劇団夢桟敷「週刊月曜日」
〈第7号 2022.02.21発行〉
https://yumesajiki.jimdofree.com/
★
■夢先案内人
レミング〜世界の涯てまで連れてって
「TERAYAMA WORLD」寺山修司全仕事展より抜粋
演劇実験部編集人 TNS
四畳半の下宿から、独身サラリーマンが消えていった。
壁にかこまれたその部屋にはドアが一つで、ドアには鍵がかかっていた。
「これは密室の完全犯罪だ」とトリメの刑事は言った。
だが、こうして壁の中で消えゆく人たちの数は、東京だけでも年に数千人は居ると言われる。
壁…それは部屋を仕切るだけではない。ときには内面化の喩として、個人の身体をも仕切っているのだ。そして、ときには自分自身(という身体)の中で、蒸発してゆく人たちだっているのだ。
「レミング」の主題は、ひとことで言えば、壁の消失によってあばかれる内面の神話の虚構性の検証である。
今日、われわれは無数の壁にとりかこまれている。
キャンバス、スクリーン、地表、顔、ありとあらゆる「表面積」の文化。
壁はもはや実存主義ばかりではなく、世界の暗喩として存在しているのである。
歴史的には「天変地異が起きたとき、その一年前には、必ず打物を片手に道を踊り歩く人々の姿が見られた」(ええじゃないか)ことは、壁を抜けて集団自殺に向かう旅ネズミ(レミング)との類似性において論じられてきた。
壁とその消失、そして方向を失った大衆の群れを描こうというのが、この作品の狙いであったとも言える。
しかし、壁の消失は個の内面の消失の問題でもある。
「レミング」は、結果が原因に先行する時間倒錯を、劇空間の中に再生しながら、地球の内部が空洞とつりあっているように、個の内部もまた無に支えられてきたことを証明しようとする試みの作品でもあったのだ。
※注 1979年暮に肝硬変と診断されるが、本人に知らされたのは1981年1月だった。その間、そしてその後、入退院をくり返しながら、演劇、映画、著作と、表現活動の速度は変わることなく続けられた。一つ一つの作品に命が賭けられていたと言えるだろう。
映画の撮影現場、演劇公演の稽古場には、かならず寝椅子が置かれた。
1982年「レミング」の公演を最後に演劇、映画活動に終止符を打ち著作活動のみにしぼる決意をした。だがしかし、それもついに実現しないままに終わった。
映画「さらば箱舟」は寺山修司の遺書として誰の目にも映った。
★
■遊戯療法(5)
半分子供人間
山南純平
大人になりきれない人間をピーターパン症候群というらしい。
(心理学者ダン・カイリーが提唱したパーソナリティ障害とされたもの)
心理学云々?…知ったかぶりをしたくないから、ピーターパン症候群を俳優術に重ねるつもりはありません!
しかし、子供の頃は引力に反して空中を浮かぶ遊びをよくしていた。
鳥よりも高く飛べる。
それは子供の頃、アメリカ映画「スーパーマン」に憧れていた故だろう。
風呂敷をマント代わりに高い屋根も飛び越える。
子供ながら落ちると死ぬとわかっていても、飛んでいるつもりで遊ぶことができた。
悪を倒すこともできた。…戦争ごっこである。
第二次世界大戦、米英(民主主義)が正義の味方で日独伊(独裁)が悪役。
悪は滅びる。…子供の頃の戦争ごっこは日本戦後の民主主義教育に反映されていた。…アメリカのテレビドラマ「コンバット」に影響された子供時代だった。
戦後、〈民主主義・自由主義〉と〈共産主義〉の対立構造が表れ、1948年朝鮮戦争、1959年キューバ革命、1965年ベトナム戦争などで米ソ対立(アメリカと旧ソ連)代理戦争は核戦争や第三次世界大戦へ拡大するのではないかと危機が深まる。
世界は若者を中心に反戦運動の輪が広がった。
関係あるのかどうか?
1960年代は若者文化サブカルチャーが保守的な芸術文化に牙を剥ける時代だったと思える。
今や、その若者たちの年齢は70代から80代に達している。
大人の一部だろうが、身体は老いても気持ちが子供人間に出会うと元気になる不思議よ。
ピーターパンは年老いても空を飛んでいるだろうか?
ネバーランドに飛び続けているだろうか?
パーソナリティ症候群がドラマに登場すると世界の見え方、価値観の切り口が良い方向か、悪い方向か?喜劇か悲劇が見えやすくなる。
注意すべきは引力には逆らわずに踊ろう。
現実、高いところから飛んだら落ちて死ぬ。
それを子供ではなく、高いところにいる人間たちに警告しましょう。
彼らは草や木、動物や低いところの人間たちまで死を巻き添えにしてしまうだろう。
危機論ぶって、どーもすいません。
と頭をかくこの頃です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます