八尾北医療センター労働組合

藤木 好枝 執行委員長

八尾北労組の実践と末光院長のアピール

2020年08月06日 | ともに生きる医療・介護をともにつくろう

  8・1地域医療交流会で資料として配付しました。

 ▼八尾北医療センター労働組合の実践

 八尾北医療センター労働組合では、「コロナ問題についての見解」(4月9日)を出すのと前後して、具体的な対応が問われました。
新型コロナの感染が拡大する中で、熱がある患者さんが保健所に電話したところ「かかりつけ医に行くよう」指示を受け、実際に電話の上受診されました。「保健所の窮状の中で、今後もこうしたことがあるかもしれない」。労組執行委員会で議論を開始し、熱のある患者の一時待機場所としてテントを設置することを決定し(4月16日)、直接現場で対応する看護部・医事課の会議(4月20日)を経て、4月22日にテントの設置や掲示を一気にやりました。

 
  発熱外来のテントを立てました

 看護部での討議は緊張しました。不安から後ろ向きな意見が出ても仕方ないと覚悟していましたが、そうではなく「どうしたらやれるか」という立場から主体的な意見が出てきました。決起がはじまったのです。動線を分けることで他の患者や労働者の安全を確保するということで介護現場での会議も積極的な同意を得ました。
 元工務店の労働者は、見事なフェイスシールドや各現場にシールドを作り、現場からカッパや、ゴーグル、マスクの提供、役立ちそうなものを見つけて買ってくるなどの主体的取り組みが続いています。資本の強制ではなく、討論して団結することで、労働者の主体的な力が発揮されます。労働組合の意義が示されています。

 実際に熱外来が始まり、重要なことがわかってきました。近隣の病院で「聴診器を当てない」「のどを見ない」「熱で追い返される」ことが起こっているのです。
「初診時に診察でのどを見ない、聴診器を当てないというのは何もしないのと同じ。西郡の地域医療は聴診器一つから始まった(末光院長)」という経験から、熱のある人への対応を考えました。
八尾北では診察をしっかりやります。採血をする、のどを見る、おしっこを採る、血中酸素濃度を測るなどで、その熱がウイルス性か細菌性か、脱水によるものかおおまかな判断ができます。また、熱のある場合は特にですが、急変の可能性もあるので、早期発見・早期治療のために必ずフォロー体制をとります。電話で熱や体調の追跡調査をして状態を確認し、紹介状を渡した人にも「受けてくれなかったら八尾北に電話を」と最後まで付き合っています。これが極めて重要です。
こうした取り組みによって、今まで以上に家族構成などを深く知ることができています。コロナが不安で来ている人も、しっかり診察することを通して多くは不安が解消します。


保健所前を通るデモ ともに闘おう!とエールを送る(4/15)
 
 労組では地域医療を続けるためにどうすればいいかと何度も繰り返し討論し実践しています。天然痘で多くの西郡住民が医療から排除された歴史を私たちは今、労働組合の主体的な決起で塗り替えていける!と感じています。秋冬にはインフルエンザとコロナ感染の同時の流行が予想されますが、しっかり身構えていきます。
医療・介護の現場で奮闘され苦闘されている労働者のみなさん。現場に労働組合が必要です。労働組合の団結で自分たちの安全を闘いとり、誇りをもって働く職場を作り出しましょう。



▼末光先生からのアピール
 八尾北医療センターは八尾市の西郡(にしごおり)の村の中にあります。前身は、1951年に村の人たちが資材を出し合って自力でつくった西郡平和診療所です。66年に名前が変わり、幸生(こうせい)診療所になりました。70年代の後半に市営診療所建設運動が高揚しました。八尾市に八尾北医療センターを開設させたのは82年のことです。

●自力で診療所建設
 46年から47年にかけて大阪で天然痘(てんねんとう)が流行しました。そのとき、ここが被差別だからと一般地区に感染が拡大しないよう八尾市と保健所が住民を村の外へ出さずに隔離しました。住民は、ほとんど治療も受けられずに200人が亡くなりました。大半は子どもたちでした。
 西郡の人びとは本当に悔しい思いをしました。こんなことは二度と繰り返したくないと診療所をつくり、医者も捜してきました。60年代初めの頃は、西郡の乳幼児の死亡率は全国平均の2・5倍で、平均寿命は32、33歳でした。
 私は70年安保闘争の時、京大医学部でバリケードストライキを闘っていました。そこに西郡の人びとが来て、「一緒に差別と闘ってくれる医者はいないか」と呼びかけられたのがきっかけで、西郡に来ました。そして、「ここにはロシア革命の炎が燃え続けている」と感じ、たった1年で私の人生は変わりました。74年から常勤医になりました。

 
  診察室で 

 八尾市は1990年代から民営化、明け渡し裁判、倒産攻撃など、あれこれ画策して診療所をつぶそうとしてきました。しかし労働組合と地域住民が力を合わせてはね返しています。八尾北医療センターは、労働組合が医療介護の現場の全てに責任をとって、生き生きと運営しています。

●資本主義社会がすべての問題
 「風邪は万病の元」と言われています。十分に睡眠がとれないとか、栄養がとれないとか、今の社会の中で体力が弱ったときに風邪を引きます。それがきっかけで、元々ある病気が重症化するとか、時には命を落とすとかいうこともよくあることです。
 ほとんどの風邪はウイルスが原因です。ウイルスが原因で、風邪引いたら簡単にお母さんたちはすぐに「抗生物質ください」といいますが、実は風邪の初期には抗生物質は効きません。3・4日は寝て休んで自分の免疫力でウイルスをやっつけてまた元気になります。
 思い返したら私たちが子どもの頃は、ワクチンもなかったし、薬もアスピリンくらいしかありませんでした。氷嚢でお母さんに頭冷やしてもらって、ものすごくしんどい最初の2・3日が過ぎたら急に幸せな気分になる。あんなこと何回も繰り返してここまで元気にきました。ある意味では、ウイルスのおかげでふだん無理していたことをちょっと休憩して、学校も休んで、次に同じウイルスが来てもそんなに高い熱が出ないように免疫をつけるということを、いままで繰り返してきたということです。
 ウイルスと人類は共存してきました。ウイルスによって進化も遂げてきました。だからウイルスを悪者とだけ見るのではなくて、普段無理しているから症状が悪化し、ウイルスが暴走する、無理を続けているあり方こそ、ストップしないといけないと見るべきです。
 今回の世界的流行(パンデミック)も、私たちの普段の生活(新自由主義的な生活そのものなんですが)が行きづまっていることを警告しています。今までのやり方ではもうダメですよと。だから 普段から免疫力を高める生活様式、食事・運動・睡眠とか、お互いに助けあって、休んだ時には代わりをしてあげる余裕とかを、もっと重視しないといけません。変えるべきは今の社会のあり方であり、資本主義を変えるというところに転換しないといけません。

●命を支えあうのが地域医療の原点
 地域医療というのは、本当は聴診器一つです。ノドをちょっと見る、お腹が痛いときは実際お腹をさわるとか、ほとんど検査なしでやってきたと言う歴史があります。
 大きな病院では「変化」については継続してみないから見逃すことが多い。だけど地域医療の場合には、患者さんが来られた時に、顔見ただけで前と違うな、どっかかわったな、体重1㎏増えたな、減ったなと、ずっと診ているのでよく分かります。ましてや地域では、その人を色んな職種の人が診ています。自分も患者さんから診られているんです。「先生やせたん違う」とか。お互いに知っていることを話すことで、その人をつかむことができます。
病気に対しても健康に対しても本で見た知識通りにはいきません。ひとり一人違うわけですから。その人その人の変化を普段からつかんでいくのが地域医療だと思います。今回あらためて「ああ、地域医療やってきて良かったな」と、新型コロナウイルス感染症の中でも、ここの原点は生きているんだと思いました。

●労組の仲間と共に闘いたい
 
 
  八尾市抗議行動(4/15市役所前)

  新型コロナウイルス感染症は、医療、経済を含む社会の全てが崩壊していることを突き出しました。一切の原因は、世界をのみ込んで、民営化と非正規職化を進めてきた新自由主義です。新自由主義は完全に崩壊しています。その責任を、「緊急事態宣言」で労働者階級に押しつける安倍首相や小池都知事は許せません。
 コロナショックで、世界経済は2008年のリーマンショックを超える大恐慌へと進んでいます。世界戦争の危機が迫っています。労働組合の団結で止めましょう。
 西郡では一番切実だった医療から闘いが始まりました。そこから仕事や住宅、保育や教育と、あらゆるもの、奪われたものを取り返してきました。
 新自由主義によって崩壊した医療を取り戻しましょう。保健所、国立感染症研究所、公立病院なども。何もかも奪われ、崩壊したところから、新しい社会をつくる闘いを始めましょう。
 その闘いが世界中で始まっています。国境を越えて世界の労働者と団結しましょう。私も八尾北労組の仲間と共にその先頭に立ちたいと思います。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。