まねきネコのバリで子供と大騒ぎ

まねきネコのバリ島生活21年 子供の事や吉川晃司さんの事・・を気の向くままに。

初めてのバリ島編

2010年07月16日 | 日記
物価の高いシンガポールから一番安いフライトでジャカルタへ。
大都会な雰囲気と、川のそばの路上生活者。
貧困の差が目の前に広がっていて、ここも今までにない独特な雰囲気。

とりあえず、バリ島目指して鉄道の時間を調べに駅に行った。
ゆっくりの朝ごはんを食べて、駅に着きびっくり。
とんでもない数の人の群れ。並んでいないし、人だかりで駅員さんに聞けそうもない。

1時間ほど粘って様子を見て、何とかしようとしたけど、どうしようもなかった。
じっとりした暑さで疲れたので、「ありえな~い」と思いながら出直すことにした。

翌日、午後なら空いてるかと思って、3時ごろ行くと、今度はだーれもいない。
何故か分からず、聞く人もいない。諦めて宿へ戻って事情を説明したところ、
ほらね~と。(インドネシアの一般の公務員は、仕事終わるの早いですね。)

実は、鉄道かバスかどっちがいいか、到着翌日から宿の人には聞いていた。
「危険だし、バスのほうが絶対いいと思う」
との返事をもらっていたにもかかわらず、人によっては鉄道がいいという人もいたので、
自分の希望を重視したら、この有様。反省…

で、気を取り直し、バスでバリ島まで向かう。


初日、ウブドに到着し、市場からまだ少し離れていたけど、
先に安宿があるか不安になり、かなり手前で決めてしまった。
(いきなり弱気)ホームステイのようなバリ式の家の宿に泊まり
毎日ウロウロ。大好きな布類がたくさんあって、サロンを数枚購入。

屋台のバクソは、まだ500~600ルピアだった頃。
たまに、1.000ルピアを請求されるとすごくぼられた気分になっていた。
実はゆで卵もと追加してたからとは知らず、怒っていた頃。
当時、卵はひとつ200ルピア 当時のレートで10円(今のレートなら2円)

数日ウロウロしたところで、早速メインのクタ地区へ。
実は、ここでの数日は、時間調節。

オーストラリアで知り合った女友達と待ち合わせていたから。
彼女は、オーストラリアから直接バリ島に入る予定だと言っていたので
私は空港へ迎えに行く約束をしていた。

今の様に、メールや携帯が普及していない時代。
何日のどこからだけを頼りに、待ち合わせる。
はっきり行って今よりかなり、アバウトな約束。
遅れるかもしれない飛行機、気が変わって、又は、何かの都合で
日程を変更した可能性だってある。

そんな中のんきに迎えにいけるのは、旅の途中だから…


まあ、とにかく友達が来る2日前にクタ入りした私の一番印象に残っていることと言えば、
夜のバスでレギャン通りに着いた時の景色。左右かわいいショップが並んでいて、
見たくて我慢できず、夜8時だと言うのに、9時までと決めジャランジャラン。

今でも夜のウインドウショッピングの方が、店内の明るさで、
何があるかは見やすいと思うけど、どの店から入るべきか迷ってしまい、
その後のことはほとんど覚えていない。
又、宿に戻ろうにも、宿の名前も覚えていないので、景色だけが頼り。
ハイテンションになりすぎ!!!

そこで、「僕の妹が今度日本に行くんで、家で日本のこと話してやって下さい」
という、とても有名で危険パターンの文句で声をかけられるのですが、
それどころじゃなく、とにかくショッピングがしたい私は、
はっきりと「今時間がないのですみません!」とそそくさ逃げ出した。

もちろんその時、危険とは知らず…。