東京下町・新小岩駅の不動産屋二代目のつぶやき

東京の下町・葛飾区新小岩で今年創業49年を迎えました不動産屋の二代目が気ままに書き綴った独り言ブログです。ブツブツ・・・

落語:「最前列での落語鑑賞」

2008年07月23日 10時34分10秒 | 落語と芝居の話
先日掲示した「大銀座落語祭2008」のグランドフィナーレの当日を迎えた。開演10分前に到着した新橋演舞場はもうかなりの人で即日完売したのも頷ける。今回の席はな、なんと一番前の列でさらにど真ん中の席だった。私だけに演じて貰っているように視界を遮る観客もおらず、演者とは目が悪くなりそうな程の近距離でほんの少し緊張した。

出掛ける数日前に私の好きな朝日新聞夕刊の「正蔵のTOKYO歳時記(7/17)」には下記のようなコラムが掲載されていた。

今年で最後となる大銀座落語祭。そのグランドフィナーレの舞台が新橋演舞場に決まると、小朝兄(あに)さんから電話が入った。「鹿芝居をやってほしい」。鹿芝居とは「はなしか芝居」から来た言葉で、文字通り噺家(はなしか)が演じる芝居。ひと昔前まで盛んに行われ、ギャグをたくさん入れ笑いをとるように演じる「茶番」タイプもあるが、ふざけずに噺家が一生懸命演じて面白みをかもすスタイルが本来の鹿芝居だというお師匠さんもいる。演目は『勧進帳』をという注文。しかも私に弁慶をやれ、と。

 坂東三津五郎さんに相談した。三津五郎さんは弁慶、義経、富樫の3役を演じたことのある数少ない役者さんである。「ぜひおやりなさい。きっとあなたの財産になります」と言ってくださったが、二つの条件を出された。一つは市川団十郎さんの許可を得ること、もう一つはたっぷり稽古(けいこ)をすること。

 団十郎さんにお話しすると、「どこの寄席でやるの?」とニコニコ。「実は演舞場で」と言うと、アハハと笑ったかと思うと急に真顔になり、「どうぞ『勧進帳』としておやりください」と言ってくださった。

 それから3カ月。毎朝2時間、踊りの稽古に励んだ。他のキャストは、義経に三平襲名を控えた弟のいっ平、富樫に桂米団治襲名を控えた小米朝さん。3人にとっては襲名の安宅の関といったところ。弟の家来という役どころは、ちょっぴり変な感じ。舞台稽古に熱が入ると三津五郎さんが「左足をかけて回って、トン」と指導するのだが、この「トン」がわからない。私が「トン」と声を出すと「そうじゃない、トンで足をトンと踏むの」。

 衣裳(いしょう)づけの稽古日が来た。私が踏ん張って立つと5人がかりで衣裳をつけてくれるのだが、これが重い。15キロはあろうか。両足に1枚ずつ畳を張り付けたようで、歩くだけで息が切れる。しかし姿見に映った“弁慶”を見て、私は思わずうっとりした。とうとうここまで来た。

 役者によって力強い弁慶、凜々(りり)しい弁慶、悲壮な弁慶と様々だが、三津五郎さん、「こんなポッチャリした弁慶、見たことない」とうれしそうに言う。新橋演舞場に21日、いらっしゃるお客様、大向こうから「いよっ、ポッチャリ弁慶」と声をかけてください。

第一部はその正蔵が武蔵坊弁慶を演じる「勧進帳」で、弟のいっ平が源義経である。兄弟での歌舞伎である。「いよっ、ポッチャリ弁慶」と声を掛ける勇気はなかったが、正蔵の弁慶はコラムに書いてあるように本当に凛々しく、とても格好良かった。

第二部は桂三枝と笑福亭鶴瓶の二人会の落語だった。二人以外にも四代目三遊亭金時を父に持つ三遊亭金時(彼のHP「三遊亭金時」 にもこの夜のことが掲載されていた)、人間国宝五代目柳家小さんを伯父にもつ柳家花緑(かろく)がそれぞれ華やかに高座を務めた。

最後は舞台に六人会全員が揃った。今回で銀座での開催は最後だが、来秋は宮崎で開催されるとの発表があり、観客を含め全員で三本締め。心地良い気分で会場を出ると楽屋口に人だかりが出来ていた。すると先程の出演者たちが出て来た。おぉぉ~思わず三枝師匠と握手してしまった。

この夜は私ひとりでの鑑賞だったがそれはそれは乙な夜だったな~



有限会社やな瀬不動産

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 罰金の遣い方 | トップ | 梅干職人~本漬編 »
最新の画像もっと見る

落語と芝居の話」カテゴリの最新記事