まねきネコのバリで子供と大騒ぎ

まねきネコのバリ島生活21年 子供の事や吉川晃司さんの事・・を気の向くままに。

カルカッタ

2010年07月31日 | 日記
到着して大洪水の翌朝は、一様水が引き地面を見ながら歩ける状態だったけど、
良く考えるととても不衛生。でも食べる為にどこかへいかなければならない。
街はとても都会で、バリで言うとバイパス通りの広さ(交差点はもっと広く、とても横断できそうもない幅)
の道脇に、1円玉色のコインだけを大量に並べてしゃがんでいるおじさん(両替?)がいたり、
欠けた鏡を木にぶら下げ、大人二人がしゃがんで向き合ってひげ剃っている床屋や
何故か公共の場所にある井戸から水を汲み出しマンディ(水浴び)している人たちがいたり、
驚きの連続だ!
マンディは、暑いから水浴びするのではなく、今日の汚れを落とすべくその日のお風呂感覚で体をこすっていたりする。田舎の川ならバリでも同じ光景が見られるかもしれないが、バイパスのような大きな道の脇で見られるとは...

黄色と黒の同じ車ばっかりで、どれも年季が入ってて、それに混じって、リキシャのおじさんたちががんばる街。
インドではお余り女性に会わなかった。女性は主婦で家の中にいるのだろうと勝手に想像していたけど、サリーを売ってる市場やブティックなどに行けば、もちろん女性もいた。

印象的には、おじさんしかいないように思うけど、色が黒く年齢不詳。
表情に貧困がにじみ出てるというか(←ごめんなさい、勝手な想像です)怖い印象が強かった。

でも、レストランらしき所はあるし、特に困らなくて、通過地点だったので、
夜行列車でブッダガヤ目指し出発。ここで驚いたのは、ものすごい人の多さ
こんなに大量な人間の群れを見たのは、吉川○司のコンサート以来だな...(雰囲気ぜんぜん違うけど...)と思いつつ
皆何してるんだろう、どこへ行くんだろうと不思議だった。
明らかに、チャーイ売りとか、どこに行くわけでもなく、寝泊りしてそうな人もいた。

チャーイ売りの人は、両手を交互に高く上げて、上手にスプーンなしで混ぜるんですよね。
一度やってみたら、こぼすほうが多くて、素焼きのおちょこにほとんど中身が残らなかった。
トホホだけど当たり前。あれは技術だと感心してしまう。









バリ島の次のインド

2010年07月31日 | 日記
昨日はまたもやネット回線が不通...本当は主人との馴れ初めを記そうかと想っていたけど、途中でプツッと切れたので、これは、書いてはいけないのかな?と勝手な判断で、内容変更。

今日は、サラッとバリの事。2度目の日本脱出買出し旅行。
今回は、ロイヤルブルネイ航空という今まで知らなかったエアラインを使った。
ブルネイのバンダルスリブガワンという、一回では覚えられないような首都2泊経由の旅。
どうせ行くなら、2泊じゃなくて1週間ぐらいは射ないと見られないかと思い、
格安チケットカウンターのお姉さんにその旨伝えたら、「小さな町なので、2泊で充分ですよ」という返事。

じゃあと信じて到着したら、本当に徒歩で回っても1時間かからない程度の広さだった。
でも、到着したのは夜遅くだったので、YMCAのスタッフ起こして無理やりチェックイン。(ごめんなさい

翌日、フラフラ散歩して大きなモスクをみつけたくらいで、街は、
アタッシュケースを下げたビジネスマンと、高級車ばかり。
その高級車に乗っている人100%イスラムのターバンや布を巻いた人だったので、
異常に見え驚いた。(←現地では当たり前なはずですね)
何故かその時は、何を食べていいか迷ってしまい、結局マックに入った弱気な私だったりもした。

ここは、観光地ではないんだと改めて思い知らされた気がしたな。

そして、バリ。
ベモ(乗り合いミニバス)の運転手さんにクンバサリ市場の近くの安宿を紹介してもらい、
辿り着いた今の家。同じく宿に泊まっていた、ローカルの買い付け商人がいて、
スカワティ市場へ同行してもいいとの事で、道に迷う事無くいろいろ買出し成功。
でも、ジャムー漢方を毎日奢ってくれようとするのが怪しかった(←効能の内容が特に怪しい)ので
早々に離れて過ごし、風邪を引いたり、お寺に行ってみたり、サロンの便利さに惚れ込んで
何枚も買ったりしていました。

そしていよいよインド。

前回金銭的に行けなかったので、敗者復活とばかり、張り切ってバリ島を後にしました。
関空に到着し、ここで一晩過ごすのですが、午前0時を過ぎるとさすがに誰もいなくなり、
大荷物で寝床を探している状態は、非常に怪しかったと思います。
でも、誰にも声をかけられる事無く、到着ロビーの広ーいスペースをもてあまし...
(って言うか誰も怪しくて声なんてかけたくないって事ですよね...)

でも、折角決めた寝床はトイレの前のベンチ。そこに行き着くまでに別のベンチに陣取っていたけど、
北ウイングか南ウイングのどっちだったか忘れてしまったけど、ゲートを占めるとアナウンスが入り、移動した場所がそこ。

大きすぎる荷物は、目隠しになるし、誰も持って逃げられないだろうと安心して
バリで購入のサロンを毛布代わりに熟睡。

翌朝、顔を洗って出発ロビーへ。
まず、2度目のバンコク、カオサン通りの今度は違う宿へ決め、インドのビザを取る為にインド大使館目指しました。
又節約の意味で、バスが良いと思いトライしますが、バスの前の行き先がタイ語なので、ちんぷんかんぷん。
ガイドブックでバスの番号調べてバスの数字だけで乗り込み、
降りる場所をずっと呪文のように唱えているものの、不安になり、
何度も運転手さんに聞いたりしながら何とか辿り着いた。
(必須、いつも一番前の運転手さんの隣に座る!)

申請と取りに行くのに、2度足を運んだけど、方向音痴の私2度目もドキドキでした。

さて、バンコクで一番怖かったのは、道で声をかけられたおじさんの言葉。
「カルカッタまで行く格安チケットが知り合いのつてで半額で買える」という。
もちろん怪しいと思って断ったけど、本当だったらいいナという気もあったので、
「もし気が向いたらね」という断り方をしたため、「じゃあ明日返事を聞かせて」ということで、待ち合わせ場所の指定をしてきた。

ほぼ行く気は無かったので、「はいはい」と聞き流し、宿で旅の人たちに相談したら
怪しいに決まってると全員一致で反対。
このことは忘れようと思って、そのままにしていたある日、道でばったり出会ってしまい
「どうしてこなかったんだ!」と怒り出す始末。


そんなこんなで、やっとこさインドのカルカッタへ到着。
数名の日本人が同機に乗っていたので、安宿街までタクシーの相乗りをして、宿にチェックイン。

その日の天候はすごい雨で、いきなりひざまで浸水する道の中をジャバジャバ歩かないと宿に入れない状態。
雨季のスコールで一気に洪水になる激しさ。
今なら、めげそうだけど、その時はやっと着いた嬉しさと、周りの景色に感動して
厚紙の裏にカルカッタと書いて、ベットにカメラを置き、その高さで写るようにしゃがんで
セルフ記念撮影をしてしまいました。

見るものすべてが被写体のような衝撃は、忘れられない...

その後、血便を出すような体調になるとは思わず感動の日々でした。

長所と短所とバリ島

2010年07月29日 | 日記
日本での仕事は、やりがいがあって責任が人一倍かかって、時間を惜しまず
常に前進する為、努力を続ける毎日だった。独身なら、終電で帰ろうとも、何の問題もなく、こなせるけど、やっぱりやりすぎるのは良くないと思う。何かを犠牲にして何かを得るようでは、後で後悔の素になりかねない。

まして、主婦の身では、朝晩の家事がこなせないスケジュールはありえない。

基本的には、やらないより何でもやってみる。したいと思うことは必ず出来るし、
願いは叶うと信じたい。深く考える時間があったら、とりあえず行動してしまうので、
人から見たら、落ち着かないし、無駄が多く、おおちゃくで、いい加減に見えるかも。

「バリは毎日、日曜日」って言われるけど、本当に、急いで家事をこなす様子は”はしたない”らしい。
貧乏くさく、エレガントでないので、非常に良くないと、義理母から言われます。
急いで注意されるとは思わなかったな、始めの頃...(←職場は別ですよ。)

バリに嫁に来て専業主婦から、アパレル工場、旅行会社、病院通訳、ウェディングコーディネーター、
会社員といろんな人と接触してきて感じるのは、
「人の短所なんて、長所が少し行き過ぎただけ」という事。

そう思えば腹が立つことも減る気がするけど、子供に何度言っても、無理のようだ。
嫌なことを見ないで住済むならどんなにいいか...

毎日子供たちが、飽きずにケンカするけれども、理由はちょっとした事ばかり。
テレビチャンネル、冷やかし、ちょっかいを出すなど、嫌な事された仕返しだったり、
それを目の当たりにしていると、いつか大人になったらもう少し穏やかになるだろうか?
と不安になる。

病気になると、ばかでもいいからどうか元気でいてね
と思うけど、普段は迷惑かけるような子になってはいけないとか、
物事の判断が出来る子になって欲しいとか、欲は尽きない状態です。

「自分がされて嫌なことは人にしない」
とか、絶対に当てはまらないですね、(うちの子だけか???
何か言うたび、「だって○○(←兄とか姉とかの名前)が前...」と始まりますから。

すみません。こんなうるさい毎日ですが、懐かしく昔の写真を見ると、超!かわいくって
イライラ吹っ飛びます。



日本で仕事を再開し数ヶ月した頃、だんだんと私の居場所はここではない...と想う様に感じてしまいました。
実家は居心地良いし、対人関係問題ないのですが、
日本で欲しいとか、魅力を感じる物がないと思い、アジアにひきつけられました。

アジアで出会った雑貨や布は、使うほどに味を出しなんともいい感じがして
休日は、アジア雑貨店ばっかりうろついていた。

なので、又、全財産を持って東南アジア・バリ島へ買い出しツアー(一人で)決行。
なぜバリ島かときかれても分からないんですが、しいて言うならひらめき。
バリ島2ヶ月のチケットを取って準備している途中で、折角なので、インドにも行きたくなり、チケットを調べるも、バリ島からインド行きは高いし、種類もない。
バリ島行きは、キャンセル料が発生する時期に迫っていたので、仕方なく一旦日本へ戻り
そのまま関空から実家に帰らずバンコク行き往復をする事にした。(往復交通費節約)

このあたり、とりあえずの行動が、自分の首を絞めることになっているのだけど、
嫌な事(損した事)は、忘れる事に。考えて変わる可能性があるならまだしも、
過ぎたことは、一晩たてばほぼ忘れている脳天気さなので、問題なし。
いよいよ運命の2度目のバリ島出発です。


日本での仕事再開

2010年07月28日 | 日記
24歳で日本を離れて1年と数ヶ月。
久しぶりに日本へ帰ってまず親が驚いたのは、
私が自分が食べた食器を、すぐ洗う事だったと聞いた。

私の母は、年中タオルを首に巻いて、汗だくでサッササッサと動き回るタイプなので、
食後すぐ食器も洗ってしまう。

私の場合、皆が食事を終えてもうこれ以上、汚れ物がない状態で一気に洗いたいタイプ。
その時差が、今まで私が洗うチャンスを逃していたのだと、最近気が付いた。

でも、バックパッカーは、自分が食べればそれで終わりなので、いつまでも共同の食器を
汚しておくと迷惑なので、すぐ洗う癖が付いていたみたい。

そんな些細な変化を遂げつつ、ぶらぶらしてるのはもったいないので、
お金もないし、すぐ仕事探しを始めました。
偶然にも徒歩2分の美容室に決定して喜んだのもつかの間、
開店前の練習と、閉店後のトレーニング(練習とトレーニングは同じ?)勉強会、休日はセミナーと
息つく暇もなく動き回る生活が始まった。

旅では、「今日は、郵便局」「今日は、ビザを取りに行く」「買い物」
...と、1日1つの用事しかこなさない生活だったから、一気に昔に戻ったようなパターン。
帰りは11時が普通で、8時間労働なんてありえないし、立ちっぱなしで食事も不規則。
でも、楽しかった。たった8ヶ月だったけど、2年分ぐらいの充実感。

その美容室から、研修旅行でハワイ行きがあると知り、入社して間も無い私は
実費を少し払わなければ参加出来ないと言われ、迷った挙句、参加しましたよ。

今までの旅とはぜ~んぜん違うタイプの旅行に違和感を覚えつつも、
こんな機会がなければ絶対にハワイには行かないだろうと思って、満喫

日本語上手なハーフのガイドさんが乗ったバスで観光したり、ワイキキビーチが一望できる
地上20階位のホテルの部屋だったり、と~~~っても贅沢


サイズがでっかいコーラに驚いたり、ビーチ沿いの散歩、かわいいポリスカーの写真を撮ったり、
とっても新鮮で印象深かったけど、
店長の趣味の空手のトレーニングの為に、ジムに行った時は、ヒ弱そうな体型の女の子が
ゾロゾロ入ってきて、適当に好き勝手にマシーンをいじってお試しするもんだから、
マッチョーな常連さん達は、さぞ迷惑だった事だろうと思う。

一様スタッフ全員、空手習っているんですけど(←習わされてる?といったほうがベターかな?)
その為に、ビーチでスクワットだとかダッシュとかえらいメニューもあって、
楽しいやら、うるさいやら、せっかくの買い物も、「1時間だけ
って具合で、又も修学旅行のノリ

背もその1時間で大好きなブーツを絶対買うと決め探したところ、気に入ったものはサイズがなく、時間も迫っていたので、24cmの私ですが、25.5cmのウエスタンブーツ165ドルなりを買いました。
ただ残念なことに、結婚、出産して、しばらく(←数年)履かずにいたら、
大事に置いてあるつもりが、見事に硬~くなっていた。

ここはバリ。常に湿気が90%のしかも下駄箱の中。
革製品は、使い続けなければカビカビになる事間違いない状態。
何度も拭いたりいろいろ試し、履けるようにしたけど、両側から押しつぶされた後が
固まっていて、足首が痛い。

どなたか一度カビて硬くなったブーツを復活させる方法を知っている方がいらしたら
教えて頂きたいものです...

帰りの飛行機、時差ぼけ防止に「寝てはいけない」と思い込んでいた私。
一生懸命、機内で起きていたのに、結局しばらく寝不足という、間抜けな体験をしつつ、
ハワイの旅は終了。

そういえば、初めてボディーボードを試そうと、ボードだけで沖に出ていたら、
フィンもつけずに危ないと注意された事があった。
そして、浅瀬で上下が分からなくなるほど波に飲まれ砂まみれになった事もあった。
はっきり行って間抜けではなくただの無謀ですよね。

一応、自覚しています...(反省)無茶はだめですネ







バリのねずみ

2010年07月27日 | 日記
もう、ここ数日電話回線自体が繋がらず困っていたら、
家の中の配線をねずみにかじられていた事が判明
修理に1500円もかかって痛い出費です..

でも、気を取り直し、バンコクから成田の旅。

チェックインカウンターで荷物を預ける時、計ったらなんと60キロありましたが、
皆、大荷物で乗り込んでいて、ぜんぜん目立っていなくてびっくり。
並んでいる時は、荷物の少ない人に頼めないかな…とか心配していたのに
重さなんて気にしていない感じ。

いつも、荷物が多いと、制限は本人の体重を入れて100キロまでとかにしてくれればいいのに
と、いつも思っていたので、オーバーしてるのにスルーは大変ありがたい。

でも、後からじっくり考えると、「皆がオーバーしていたらえらい事になってしまう。」
という事にどうして気が付かないのか不安を覚えます。(じゃあお相撲さんはいつもオーバー?とかも)やはりそこは航空会社ならでは?

早朝というか夜中の3時ぐらいの飛行機なのに、真夜中にちゃんとカオサン通りから空港行きの
バスがあって納得したり。←バスは青かったけども…何故か鮮明に覚えている。

で、無事成田に着き、今回はニュージーランドで一緒で先に帰った友達の家に
お泊りさせてもらう予定だったので、いつもの宿探しをせず、待ち合わせ場所へ向かう為に
荷物を実家に送る事にした。

1年と数ヶ月前、日本出発前に購入したバックパックは、オークランドで泥棒に採られてしまったので、友人から中古を譲ってもらった年季入りを使用していた。
忘れもしないグレーの布でガバッとファスナーが開くので、空港内の郵便窓口の前ベンチにて、
送る荷物と持って帰る荷物の仕分けを始める事こ1時間。
やっとまとめてカウンターで、「船便でお願いします
と張り切って言うと
「えっと…陸続きですよね?」

と聞かれ、私はてっきり、”飛行機での郵送より船のほうが安い”
という基本?に基づき、船でとお願いしただけなのに、トラックで郵送とは思いもしなかった(赤面?)そんな方法があったかと、驚いた。
でも、その窓口の人の方が、なぜ船で?と驚いただろうに…

この時は、友人宅と親戚のおばの家に泊まった後、友達の彼氏のトラックに便乗して
実家まで帰る予定だと、すっかり忘れていた私。
本当にお間抜けでのん気この上ない。

ここでの友人との再会はとっても楽しかったけど、その友人宅で
久しぶりに湯船につかり、自分が出た後の湯船を見て仰天し、恐縮したのは
絶対忘れられない。何ヶ月も水シャワーだけだったので、
お湯だけでも幸せなのに、湯船まで入らせてもらって
風呂掃除をする事もなく、おいとました私を、どうか許して頂きたいと願って止まない…

人生であんなにたくさんの垢は、見た事がないと言い切れる

しかし、久しぶりの日本で何が嬉しかったかといえば、
電車から見える景色、といっても、広告とか看板とかが全部日本語ですらすら読めて
知らない人が近くで話している内容が良く分かてしまったり、
100%日本語の中に混じっている安心感。新鮮だったな。

周りからは、窓を見てニタニタ嬉しそうにニヤつく危ない人に見えたかもしれないけど...


そして一旦、旅は終わります。
そう、一旦なのです。

ここから、日本の生活を再開。仕事をしてお金を貯めようと思う日々が始まりましたが、
今度は、自分の居場所が日本でないと感じ始めるまで約8ヶ月。
朝から晩まで働きますが、その中にもいろいろありました。
ハワイに研修旅行、空手を習ったり...は、次回。