まねきネコのバリで子供と大騒ぎ

まねきネコのバリ島生活21年 子供の事や吉川晃司さんの事・・を気の向くままに。

前回の続き

2010年07月23日 | 日記
又、途中で回線切れのため、全くタイトルと関係ない内容しかかけなかった一昨日。

本当に書きたかったのは耳掻きを買った帰り、あまりにウロウロした為
宿まで帰れそうになく、あてずっぽうで歩いた後、工場らしい門の前にいた警備員さんに
宿のある通りの名前を聞いたところ、すぐ近くと嬉しい返事が返ってきて
思わず満面の笑みで「サンキュー!」とお礼を言うと
相手もにっこり笑顔で

「ベリーマッチ!」


と、何の疑いも抱いていないそぶりで、返事をもらった。

一瞬、あまりにしっくり来る返事だったので、気がつかなかったけど、
はっきりと認識した後やってきた爆笑…

と言うお話でした。

と言うのが一番面白かったジャカルタ。
ここから又、シンガポールに飛び逆戻りをしながら、タイのバンコク目指し、ぼちぼち進んでいきました。

クアラルンプールからバンコクまでは飛行機で、首都巡り的な旅なので、
ぜんぜんバックパッカーっぽくない用に聞こえますが、かなり見た目は汚く荷物は既にかなりの量。
送るのももったいないので、引きずって最期のバンコクでは思いっきり残金使ってしまいました。っていうほど残っていないけど。

空港からバスでカオサンの安宿街に到着すると、日本人の女の子に
「私が泊まっていた安くていい宿あるよ」と声をかけられ、行って見ると明るいさっぱりした宿
だったので、「じゃあ」と決定。

でも、良く見るとそこは、ドミトリーと呼ばれる大部屋にも及ばない
広い階段の踊り場に置かれた二段ベットだったと気が付くのは、その後のこと。
私が、二段ベットの上段に荷物もあげて、唯一のプライベートスペースで手紙を書いていると、
到着したばかりの白人兄ちゃんから「そこ大丈夫???安全?」

と、きかれ、そういえば部屋ではないな…と。

気に入っていたので、それ以外を見ていないから、もっといい部屋があったかもしれないけど、
「え、危ないかな?」
との返事に苦笑いをしていた兄ちゃんのカオは印象的だった。

そこは他より安買ったけど、後で納得。
又、声をかけてくれた女の子のように、街で客引きをしている人はたくさんいて、
なんでもお客さんを連れて行くと、自分の分が安くなるか、ただ同然になるそう。道理でがんばるわけだ。
偶然ではなく狙われていたのだと、思い知った瞬間でもありました。

自分さえしっかりしていれば、大丈夫かなとは思うけど、
周りには日本では想像できない罠、危険がいっぱいあるのだと知った時期でもあったな。

一様、ワット○○とか(名前覚えてないし…)観光もして、
お気に入りの写真も1枚取ってもらえた。よくある銅像の前で同じポーズってってやつです。

後は、お昼ご飯を買いに行く所の、バリで言うならナシチャンプル屋さんに置いてある
プリンが、異常に気に入り、食べるのが日課になり、終いには2切れ頼むようになり
でも名前も材料も知らぬまま帰ってきたのが心残り。
今思えば、どうしてタイ語を一言も覚えなかったのか、自分でも不思議でしょうがない。

屋台のご飯は指差して、「あれ
後は英語かジェスチャーで何とかなってしまうところ。

タイ式マッサージも重いバッグを背負った後には、とても心地よく
何度も”痛気持ちいい”を体験できました。
でも、マッサージ台は、あまり奥の方ではなく、店の入り口に近い明るい所の方が
お薦めです。なぜって、蚊がいっぱいいて、痒くて気持ちいいどころじゃなくなるので


そしていよいよ日本に向け、バングラディッシュエアラインの次に安い
パキスタンエアラインで東京へ1万円の旅?





ジャカルタのある人に大爆笑

2010年07月21日 | 日記
ジャカルタの安宿街を拠点に何をしていたか、あんまり覚えがない。
それだけのんびりしていたのだと思う…
食べて歩いて食べてキョロキョロ。

困った事と言えば、ジャカルタの埃と喧騒?のせいか、耳掻きが欲しくなった時の事。

街へ探しにいき、市場や、生活雑貨屋で聞いても日本式の耳掻きは見つからない。

インドネシアの人は、綿棒でお風呂上りに掃除するだけなので、
あの、竹の先がミニスプーンになった耳掻きが見つかる訳がない。とは気がつかず
「何でないの?」とまたもや“怒”モード。

丸1日探し回って、見つけたのは、通常の耳掻きの半分ぐらいの長さの、ステンレス色の代物。
無いよりまし!と購入したけど、素材のせいかすっきり取れず、さっぱりしなかった。

しかも、自分の目的がどこにあるか分からず探すのはとても気苦労。
そんな非日常が面白くて旅をしている事をしばし忘れ、勝手なもんです

ブラブラ散歩するのとは違って、探す目的があると、その目的ばかり気にして、
他の景色や音、においなどの風情が感じられなくなるようだ。
あ~もったいない。
と今は思うけど、当日は「何で英語が通じないの???」
と、何回言ったでしょうか…


ジョグジャで…

2010年07月20日 | 日記
ジョグジャ最期の夜は、同行していた友達のバースデーだった。

昼前に荷物をまとめ、寝台特急チケット(夜の9時20分発)を予約し、
後は駅に向かうだけという時、預けていた荷物のそばで、ハッピーバースデ~と、ケーキっぽいパンでお祝いをしていた。

お腹も満たされ午後7時すぎ「さて、まだ駅まで時間があるな~」と、余裕でいる時、
ふと友達が、「念のため出発時間の確認をしよう!」と、まじめにチケットを見直した。

と、その瞬間「え~~~~~~~~~!!!!!!!!! これ、時間が…」

そうです、午後9時出発と思い込んでいたけど、寝台出発は19時だったのです。

さあそれからと言うもの、慌ててタクシーで駅に向かうのですが、すごく混んでいて
既に7時20分。もう目の前なのに、進まず、道を知らないから歩く訳にも行かず
ドタバタで駅について、案の定出発済みの私達のベット。

トホホで駅員さんに説明すると、
明日の同じ特急なら乗れると言うことだけれど、いまさら、又元ホテルへチェックインする気になれず、(他の宿探す気もなし)
寝台の次の、快速列車で出発する事にした。もちろん自由席しかないので、横になることは諦めとにかくジャカルタへと行く気満々だった思いだけで飛び乗った。

乗ってすぐ、車内の扉を開けた瞬間、
あまりの薄暗さと、ド~んと沈んだ空気(既に乗客、空席を好きなだけ使って足を伸ばし、睡眠に入っている雰囲気)を察知し
固まってしまった。

とても足を踏み出す勇気がなく、席もなさそうなので、
そのまま扉を閉め出発と同時にしまった入り口階段に荷物を置き、腰を落ち着けました。
少しは明るくて、たいした人の行き来もなく、結構落ち着いていられたのを覚えていますが、
夜景は、当たり前ですが全く見えませんでした。

途中の停車駅で乗り込んで来る、ゆでた鶉卵売りの兄ちゃんなどから
韓国語や、中国語で話しかけられたりして、それはそれで面白かった。
皆の生きるためのエネルギーがすごくて感心しつつも、到着前はさすがに
当時ニュージーランドで連日、デザートに生クリームをのせたスポンジケーキを食べたせいで太ったお尻のお肉のなごりも痺れ出し、どうしようと立ち上がった頃到着。

又炎天下、荷物を背負ってしかも、大音響のコーランの横を歩き
脱水か熱中症になりそうなだるさの中、安宿に着く。
バリ島では、そんなに大きな音では聞こえないコーラン(1日5回)のもと、
シャワーを浴び昼寝から始まったジャカルタでした。



スラバヤはパス→ジョグジャ

2010年07月19日 | 日記
昨日は、日曜日で朝に更新したので、夜も!と張り切って書いていたら…
プツッと切れてしまいました。トホホ…

ではいよいよ帰途ジャワ島です。
スラバヤまでバスに揺られ到着したのですが、第一印象は、なんとなく薄暗い街。
(スラバヤ好きな方すみません)と言うか、都会だったのです。

大きな通りを必死で横切り、いつものパターンでまずは宿探し。
窓がなく暗かったり、お化けが出そうな雰囲気だったり、3件目にはもう
スラバヤを後にしようと決心した程、安くていい感じのところが見当たらなかった。

3件の安宿を見て回るなんて、バリでいい感じ宿と比べてしまうせいか、気に入らず
しかも荷物を背負っているのでクタクタ…

そんなスラバヤ、観光地ではない気がして、(今頃気づく?って感じですが)
スルーしようとジョグジャ行きのバスを探しました。着いたその日です。

でも、探しつつ、ちなみにどんな観光が出来るのか聞くと、トレッキングとか、
馬に乗って朝日とか、結構お金がかかるものだったので、
やっぱり向かないなと、出発。

観光バスを予約したつもりが、小さな旅行社で、折角のお客を逃したくなかったのか、
乗り物は「ベモ」しかも貸切
途中でお客が私たちだけど気がつくまで、途中から誰か乗ってくるのかハリ思い込んでいた。

またまた ピ~ンチ
このまま連れ去られてもおかしくない状況!
女二人でドライバーに委ねるしかないわが身…「もう交代で寝ようっ
ていいながら…やっぱり暴睡てしまうんですが。


でも早朝無事にジョグジャへ着き、真っ暗の中、メインストリートで降ろされました。

いつもなら宿探しなんですが、朝の4時頃なので、もったいなくて半夜の野宿を決行。
野宿と言っても、マタハリデパートの入り口前の広い所(床は少し汚めタイル)に、
荷物を置き、もたれかかりながらウトウト。ほんの2時間のつもりが、
結構眠ってしまい、気がつくと明るくにぎやかな街の中心に野宿している状態。

目立っていたので、ひえ~~~~と慌てて動きました。

無事1件目で安宿が見つかり、いよいよ世界遺産ボロブドゥール、プランバナンです。

ここはケチるレベルではないと、必須項目だったので、歴史に興味のない私も
見るべきと思い出発。ウロウロしているとものすごい暑さなので、
早朝から8時には到着するよう計画を立て、向かいました。


この時、電車から見える景色にカルチャーショック。
バリではなかった衝撃。電車が通過するすぐそばまで人や家が建っていたり、
家のなさそうな人が固まっていたり、川でしゃがんでいたり…
生活臭がプンプン。よその洗濯物に手が届くような気がしながら、
母の田舎高知へ行った時、昔は1日がかりで乗り継ぎだったので、
母の寝ている横で、絵本を持って退屈していた私は、つい絵本を窓にかざしてしまい
風で絵本が飛んでいってしまい驚いた経験を懐かしく思い出してしまいました。

そして、ボロブドゥールに到着しいきなり、外国人料金と現地料金がある事に
怒りその怒りのついでに、「ガイドなんて要らないっ!!!」って気分で入場したのが失敗。
説明なしに何が分かるのでしょうか?そうです、ナ~んにも面白くなくて、印象にも残らず、
何しに行ったのかと自分に問い。

「はい、見に行きました。」と開き直るしかない感じです。
カップルが日本語の上手そうなガイドさんの説明を受け、じっくり見ている横で、
耳ダンボにして通りすぎるしかない私達。
情けなかったです。ガイドはつけましょうね!と言いたい。

そして、プランバナンへ向かう途中ベちゃに乗り必死に自転車こぐおじさんが
遅くて遅くて、あまりにも単調になってきたので、「どれどれ、私にもこがしておくれ」
と、運転手交代。子供の好奇心丸出し状態で、ひっさしぶりの自転車。

友達と交代でおじさんの商売道具取り上げ、運転風景記念撮影。
おじさんごめんね。言葉が通じなくて、分からないのにうるさくて…

で肝心のプランバナンより、そっちのほうが印象に残っている罰当たりな私でした。

で、この後、泥棒よりショックな事件が起こるとは夢にも思わず
ジョグジャを後にする日、友人の誕生日だったので、小さなケーキでお祝いをするのでした。つづく。

ロンボク島

2010年07月18日 | 日記
インドネシアで一番思い出に残っているのは、バリ島の隣ロンボク島の
北西にある3つの島の一番外側、ギリトラワンガン島へ行った事

バリ島から船で4時間弱のロンボク本島から、島を走り北の港から又船で目指し、
珊瑚で大きな船が近づけない為、さらにギリトラワンガン島のそばで
小船に乗り換えるので、朝出発し、夕陽を見ながら到着するぐらい時間がかかった。

そこには、馬車が移動手段の小さな村があり、観光関係で働いている人も、
本島からの通勤者が多い所。車、犬、真水が無い島。
当時、紅茶がしょっぱいし、ホテル(バンガロー風)のシャワーを浴びると、
ぬるっとした肌触りになるし、驚いた。

でも、海辺から5mぐらい先は、深いブルーになっていて、
シュノーケルで見てみると、なんと珊瑚の海面が始まっていて
まるでダイビングの景色
海亀が泳いでたので、追いかけようとしたけど追いつかず(当たり前?)
なんていい眺め…ウットリ…

でも、私達の旅は貧乏旅行なので、シュノーケルレンタル代をケチって
二人で一セットしか借りなかったので、荷物番を兼ねて潜るのは交代。
「あ~きれいな魚が~」と思っても一人。
もうそろそろ、交代しなきゃ…と思いながらのシュノーケルでした。

この頃マレーシアの南京虫に噛まれた後が全身に点々と赤くまだ残っていて
痒みは続いていたので、何か薬はないかと探した所、「タイガーバーム」を紹介された。

これは、塗るとスースーして一瞬気持ちいいのだけど、
痒み止めではないので、すぐ又痒くなる。
しかも陽に当たると、結構暑くなってよろしくない。
でもその時は、いいと思って塗り捲っていたので、かなり臭ったはず。

その臭い、プンプンさせ夜はレストランへ。
1列に並んだレストラン数件の中で、どこで食べようか迷いそうなものだけど、
あっさり、決められる仕組みになっていた。

理由は、いつもどこか1件だけのレストランで、映画上映をしているから。
混んでいても映画を観たければ、そのレストランへ行くし、
空いてる方がよければ、他へ行くだけの事。

又、映画上映されるレストランは必ず前日のレストランの隣と決まっていて
偏らない様になっている仲良しぶり?

そんな思い出を下げ、ロンボクを後しに、バリ島満喫した跡は、
スラバヤからジョグジャ、ジャカルタとバスで寄り道の帰途を目指しました。