八上、現在の八頭町の私都(きさいち)地区、私都は本来 きさいべ、であり、天皇のお后とかかわりのある地名です。
奈良時代に、藤原不比等とその妻、県犬養橘三千代(あがたいぬかいたちばなのみちよ)はその娘を天皇の后にしようとします。皇室とその親族以外の身分から天皇の后が入内する、これはそれ以前にはなかったことなのです。
そのタブーを破って藤原不比等と橘三千代は自分の娘を入内させようとしたのです。これは藤原氏が覇権を握るための大きな出来事です。そしてそれは皇室にとっても一つの歴史的転換点となります。 この入内を成功させるために、橘三千代が誓願した三つのお寺の一つがなんと下私都の峰寺(みねでら)にある峰寺薬師です。ここは奈良法隆寺、三河鳳来山薬師寺と共に日本三大薬師と呼ばれているのです。ではなぜ、その一つがこの私都にあるのか、いままで大いに謎でした。
その謎を、先日、八上の郷土史研究家の新誠さんとの話で解くことができました。
私都は天照大神の正后、瀬織津姫を祀る神社が密集しているところであったことから、瀬織津姫と並々ならぬご縁を持っているところとして、おそらく全国的に有名だったのでしょう。
自分の娘を是が非でも天皇の后にするためには、天照大神のお后である瀬織津姫にご縁の深いところにも誓願寺を建てる必要があると思ったのでしょう。そうして橘三千代・藤原不比等はその宿願を果たすために瀬織津姫と縁の深い私都にその薬師の寺を建立するのにふさわしい所として奈良の都から遠い八上をわざわざ選んだのでしょう。
そうして実現したのが、聖武天皇の后、光明皇后です。その立后をさらに磐石にするために施薬院や悲田院を作って光明皇后の多くの美談を作り上げたもようです。http://bell.jp/pancho/k_diary-4/2011_0110.htm
これが私都に誓願寺、日本三大薬師の峰寺薬師が建立された理由と思われます。
http://www.page.sannet.ne.jp/t_kawakami/minedera.html
水野晴郎ふうに、「イヤー八上って本当におもしろいですね~」
奈良時代に、藤原不比等とその妻、県犬養橘三千代(あがたいぬかいたちばなのみちよ)はその娘を天皇の后にしようとします。皇室とその親族以外の身分から天皇の后が入内する、これはそれ以前にはなかったことなのです。
そのタブーを破って藤原不比等と橘三千代は自分の娘を入内させようとしたのです。これは藤原氏が覇権を握るための大きな出来事です。そしてそれは皇室にとっても一つの歴史的転換点となります。 この入内を成功させるために、橘三千代が誓願した三つのお寺の一つがなんと下私都の峰寺(みねでら)にある峰寺薬師です。ここは奈良法隆寺、三河鳳来山薬師寺と共に日本三大薬師と呼ばれているのです。ではなぜ、その一つがこの私都にあるのか、いままで大いに謎でした。
その謎を、先日、八上の郷土史研究家の新誠さんとの話で解くことができました。
私都は天照大神の正后、瀬織津姫を祀る神社が密集しているところであったことから、瀬織津姫と並々ならぬご縁を持っているところとして、おそらく全国的に有名だったのでしょう。
自分の娘を是が非でも天皇の后にするためには、天照大神のお后である瀬織津姫にご縁の深いところにも誓願寺を建てる必要があると思ったのでしょう。そうして橘三千代・藤原不比等はその宿願を果たすために瀬織津姫と縁の深い私都にその薬師の寺を建立するのにふさわしい所として奈良の都から遠い八上をわざわざ選んだのでしょう。
そうして実現したのが、聖武天皇の后、光明皇后です。その立后をさらに磐石にするために施薬院や悲田院を作って光明皇后の多くの美談を作り上げたもようです。http://bell.jp/pancho/k_diary-4/2011_0110.htm
これが私都に誓願寺、日本三大薬師の峰寺薬師が建立された理由と思われます。
http://www.page.sannet.ne.jp/t_kawakami/minedera.html
水野晴郎ふうに、「イヤー八上って本当におもしろいですね~」