一時期、ペンで字を書くよりもキーボードで入力するほうが思考を書き留めるスピードにより近いと思い、PCでいろいろと書き溜めていたのだが、ここ最近またノートや手帳に手書きのスタイルに戻ってきている。
一つは眼が、ね~。やっぱりPCは疲れるんだよねー。肩も凝るしねー。何より、漢字が書けなくなる。なんだかんだいって、意外とユーザーの体への負担は大きい気がする。(電気代もかかるしね~)
そこいくと手書きは、書ける場所さえあればどこでもOK。ペンと紙があれば、いつでも書き留められる。しかもレイアウトも自由自在。矢印でひっぱってつなげたり、欄外にちょこっと好きな級数とフォント(笑)で書き込めたりする。あのフリクション様さえあれば、ペンでも消すのは可能。
思考を文字にするスピードも最近はバランスがとれてきたらしく、むしろ紙に書いている時の方がつながりやすく、広がりやすい気がする。お気に入りのカフェで、一旦あるタイミングで本を置いて、もやっとすることを書き始めると、1時間もするとだんだんもやもやの正体が明らかになってくる。やがて一定の結論に達し、気持ちも深いところで落ち着いていることに気がつく。これはものすごいいやしの効果で、気持ちや物事の整理をするのに役立つ。
改めて書いてみると至極当たり前のことなのだが、手書きに戻ってきた今だからこそその有り難さが再認識できるのだろうなあと思う。
で、今日何を書いてどういう結論に達したかは、また後日書きますね。
一つは眼が、ね~。やっぱりPCは疲れるんだよねー。肩も凝るしねー。何より、漢字が書けなくなる。なんだかんだいって、意外とユーザーの体への負担は大きい気がする。(電気代もかかるしね~)
そこいくと手書きは、書ける場所さえあればどこでもOK。ペンと紙があれば、いつでも書き留められる。しかもレイアウトも自由自在。矢印でひっぱってつなげたり、欄外にちょこっと好きな級数とフォント(笑)で書き込めたりする。あのフリクション様さえあれば、ペンでも消すのは可能。
思考を文字にするスピードも最近はバランスがとれてきたらしく、むしろ紙に書いている時の方がつながりやすく、広がりやすい気がする。お気に入りのカフェで、一旦あるタイミングで本を置いて、もやっとすることを書き始めると、1時間もするとだんだんもやもやの正体が明らかになってくる。やがて一定の結論に達し、気持ちも深いところで落ち着いていることに気がつく。これはものすごいいやしの効果で、気持ちや物事の整理をするのに役立つ。
改めて書いてみると至極当たり前のことなのだが、手書きに戻ってきた今だからこそその有り難さが再認識できるのだろうなあと思う。
で、今日何を書いてどういう結論に達したかは、また後日書きますね。