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瀬織津姫さまの御生誕の日

2017-03-30 00:46:00 | 瀬織津姫
 この国の乱れを整えるトノヲシテ 瀬織津姫さま言霊リメンバリングにも記されていますが、 本日3月30日は旧暦の3月3日に当たり、瀬織津姫さまの御生誕の日です。
 皆様、ご生誕の日を全国各地でお祝いしましょう!
 
 本文をそのまま掲載します。

>Q 年をまたいで質問させていただきます。
 アマテル様の御誕生日は 旧暦の正月一日、とホツマにはあります。 セオリツヒメ様の御生誕の日をお教え願えますでしょうか。御生誕されたところはカキタの宮でしょうか。

 瀬織津姫 旧暦のヒナの節句3月3日です。
 桃の節句は縁起がいいと言われ、その日に合わせて生まれたようです。周りの人間の話によりますと、桃の花が咲きみだれ、周りには蝶が群れ遊び、美しい滝がある、それはそれは美しい山裾の庵※で生まれたと言われております。母は産後のヒダチが悪く、まもなく亡くなったそうですが、私は乳母と御じいの庇護のもと、カキタノ宮で育ちました。甘い香りがにおい立つホノコと言われ、育ちました。
 2015(平成27年)年1月1日
 
 ※山裾の庵 今回のお聞き取りから該当する場所は、三島市川原ケ谷の滝川神社のあたりではないかと推定する。鳥居の正面の瀧が御神体であるかのごとくである。2013年火事で全焼した本殿の再建に、伊勢神宮より饗(あえ)土(ど)橋姫神社(祭神宇治(うじ)橋(ばし)鎮守(のまもりの)神(かみ)で瀬織津姫のことと考えられる))の古材が下賜され、2015年に再建されたご神縁もある。 <

 あとで、筆者の研究論文『六甲山 瀬織津姫・白山姫とワカ姫 和す 尽くす トノヲシテの復活!』の発行年月日が平成26年3月3日であることを発見して、愕然としました。

 
 関連記事 瀬織津姫の御生誕地へ!
 http://white.ap.teacup.com/hakuto/2582.html



3月21日 向か津姫の御記念の日

2017-03-21 08:22:00 | 瀬織津姫
   

 本日、3月21日は、瀬織津姫さまが正式に天照大神の皇后に選ばれた、というまさに瀬織津姫さまにとって、大切な日です。 旧暦では今年は4月17日に当たります。
 向か津姫の御名前から、六甲比命神社のある六甲山が、かつては向か津峰と呼ばれていたのですから、3月21日は新暦においても、旧暦においても、あるいはその期間中、六甲山の山名由来の記念日として大いにお祝いしたいものです。

 『トノヲシテ 瀬織津姫さま言霊リメンバリング』の中から関連個所をご紹介します。 

 >向か津姫の名を賜った記念日

 Q 3月21日はムカツヒメ様の祠(ほこら)●の大切な縁日であり、その日にお参りをすると、百日参りしたのと同じ霊験がある、と伝わっていることを、六甲比命講代表の柿田様ご夫妻からお聞きしております。その御由来をお教えいただけますでしょうか。

 瀬織津姫 
「ムカツ姫」の御名前を頂きました日でございます。なんとアマテラス様の御光をこの身に受けるというたいへんなお名前を頂きました。私の光栄を皆様方にお分けしたく思います。また確かこの祠を見つけて下さり、祠開きして頂きましたのも、この日の近くではなかったでしょうか?どうもこの春がめぐるときが、私には縁がめぐるときの様です。
 1月1日
 
 ●ムカツヒメ様の祠 兵庫県神戸市六甲山頂尾根付近の六甲比命神社。2011年7月に、大江が六甲比命神社を瀬織津姫の御陵ではないかと推定。以後、さまざまな調査等を経て、瀬織津姫との関連を断定。翌2012年3月4日、祠開きを開催。同月、三重県二見ヶ浦で催されたホツマサミットの席上で、ムカツヒメ様の祠の特定を公表。今回のお聞き取りで、瀬織津姫の御陵の予定地とされたが、御陵ではなく、御神霊の宿る磐座であることをお教えいただく。天照大神=日の神の前に向かう姫。天照大神を祀る廣田神社では、祭神のまたの御名が撞賢木厳魂天疎向津姫(つきさかきいずのみたまあまさかるむかつひめ)、と伝わる。<



宝鏡寺へ

2017-03-12 08:42:00 | 瀬織津姫
 

『トノヲシテ 瀬織津姫さま言霊リメンバリング』で紹介した二見ヶ浦のマフツの鏡、これに大いに関わると思われる京都宝鏡寺の御本尊、鏡を携えた聖観音が気になっておりました。

本の脚注を再掲します。

>マフツノカガミ ホツマ8紋
 以下は今村聰夫氏『はじめてのホツマツタヱ』より
 ~こうして六度にわたって起こったハタレ騒動はすべて鎮圧され、悪霊に取り憑かれていた総勢七マスと九千人(709000人)すべてが、最終的に人の魂を取り返すことができました。それはセオリツ姫が携えていたマフツの鏡によって、己の魂を実見することができたからなのです。  
 常々アマテル大御神は海辺にマフツの鏡をもってお出ましになり、海水で禊をされた後、ご自身や政事を執る臣、その他諸々を写して見られました。それにちなんでこの海岸にある岩を「ふた見の岩」と名付けられたのです。~
 京都市上京区宝鏡寺は、伊勢二見浦で漁網にかかった両手に鏡を持つ聖観音を本尊とする。この不思議な経緯で出現し、皇族に守られた観音像はもちろん瀬織津姫の二見岩でのご活躍が背景にあるものと思われる。観音は神仏習合で、日本の女神と習合したものと思われる。聖徳太子が念持仏とし、神呪寺を創建した真名井御前が帰依した如意輪観音や吉祥天も瀬織津姫の仏教的御姿と考えられる。<


 宝鏡寺では、春と秋の期間に人形展が催され、その時に本堂ほかの御開帳もあるらしいようだったので、3月12日、京都へ出かけました。
 この日は予定がないことを確認し、宝鏡寺へも確認の電話をして思い立ったように出発しました。
 伊勢祭神や空海と御縁のある、いつもお世話になっている名古屋の方々と、午前中に花山法皇が御出家された元慶寺で合流し、昼食をはさんで、ともに宝鏡寺へ向かいました。 
 結果としては、残念ながら、ご本尊は事実上の秘仏扱いで、一般の方への公開はなされていないということで、拝観はかないませんでした。けれどもその代わりとして、普段は公開されていない、天皇と皇女の謁見の間を拝観することができました。その部屋の一番奥の屏風絵(襖絵?)には滝が描かれています。しかも、その背景にあたかも鏡であるかのような、あるいはオーブであるかのような円形が描かれています。 

 拝観を終えて、帰る間際に、お寺の関係の方にお話を伺える機会があり、その御本尊の様子をお聞きしました。
 おそらく鏡をお持ちの御本尊の大きさは30センチ前後のようです。
 
 景愛寺として13世紀末ごろに創建され、その法灯を継ぐ宝鏡寺は、皇室ゆかりの門跡寺院です。皇室は高天原と地をつなぐ大切な御役割を持つ特別な存在であり、トノヲシテ、メの道、ヲの道をお守りになる御役割をお持ちです。
 したがってそのような見方からするならば、ここ宝鏡寺は、メの道の守りの地と言い換えることができるでしょう。
 御本尊にご対面できなかったのは残念ではありますが、こちらの寺院に、本日3月12日に『トノヲシテ 瀬織津姫さま言霊リメンバリング』を献上させていただいたことは、大きな意義があると思います。 
 二見ヶ浦でこの宝鏡寺の御本尊が漁網にかかって以来数百年以上にわたって、その意味は全く不明であったのですが、これによって、なぜこの聖観音が二見ヶ浦で御出現されたのか、なぜ鏡をお持ちであるのか、なぜ皇室へ、しかも皇女の集う尼寺へ安置されることになったのか、その偶然ではない必然的理由を、お寺の方々にもよくご理解していただけるもの、と勝手に楽観的に推測しております。 

 ところで京都では、トノヲシテを大切にされる天照大神・瀬織津姫がほとんど祀られていません。
 洛中で天照大神を祀るところは、御所のかつての宮中賢所(かしこどころ)と山科の日向大神宮など数えるほどしかありません。瀬織津姫は武内宿禰の時代に、おそらく彼によって宮中祭祀からも外され、西宮の廣田神社に遷座を強制されたものと思われます。それが「我が荒魂は皇居に近づくべからず、常に御心広田国に居ますべし」という、荒唐無稽な託宣=神託の歪曲の真の理由です。「荒魂」とするのも心のお優しい瀬織津姫とは正反対の、瀬織津姫を貶める呼称です。
 瀬織津姫を祀るところは洛中では上賀茂神社・下鴨神社、洛外で八瀬、小野郷の計3社くらいのもので非常に少ないのです。
 トノヲシテを嫌う藤原氏などの権力者の仕業と思われます。
 このような状況下で、瀬織津姫は、この聖観音や如意輪観音、弁財天、善女竜王などなどの仏教本尊にお姿を変えて、洛中にそして皇室内に依り代の場をおつくりになり、それを通してトノヲシテ、メの道をずっとお守り続けていらっしゃっているのでしょう。

 ここをあとにして、最後は出町柳の妙音弁財天へ参拝しました。 
宝鏡寺と妙音弁財天に関しては、以前のブログ記事にも書いています。
以下のリンク先をご覧ください。 

「鏡の乙女 出町柳青龍妙音堂」
http://white.ap.teacup.com/hakuto/2467.html
 「再び「鏡の乙女」」 
http://white.ap.teacup.com/hakuto/2468.html


 君の名は。 磐座の水神が村人を救う

2016-10-30 08:53:00 | 瀬織津姫
 本日10月30日は、家内の強力な勧めで、話題の映画「君の名は」を見てきました。劇場での映画鑑賞は、「見とけよ!お前ら、絶対受かってやっかんな!」の名ゼリフの「ビリギャル」以来でした。 
 この映画は時系列や場面が目くるめく展開していくという、ストーリーがわかりづらいものであることを前もって知っていたので、ユーチューブでそのヒントとなる解説を見て予習した甲斐があり、大体の流れを理解することができました。

 

 宮水神社、奥宮の磐座、主人公の名前の宮水三葉(みつは)と立花瀧、そして水、雨の美しい描写と相まって、瀬織津姫を連想させてくれました。瀬織津姫は橘の神ともいわれることが、故菊池展明氏の考察によって明らかとなっています。http://blogs.yahoo.co.jp/tohnofurindo/18624534.html
 三葉はもちろんミズハノメノ神がモチーフであることは新海監督も認めています。
 宮水とはズバリ、六甲山・夙川の伏流水と御前浜付近の海水が絶妙にブレンドされた名水のことであり、この水を使って醸造される白鷹は伊勢神宮唯一の御料酒に指定されています。御前浜とは廣田の神(瀬織津姫)の御前(おんまえ)にある浜、という意味です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%B0%B4

 ウィキペディアには、この宮水に神のお力がかかっていることを想起させるような以下の説明があります。
 >このように宮水が酒造りには理想的な有効成分を含むことは多くの点から説明できるが、現代の科学を以てしてもなおも、なぜ宮水がそれほどまでに酒造に好適であったのか解明されていない部分も残っている。<
 
 そして瀧の神といえば、やはり瀬織津姫です。

『トノヲシテ瀬織津姫さま言霊リメンバリング』で日本の水を司る瀬織津姫は、こうおっしゃっています。「この国は水と緑の国であり、たいへんありがたい国であります。水が豊富に湧き出す国などこの地だま(地球)の上にもそうあるわけではありません。この水があって初めて稲穂が出来るのです。植物が育つのです。母なる水ではございませんか。また水は、天から降って参ります、集まって山の水となり、滝川の水となり、この国の美しい景色となります。」
 まさにこのお言葉のとおりに、描き出されているのがこの「君の名は。」です。

 口噛み酒も、古事記に「佐賀美邇迦美而(さがみにかみて)⇒建速須佐之男命の十拳劔である純白透明の水溶液(地魄)が天之真名井で洗い清められ、そこへ天照大御神(太陽)からの生命線が作用して、一種の霊妙なる醗酵作用・醸造作用が程よい程度に行われて、どろどろした粘液半固体の、生命の宿り得る原形質のようなものが出来るのであります。」http://arigatougozaimasu.com/free/kojiki/kojiki34.htm
 とあるように、古代の酒の醸造の原型を示しています。
 ホツマにはスクナミの神が瀬織津姫の御生誕日でもある3月3日雛祭の起源である、モモヒナキ・モモヒナミ夫妻に最初に酒を献上したことから、ササナミの称え名をいただいたことが出てきます。その発祥の地は、滋賀県蒲生郡安土町常楽寺、沙沙貴 (ササキ) 神社とされています。

 そして奥宮の磐座の重要性がクロースアップされています。この磐座の神が、はるか昔より準備をされて、粋な方法で、糸守の村人をお救いになったのです。
 里宮ももちろん大切ですが、本来神は、山の上の磐座に祀られている、あるいは磐座を依り代とされています。人が平地に居を移し、山から離れ、代わりに里に神殿を建てて、そこにしか神詣でに行かなくなり、本来の大切な場所が忘れ去られがちになってしまっているわけです。
 
 ですから六甲山の山の名前の由来と推定される瀬織津姫を祀る六甲比命神社の磐座が多くの人々によって信仰されるようになったことは、大変喜ばしいことです。
 奥宮(仏教でいえば奥之院)の座す磐座への信仰の大切さに注意が向けられるべきであることを、新海監督は、語らずとも示唆しています。
 
 瀬織津姫の御言葉の御本の出版とちょうど時期が重なったこの「君の名は。」は、若者の恋愛物語を装いながらも、相当に深い御神意を内包する作品といえるでしょう。