八尾北医療センター労働組合

藤木 好枝 執行委員長

8・8地域医療交流集会の報告(その2)八尾北医療センター院長 末光道正さんの講演 vol 4

2021年10月01日 | ともに生きる地域のみんなの団結の拠点をつくろう


都合により6回に分けてアップしています。vol1~3は9月に掲載しています。今回は4回目です。

(4)1980年代にはじまった新自由主義は

① 戦後の地域医療でみんなが闘ってつくりあげてきた公的なものを奪う攻撃でした。その狙いは、労働者のための施設を民営化して、資本家の富にかえることです。
同時に正規職を非正規にし、労働運動や解放運動を潰してバラバラにする攻撃です。労働組合と地域の団結だけが、これを打ちやぶる力だと確信し、2000年に八尾北医療センター労働組合を立ち上げて闘いました。国鉄の分割民営化を打ち破っている動労千葉に学んだのです。

② 国、大阪府、八尾市は嘘と騙しと脅しの、ありとあらゆる攻撃をかけてきました。
例えば私が60になる2003年に、勝手に定年制をでっち上げて、私を退任させようとしました。そもそもこの地域が被差別という理由で医師がこないのですから定年制はありませんでした。当然大反撃で姑息な狙いを粉砕しました。
既成のすべての解放運動指導部が八尾市と手を組んでいました。「大きな病院が引き受ける用意がある」との圧力も私達には通用しません。200人を超える結集で、利権のための民営化を止めてきました。
八尾市は2010年に、最後の手段に出てきました。診療所を明け渡せという裁判です。議員をしていた私を議会から排除して満場一致で採決したのです。私達は傍聴席を満杯にして闘いました。市長は警察をよべと言いました。八尾市議会はじまって以来のことでした。裁判闘争が始まりましたが、法廷はいつも満席。提出された命の訴えは300筆にも上りました。そして2012年記念すべき5月24日の判決で、私達は全面勝利を勝ち取ったのです。このように民営化攻撃と真っ向から闘って生き残ったのは大阪府下で解放運動をになう27医療機関で八尾北だけでした。