山川草一郎ブログ

保守系無党派・山川草一郎の時事評論です。主に日本外交論、二大政党制論、メディア論などを扱ってます。

毛主席の偉大なる不勉強

2004年01月26日 | 日本の外交
社会主義を破綻させたのは中国である。そう考えたことがあった。それも中国の意図でなく、「大いなる誤解」によるものだと。

言うまでもなく、中華人民共和国は、社会主義の大国である。21世紀の現在、中国以外には北朝鮮とベトナム、キューバという小国しか社会主義を採用している国はない。

その「最後の社会主義大国」が、社会主義を破綻させたのは何故か。

そもそも、マルクス流の古典的社会主義は「国境」の概念を否定していた。彼の解釈では、中世ヨーロッパでは、国家は君主(封建領主)を意味し、近代になって成立した国民国家は、ブルジョア資本家の利益を庇護するためのシステムであった。

国家とは「資本家階級」と「労働者階級」を縦につなぐシステムであり、世界の労働者が横に連帯することで、この「縦のシステム」を解体しようとするのが、社会主義革命の原理だった。

国家を解体した後は、世界の労働者の中から選ばれたリーダーが世界議会(ソビエト)を形成し、国境を越えた計画経済を主導して、皆が幸福に暮らす共産主義社会を目指すはずだった。

ロシア革命によって生まれたソ連は、この原理に忠実だった。革命を主導したレーニンらボルシェビキのメンバーは、モスクワにソビエトを結成し、世界革命を目指した。

ソ連は国家ではない。ソ連の正式名称は「ソビエト社会主義共和国連邦」であり、それは、社会主義革命を成し遂げた共和国の「連合体」を意味していた。現代のEU(欧州連合)のような存在に近い。

ロシア革命から遅れること約40年。中国大陸から国民党勢力を追い出した中国共産党の指導者・毛沢東は、北京市紫禁城の城門で「中華人民共和国」の成立を宣言した。

社会主義を指導理念とした、この新しい中国は、しかしながらその名称に「共和国」を掲げた。つまり、新中国は社会主義でありながら、「国家」であることを宣言したのだ。

むろん、中華人民共和国は、ロシア共和国やグルジア共和国などと共にソビエトに加盟し、ソ連の構成国となることも可能だった。しかし、ナショナリストだった毛沢東は、独立国家であることにこだわった。ここに大いなる矛盾が生じた。

先に述べた通り、社会主義の目標は「国家を解体し、国境を越えた労働者の連帯で、共産社会を実現する」ことにあった。国家の枠内で、無理に社会主義を実現しようとすればどうなるか。ドイツのナチス党(国家社会主義党)の実例をひくまでもなく、その行きつく先は「独裁」である。

ソ連にとって、ポーランドやチェコスロバキア、北朝鮮など周辺の衛星国は、「容共」政権であれば国家としての実態を残しておいてもよかった。しかし、毛沢東が「国家であること」を選んだ中国は、規模も人口も、疑いようのない「大国」であった。

大き過ぎる社会主義「共和国」の出現によって、ソ連は、それ自体が相対化されることになった。労働者の世界政府であったはずのソビエト「連邦」は、中国と並ぶ社会主義「国家」に矮小化されてしまったのだ。

国連の結成に当たり、ソ連は連邦内の共和国すべてを主権国家として参加させることを主張したが、米英側に拒否され、「ソ連」として安保理常任理事国の席を与えられた。のちに、中国が常任理事国として同席するに当たり、両者の「国家」としての実態は、さらに期成事実化されていった。

さらに、国家社会主義者としか理解できないスターリンの台頭に至り、ソ連の「国家」化は完成をみるのである。「国家」となったソ連は、国際政治の覇権をめぐり、米国や中国と激しい競争を繰り広げた。

同時に、その国内経済は「赤いカーテン」の中に封じ込められ、深刻な疲弊を招いた。「国家化」により、世界的広がりを欠いた社会主義経済は、当初から行き詰まる運命にあったのだ。

こうして、ソ連は20世紀末、ついに「社会主義」の看板を降ろし、労働者の世界的連帯という壮大な実験は幕を閉じた。

思うに、社会主義革命とは、世界中で同時に達成しなければ、本来の目的を得られない類のものではなかったか。畢竟、それは暴力と世界戦争を意味する。しかし、第二次世界大戦で米国との共闘を組んだばかりのソ連にとって、新たな世界戦争は負担が大き過ぎた。

結果的に、社会主義インターのセンターとしてのソ連の性格は曖昧さをまとわざるを得なかった。中途半端に終わった社会主義世界革命に終止符を打ったのは、毛沢東主席の偉大なる「不勉強」だったのではないか。(了)





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