山川草一郎ブログ

保守系無党派・山川草一郎の時事評論です。主に日本外交論、二大政党制論、メディア論などを扱ってます。

「日米英3国同盟」論

2004年07月18日 | 日本の外交
「日本を守るために米国が日米安保条約で協力してくれている。米軍が日本と一緒に戦って、米軍が攻撃されたときに(自衛隊が)米軍と共同行動できない、集団的自衛権を行使できないというのはおかしい。そういう点も憲法ではっきりしていくことが大事だ」―。

参院選最中の6月27日、小泉首相はNHKの討論番組で憲法改正による集団的自衛権の明記をぶち上げた。自衛隊のイラク多国籍軍参加とあいまって波紋を呼んだが、その真意はどの辺りにあったのか。

★首相発言の背景

朝日新聞は、首相の発言について「日本防衛にあたる米軍への攻撃排除に限って、集団的自衛権が行使できるよう憲法改正すべきだとの発言」と解説し、首相の発言は「不明確」と指摘した。(28日付朝刊)

確かに、首相発言は後段で「憲法を改正して、日本が攻撃された場合には米国と一緒になって行動できるような・・・」と続く。日本防衛のために行動している米軍への攻撃は日本への攻撃とみなされ、現在の政府解釈でも自衛隊の反撃は個別的自衛権の範囲内として認められている。その解釈では首相発言は「勘違い」に思えてしまう。

しかし、冒頭に掲げた前段部分を読むと、首相の真意は別のところにあるのではないかと推測される。すなわち、「日米安保で米軍は日本を守っている。同盟軍である米軍がイラクでの活動中に敵の攻撃を受けた場合、日本が米軍を助けられないのは不公平ではないか」とも読めるのだ。

おそらく首相は当初、米国からイラク暫定政府への主権移譲に際し、自衛隊を完全に国連の指揮下に入れようと考えたのではないか。小沢一郎氏がかねてから主張するように、国連指揮下の活動は「国権の発動たる武力の行使」には当たらないとの判断からだ。米国も水面下でそう要請してきたのだろう。

しかし、内閣法制局の解釈は違った。「自衛隊が他国の軍隊とともに武力行使をすることは憲法で禁じられている」というのが政府の公式見解だ。ならば、憲法違反の事態を避けるため、自衛隊を国連の指揮下に入れるわけにはいかない。こうして「指揮下に入らない多国籍軍参加」という矛盾した、まやかしの決定が生まれたのではないか。だとすれば首相としては不本意だったに違いない。

そうした不満が、冒頭の発言に噴出した、と考えれば理解しやすい。後段の「日本が攻撃された場合」というのは、新聞が解説するような周辺事態や日本有事でなく、「イラクで自衛隊が攻撃された場合」を想定しての発言だったのだろう。サマワで自衛隊を警護してくれたオランダ軍は早晩、撤退する。ひとりぼっちになった自衛隊を守ってくれるのは米軍しかない。

首相としては、「多国籍軍参加」という歴史的決断と引き換えに「国連の指揮下に入った自衛隊は、他国軍と共同防衛できる」とのフリーハンドを手にしたかったのではないか。米国もそれを望んだが、やはり憲法という壁は硬かった―。

★究極の対米追随は「日本の自立」

小泉首相は、非常にしたたかな政治家である。反動を計算して発言しているため、滅多に本音を明かさない。現状が間違っていて、自分が正しいと思い込めば、批判を覚悟の上で突っ走る。「男は黙ってサッポロビール」のその姿勢が、ときに「説明不足」「独断専行」と批判されるのだ。

その小泉首相も、時折うっかり本音を覗かせる。今回の集団的自衛権に関する発言はその典型だろう。「うっかり」だから補足説明はしないし、少し反響を薄めようと意図的に発言の趣旨をぼかしたりする。その結果、新聞は「理解不足の意味不明の発言」と総括し、官僚からも「勉強嫌いの総理大臣」と烙印を押されるのだ。

国政の中枢に近づけば近づくほど、「知っていても言えないこと」「説明したくても説明できないこと」は増える。小泉首相を「安全保障の基礎知識もなく、ブッシュ大統領に尻尾を振る犬」と片付けるのは簡単だが、そうした安易なレッテル貼りは物事の本質を見誤らせる。

小泉政権の外交路線を「対米追随」と批判する自称「対米自立」論者たちは、日本の「自立」こそが米国側からの要請であることを見過ごしている。

そもそも57年前、「日本国憲法」という名の占領基本法で、日本の再武装を禁じたのは米国である。それは第一に占領下(=保護下)にある国家に武装の必要はないからであり、第二に、日本に神がかり的で冒険主義的な軍国主義者が残存しており、対外侵略の危険性が排除されていなかったことも要因だった。

第一の要因は1952年のサンフランシスコ平和条約発効で消え去った。原則論から言えば日本はこの時点で憲法9条の封印を解くべきだった。と言うより、国際社会の厳しい現実が「ユートピア憲法」の存続を認めないはずだった。しかし、東西冷戦という新たな要因で米軍の駐留が延長され、半保護国の状態が続いたため、現実からかけ離れた占領基本法が生き続けたのだ。

それから半世紀。ソ連は崩壊し、東西冷戦も終わった。今の日本に「大東亜共栄圏」を主張する帝国主義者や、天皇の統帥権と軍部の復活を目指す軍国主義者が、どれだけいるだろうか。国際社会で「日本の侵略」の脅威を訴える国家は、自らがやましいことを考えている連中だけではないか。

2000年10月のアーミテージ報告書は、集団的自衛権の封印が日米同盟の足かせになっていると指摘し、「英米間の特別な関係は、新しい日米同盟のモデル」と位置づけた。米側にそうした長期戦略があるのなら、日本はその意向を自らの国益に沿った形で積極的に受け入れるべきだろう。

ブッシュ政権は日本の軍事的自立を望んでいる。集団的自衛権に関する首相発言は、小泉首相の確信犯的な意思を反映したものだ。極めて逆説的な結論ではあるが、「究極の対米追随は、対米自立」なのである。

★日米安保から日米英3国同盟へ

日本は長く、アングロ・アメリカ世界の人種を超えた良き理解者だった。自由と民主主義という西欧価値観を共有する仲間だった。第二次世界大戦で一時は袂を別ったが、日米英3国は「経済力」という武器で東西冷戦を勝ち抜いた戦友となった。

その後の貿易摩擦という不幸な時代を乗り越え、米国はようやく日本を、英国と並ぶパートナーと認める決意を固めたのだ。その決意に応えるかどうかは、日本側の判断に任されている。

「日本国憲法」と「日米安保条約」は、東西冷戦という旧構造に対応したシステムだった。その歴史的意義を認めつつ、両者を発展的に解消すべき時期に来ている。新たな憲法で集団的自衛権の行使を認めたなら、日本は日本の意思で世界平和の実現に貢献すべきであろう。

日本が軍事的に独立を果たした場合、「日米同盟によって米国の戦争に巻き込まれるのではないか」といった懸念がある。しかし、大きな声では言えないが、いったん独立してしまえば、軍事上の判断はフリーハンドになる。現在のフランスやドイツに近い立場になるのだ。国防を在日米軍に依存している現状の方が「米国の言いなり」になりやすい危険性をはらんでいる。

軍事的に独立しても、日米2国間の同盟では、両者の力関係から言ってどうしても「米国追随」に傾いてしまう心配もある。ならば、憲法改正と同時に日米安保条約はいったん解消し、新たに英国を加えた「日米英3国同盟」へと発展させることも考えるべきではないだろうか。

米国という超大国を止めることのできる国家など存在しない。日英が牽制役となって、米国外交が「王道」からはずれないよう努めることは、国際社会にとっても意義深いことだろう。その役割は日本1国でも、イギリス1国でも困難だ。

現行憲法が禁じているのは、戦前のように日本が単独で軍事行動を起こすことである。その精神は今後も維持していくべきだ。日本外交は、海洋国家として共通の価値観を持つ米英両国との共同歩調を基本路線とすべきである。(了)


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