尼崎市の脱線事故で、JR西日本幹部を罵倒した読売新聞記者が、逆に視聴者からの強い非難を受け、同社が紙面で謝罪したことは記憶に新しい。この経緯に関して、ずっと引っ掛かっていたことがある。それは、記者が非難を浴びる直接のきっかけとなったテレビ朝日系「報道ステーション」の報道姿勢だ。
当夜(※1)の番組は、問題の記者が関西弁で口汚く罵る場面をことさら強調しているように思えた。VTRは「JRの対応に対して、記者会見が荒れる場面もありました」という紹介で始まったので、当初はJR側の不誠実な対応を強調したいがための演出かとも思っていたが、それにしても記者の態度の悪さだけが目立ち、困惑しているJR幹部が可愛そうに思えた。
JRの不誠実さを際立たせるのが目的なら、演出としては失敗だったのではないか。長い間、そう思っていたが、あるテレビ関係者が書いているブログを読んで、事の真相が見えた気がした。
そのブログは「放送局勤務歴10年の中堅テレビマン」が、マスコミ就職を目指す学生に「就職活動の心得」などをアドバイスするというもの。今年5月7日付のエントリー「マスコミに勤めていていやなこと その2」には、次のような記述がある。
この筆者は、問題の記者会見場に同席していたようだ(※2)。記述によると、のちに「ニュースの本筋から脱線している」と批判を受けた「不適切な事例」報道は、テレビの記者が発した質問がきっかけだったことが分かる。
ここでは、不意の質問に慌てるJRの対応のまずさと、ボーリング大会の事実さえ知らずに会見に出席していた新聞記者たちの狼狽ぶりが、醜いばかりに描写されている。
筆者の、新聞記者に対する異常なまでの嫌悪感は「顔が出ないことをいいことに、ここぞとばかりペンと言葉を振りかざす記者という生き物」という記述に極まっている。それは同業他社に対する対抗意識というよりも、ほとんど「憎悪」に近いように思える。
問題の記者の態度は、テレビで一部を見ただけの私でも不快感を覚えた。同席していた人間なら、それ以上だったろうとも想像する。しかし、会見場にいたこのブログの筆者は、新聞記者たちの横柄な態度を問題だと思ったのなら、なぜ制止しようとしなかったのか。
「同じ記者席にいたくない」と思う前に、なぜ会見の一時休止を求め、JRに真摯な対応を、新聞記者たちに冷静な態度を促そうとしなかったのか。
事件当日のボーリング大会や宴会に「中止しませんか」と言い出せなかったJR西日本の社員たちには、同情する面もある。あのような企業体質の会社で上司に意見するのは勇気のいることだ。
これに比べ、時間の限られた記者会見で無意味な質問を繰り返すのは、取材妨害に等しい行為であり、本来は抗議すべき事柄だ。それを「同じ記者席にいたくない」と思いながら耐え続け、後になってブログで学生相手に不満をぶちまけるとは…。その主体性のなさには唖然とするばかりだ。
後になって分かったことだが、このテレビマンは「報道ステーション」を放送しているテレビ朝日系列ローカル局に勤務しているようだ。つまり、あの夜の番組が記者の暴言シーンをことさら強調して放送したのは、JRの不誠実な対応を際立てるためなんかではなく、暴言記者に対する憤りを視聴者に共有しもらうためだったのではないか。
もしそうなら、あの演出は失敗どころか、大成功だった。「報道ステーション」で暴言シーンを見せられた視聴者の多くは、私と同じように読売記者の態度に強い不快感を覚えただろうからだ。それこそが番組の「隠された意図」だったのだ。
あの暴言シーンは、一般視聴者のマスコミに対する反発を煽ることに成功した。それにしても、気に入らない競争社に対して社会の反発感情を誘導し、巧妙に煽ることのできるテレビというメディアは恐ろしい。その結果、「マスコミの取材態度はどうあるべきか」という大きな問題提起をしたことも事実だが。
善意に解釈するなら、このテレビマンは、新聞記者の驕りを諌めるために敢えてお灸を据えようと思ったのかも知れない。しかし、彼が報道志望の学生に向けて自らの職業観を語った別エントリーを読む限りでは、彼自身、とても新聞記者の驕りを批判できるような存在とは思えない。そこにはこう書かれている。
……これが報道の最前線にいる記者たちの「本音」なのだとしたら、あまりに情けない。悪びれることなくプレスリリースをありがたがり、新聞記事の後追いに甘んじるテレビ記者。「同じ記者と思われたくない」と思う同業者も多いのではないだろうか。(了)
========= 追 記 =========
(※1)記者会見は5月4日深夜から5日未明にかけて行われた。テレビ朝日系「報道ステーション」が会見シーンを放映したのは5日夜。 このほか9日放送の朝日放送「ムーブ!」でも「抗議殺到『記者は遺族の代表か!』というタイトルで編集VTRが放映された。
(※2)この点について、ブログの筆者ご当人から「私は、残念ながら、JR西日本の会見場にはおりませんでした」との指摘を受けたので付記しておく。会見模様については翌朝(5日)ニュース編集の際に素材テープで見たとのこと。詳しくはコメント欄参照。
当夜(※1)の番組は、問題の記者が関西弁で口汚く罵る場面をことさら強調しているように思えた。VTRは「JRの対応に対して、記者会見が荒れる場面もありました」という紹介で始まったので、当初はJR側の不誠実な対応を強調したいがための演出かとも思っていたが、それにしても記者の態度の悪さだけが目立ち、困惑しているJR幹部が可愛そうに思えた。
JRの不誠実さを際立たせるのが目的なら、演出としては失敗だったのではないか。長い間、そう思っていたが、あるテレビ関係者が書いているブログを読んで、事の真相が見えた気がした。
そのブログは「放送局勤務歴10年の中堅テレビマン」が、マスコミ就職を目指す学生に「就職活動の心得」などをアドバイスするというもの。今年5月7日付のエントリー「マスコミに勤めていていやなこと その2」には、次のような記述がある。
また、こんな事が起こってしまいました。 場所はJR西日本本社の会見場。 尼崎脱線事故関連の5月4日の夜に開かれていた会見。事故が起こった当日、別の車掌区の非番の車掌達が慰安のためのボウリングをしていたことがわかり、テレビの記者が質問をしました。 あくまで、事故原因の究明とは別のものですが、こんな時にそんなことするなんて「道義的にちょっとどうかな」という内容。サイドネタ(少し本筋から離れたネタ)をJRに当てたわけです。 すると会見場はざわつきました。 記者達の思いを代弁すると「それって大ニュースじゃないかよ、明日の朝刊で大展開だよ」といったところでしょうか。確かに、この段階からだと、十分朝刊に間に合います。 JRも慌てました。担当者の心中を察するに、「一応社長も報告を受けて知っている事象。事故とは関係が薄いので発表はしなかったが、 マスコミはこんな事までつかんでたのか、まずいことになったな」 しどろもどろになる受け答え、会見は紛糾します。 社長も知っているこの件を、どう答えたら、部下として正しく会見したことになるのか。考えながらの会見で、ちゃんと記者を納得させる答えができるはずがありません。 締め切りが迫り、新聞記者達はいらだち始めます。「社長を出せ!」会見場は騒然。主に新聞各社が同調した末、日付が変わる頃に、JRの垣内社長が会見場に現れます。 「4日は何軒の遺族を弔問したんですか」 「5軒です」 「そこではボウリングしていた社員がいること話したんですか」 「話してません」 そんなこと自分から話すはずがありません。 「どうして話さなかったんですか」 「・・・・・・」 ここで問題の発言、 「人が死んでんねんで、どのツラ下げて謝りに行ったんですか!」 記者から矢継ぎ早に質問が飛びます。 「不信感を増幅させるから言わない方がいいと思った。それでいいですね」 この記者は、何度もこの質問を繰り返している。これは誘導尋問です。もしかしたらこの記者は、社長が来るまでに朝刊のための予定稿を書いていたかも知れません。 会見が深夜まで続き、いらだっていたのもわかる。ああやって一発かまさないと、ちゃんとした答えが出てこないことが多いことも理解している。しかし、「どのツラ下げて謝りに行ったんですか!」という発言はおかしい。締め切りが迫っていたのもわかる。しかし、締め切りが迫っているのはおたくの都合じゃないか。 もちろん、テレビの記者も横柄な物言いをする場合がないわけではありません。しかし、テレビの記者は、その会見の直後に会見場の前から顔出しでリポートするケースもあります。さすがに、後ろ指をさされるようなことはできないです。顔が出ないことをいいことに、ここぞとばかりペンと言葉を振りかざす記者という生き物。「同じ記者席にいたくない」と何度思ったかわかりません。 |
この筆者は、問題の記者会見場に同席していたようだ(※2)。記述によると、のちに「ニュースの本筋から脱線している」と批判を受けた「不適切な事例」報道は、テレビの記者が発した質問がきっかけだったことが分かる。
ここでは、不意の質問に慌てるJRの対応のまずさと、ボーリング大会の事実さえ知らずに会見に出席していた新聞記者たちの狼狽ぶりが、醜いばかりに描写されている。
筆者の、新聞記者に対する異常なまでの嫌悪感は「顔が出ないことをいいことに、ここぞとばかりペンと言葉を振りかざす記者という生き物」という記述に極まっている。それは同業他社に対する対抗意識というよりも、ほとんど「憎悪」に近いように思える。
問題の記者の態度は、テレビで一部を見ただけの私でも不快感を覚えた。同席していた人間なら、それ以上だったろうとも想像する。しかし、会見場にいたこのブログの筆者は、新聞記者たちの横柄な態度を問題だと思ったのなら、なぜ制止しようとしなかったのか。
「同じ記者席にいたくない」と思う前に、なぜ会見の一時休止を求め、JRに真摯な対応を、新聞記者たちに冷静な態度を促そうとしなかったのか。
事件当日のボーリング大会や宴会に「中止しませんか」と言い出せなかったJR西日本の社員たちには、同情する面もある。あのような企業体質の会社で上司に意見するのは勇気のいることだ。
これに比べ、時間の限られた記者会見で無意味な質問を繰り返すのは、取材妨害に等しい行為であり、本来は抗議すべき事柄だ。それを「同じ記者席にいたくない」と思いながら耐え続け、後になってブログで学生相手に不満をぶちまけるとは…。その主体性のなさには唖然とするばかりだ。
後になって分かったことだが、このテレビマンは「報道ステーション」を放送しているテレビ朝日系列ローカル局に勤務しているようだ。つまり、あの夜の番組が記者の暴言シーンをことさら強調して放送したのは、JRの不誠実な対応を際立てるためなんかではなく、暴言記者に対する憤りを視聴者に共有しもらうためだったのではないか。
もしそうなら、あの演出は失敗どころか、大成功だった。「報道ステーション」で暴言シーンを見せられた視聴者の多くは、私と同じように読売記者の態度に強い不快感を覚えただろうからだ。それこそが番組の「隠された意図」だったのだ。
あの暴言シーンは、一般視聴者のマスコミに対する反発を煽ることに成功した。それにしても、気に入らない競争社に対して社会の反発感情を誘導し、巧妙に煽ることのできるテレビというメディアは恐ろしい。その結果、「マスコミの取材態度はどうあるべきか」という大きな問題提起をしたことも事実だが。
善意に解釈するなら、このテレビマンは、新聞記者の驕りを諌めるために敢えてお灸を据えようと思ったのかも知れない。しかし、彼が報道志望の学生に向けて自らの職業観を語った別エントリーを読む限りでは、彼自身、とても新聞記者の驕りを批判できるような存在とは思えない。そこにはこう書かれている。
「報道志望なんて書いたけど、どうやってニュースなんて取材するんだろう。他社に抜かれないように、毎日自分からネタを見つけに行くなんて、絶対無理!」と思っていましたが、入社してみると、新聞記事からの二次情報だったり、記者クラブにリリースされる情報だったりして、自分からネタを取りに行くのは、意外と少ないことに気がつきます。 マスコミの仕事なんてそんなもの。本気でやっていたら体が持ちません。ある程度のことは、誰でもできるように、仕事ってうまくできています。ただ、「敏腕」と言われるようになるには、人一倍の才能か努力が要るんですけれどね。 |
……これが報道の最前線にいる記者たちの「本音」なのだとしたら、あまりに情けない。悪びれることなくプレスリリースをありがたがり、新聞記事の後追いに甘んじるテレビ記者。「同じ記者と思われたくない」と思う同業者も多いのではないだろうか。(了)
========= 追 記 =========
(※1)記者会見は5月4日深夜から5日未明にかけて行われた。テレビ朝日系「報道ステーション」が会見シーンを放映したのは5日夜。 このほか9日放送の朝日放送「ムーブ!」でも「抗議殺到『記者は遺族の代表か!』というタイトルで編集VTRが放映された。
(※2)この点について、ブログの筆者ご当人から「私は、残念ながら、JR西日本の会見場にはおりませんでした」との指摘を受けたので付記しておく。会見模様については翌朝(5日)ニュース編集の際に素材テープで見たとのこと。詳しくはコメント欄参照。
この時代、非常に厳しい目で見られているマスコミ人として、様々なご意見に「気を引き締めないと」と
感じています。
私は、残念ながら、JR西日本の会見場にはおりませんでした。
かつては、記者クラブに所属したこともありますが、現在は番組ディレクターです。
あの「暴言会見」は、翌朝、番組内のニュースを編集するために見て、悲しくなりました。
弁解になりますが、あれを制止できるところにはいなかったんです。
とはいえ、「もし、あそこにいれば止めていたか?」と言われると、その自信はありません。
もう一つ、最後の引用も、私のブログにコメントをしてくれた「内定ブルーの学生」を励ますために書きました。
適切じゃなかったかも知れませんが、僕の本心は最後の行。
「ただ、『敏腕』と言われるようになるには、人一倍の才能か努力が要るんですけれどね」の部分です。
僕自身、そんな生半可な気持ちでマスコミで働いていませんし、
今後も、その気持ちを持ち続けていたいと考えています。
接点はないかも知れませんが、ご理解頂ければ幸いです。
生き生きとした情景描写と「『同じ記者席にいたくない』と何度思ったかわかりません」の記述から記者会見場におられたものと判断しましたが、「その場にはいなかった」とのことですので、本文にその旨の注釈を付けました。ご了承ください。
あいさんのブログのTBを辿ってきました。
この件の本質とは無関係なのですが、教えていただきたいことがあり、書き込みます。
まだ確立されていない(おそらくこれからも正解が生まれないと思われる)ブログのマナーについてです。
山川さんはこの記事を書かれるとき、D51さんに事前に引用の了解を得ていないと思うのですが、いかがでしょうか?
私はそのことを批判するのではなく、逆の立場です。つまり、公開されているブログの記事の引用については、出典を明記して引用し、引用元にはその旨TBかコメントで通知すれば良いと考えていました。
私はジャーナリスティックなブログは書きませんが、事前に了承を得て異なる意見の記事を書くのは難しいですし(批判ならなおさらですね)、ブロガー相互の連絡を簡略化できるのが、TBでありコメントであると考えていたからです。
でも、そのことで軽いトラブルがあって、上記の見解を自分のサイトで書いた折、まだまだそうは考えていない人が多いことを知り、これからは引用に基づく意見記事を書きにくくなるなあ、と思っているのです。
山川さんは、どうお考えですか? ジャーナリストと一般のブロガーとでは感覚が違うのかもしれませんが。
>山川さんはこの記事を書かれるとき、
>D51さんに事前に引用の了解を得ていない
>と思うのですが、いかがでしょうか?
その通りです。
>公開されているブログの記事の引用については、
>出典を明記して引用し、引用元にはその旨
>TBかコメントで通知すれば良いと考えていました
私も基本的に同じ考えです。
見ての通り、当ブログは主に政治問題を扱っています。ライブドア騒動以降はマスコミの在り方にも思うところがあってメディア評論も多く書いています。いずれも人によって意見の分かれるテーマですし、安易な政権批判、マスコミ批判に対して疑問を投げ掛けた内容も多いですから、当然ながら読者から異論反論が寄せられることを想定しています。ある意味では、議論好きだからこそ、こういうブログをやっているのであって、議論が苦手な方にはお勧めしません。
コメントとトラックバックの機能分けについては様々な考え方があるようですが、私は他人のブログを読んで疑問点があった場合はコメントで質問し、異なる見解を持っている時にはエントリーを立てた上でトラックバックを送るようにしています。
趣味の話題や日常の出来事を書いている日記ブログに議論をふっかけるのはよくないと思いますが、自分の意見を不特定多数に向けて発信しているブログには、異なる意見があればどんどんトラックバックを送ればいいと思いますし、送られるのも歓迎です。
トラックバックやコメントで反論されたこと自体に腹を立てる人は、ブログで意見表明する資格はないと思います。自分の最初の意見の方が説得力があると思えば、堂々と応じればいいし、逆に相手の指摘に納得したなら素直にそう書けばいいだけです。もちろん、エントリーに関係のない内容なら無視してもいいでしょう。
実際、ネット上では、極端な意見や思い込みの激しい意見、事実誤認を含んだ意見を含むブログには、反対意見のトラックバックが貼られ、バランスがとられています。感情論の言い放しで終わらせず、第三者が反対意見も読んだ上で判定できるのが、ブログの長所といえるかも知れません。
確かに論旨が不明確なコメントやトラックバックに対応するのは面倒な時もありますが、それは自己主張にともなう説明責任ですから、なるだけ真摯に対応すべきだと思っています。
山川さんのコメントを引用させていただきましたので、再度トラックバックいたします。
記事中に議論系ブログに対する批判的な内容がありますが、これは山川さん個人を指したものではありません。よろしくお含み置きください。
ありがとうございました。
>いいんだろうけど
>提示された問題の「解決」に向かっていない、
>全然建設的じゃない空論の方が多くて
>読んでると嫌な気分になる。
スリリングな応酬を楽しんでいるわけではないですが、議論好きであることは事実です。「朝まで生テレビ」は昔からよく観てます。よく観察していると、揚げ足取りにはテクニックがあるので、かわすのはそう難しいことではありません。自分の意見を曲解された反論コメントにパニックになる必要はなく、冷静に「そういう意味ではない」と指摘すればいいのです。もちろん有意義な反論に説得されて自説を修正する場合もよくあります。
ブログを自分だけの私的スペースと思っていると、意見の異なるコメントやトラックバックに「ケチを付けられた」「汚された」と感情的になりがちです。そうした紛争は日記系ブログでよく見かけます。
私は基本的にブログを、書き手と読み手の相互コミュニケーションのツールと思っています。単独のブログで自己完結するのでなく、トラックバックでつながった他の意見も含めて一つのはじめて完成型になる。
今回の「あるテレビマンへの失望」というエントリーは、会見で暴言を吐いた新聞記者に対する意見を表明しているブログを読み、違和感を持ったので書きましたが、ブログの筆者の方から事実関係に関するご指摘をいただきました。このご指摘がなければ、私の「思い込み」はそのまま流布されたことになります。
異なる見解を書いたときには先方にトラックバックを送り、反論の機会を担保するのが鉄則です。もちろん政治家などのテレビでの発言を論評する場合はこの限りではないと思いますが。
番組HPの過去の放送内容(http://asahi.co.jp/move/calendar/20050509.html)には次のように記載があります。
5月9日(月)
抗議殺到「記者は遺族の代表か!」
丸腰男性に警官発砲
サマータイムが導入されたらどうなる?
広島カープ「市民球団の歴史」
「ムーブ!」はテレビ朝日系列の朝日放送(ABC)で月~金午後3:55に放送中。