化」の要因もありますが、最大の要因は政府の堕落だと思います。
 終戦9年後の1954年から1973年までの19年間の高度経済成長期から、その後の1990年のバブル崩壊までの約17年間のうち、少なくとも20数年間は、日本は《世界有数の経済的に豊かな国》でした。
 振り返ってみれば、政府も国民も、その間にしなければいけないことをせず、手抜きし、浮かれていたと思います。しなかったことのうち最大のものは《真の独立》です。

 この20年ほどのさまざまな「停滞」の根本原因は、(おそらくこれからの世界に大きく貢献できるであろう)独自の日本文明・文化・精神を軽視して、「日本的なるもの」を見失っていた(いる)ことにあるのではないでしょうか。

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