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口蹄疫が、神話のふるさと宮崎で猛威を振るっています。これは拙著2冊でも触れたとおり、天照大神の訓告=肉食禁止を示しているのではないか、と筆者には思えてきます。
歴史事実として伝えられるのは、7世紀天武天皇による肉食禁止令があります。その後、明治時代の文明開化を迎えるまで、実に1200年にわたり、肉食は表向きは忌み嫌うべきものとされてきました。
縄文時代には貝塚などの発掘により、獣肉が食されていたことがわかっています。 今でも、時折、猪や鹿などの農作物荒らしの被害にあう地域で、捕獲された動物が処分されて食されることはあります。これは人と動物の共生が上手に図ることのできた一昔前と違って、山の動物も行き場を失い、えさを求めて、里の農作物を荒らすようになったわけですから、元はといえば人間に非があるといえます。
ここで明確に区別しておかなくてはならないのは、狩猟による不定期で少量の獲物獲得と、階級社会を形成した要因といわれる経済的発展の原動力となった人工的に繁殖させる牧畜による大量生産・大量消費です。
牧畜の発達によって、遊牧民や肉を主食とする人たちは、以前はまれにしか食することのなかった肉類を、ほぼ毎日のように食すようになります。日本では食肉のための牧畜は、近代以降から始まったのであり、いくら縄文人が肉を食べることがあったといっても、それは量的に比べ物にならないのです。
日本では戦前までは肉の消費量はそれほど多くなかったのですが、戦後西欧型の食生活がもてはやされて、毎日のように、ホルモン剤投与などで不自然に生育された食肉を摂取するようになったのです。
しかし、肉食の弊害は、多大な穀物飼料の消費のために引き起こされる熱帯雨林の破壊、食糧危機だけでなく、人の体および精神(=不安定化、凶暴化)への悪影響も指摘されます。家畜の成育は二酸化炭素の大量発生の元ともなっています。 http://www.rinri-saitama.org/compass/post-4.html
本来は20年以上の寿命を持つ牛が、2才くらいで屠殺される事もかわいそうなことです。
このたびの口蹄疫騒動でも、数十万頭の家畜が即殺処分されます。たとえ無事であったとしても、やがては屠殺される運命なのですが。いずれの選択でも動物の命をもてあそんでいるとしか言いようがありません。
人は、生き物の生命をいただいている、植物も動物もその見方からすれば同じであって、何も肉食ばかり目の敵にするのはおかしな考えだ、という人も多くいます。
しかし、ご自分で、その食物を調達する、というふうに仮定してください。
田畑にできる穀物・野菜を育て、収穫し、それを調理することに抵抗感を持つ人はいないでしょう。水揚げした魚類は中間的存在ですが、獣肉となるとそうはいきません。必ず屠殺という過程を経なければ口にすることはできないのです。
この観点からも本来の食べ物と、そうでないものとがはっきりしてくると思います。自身の手で、育て、加工し、調理できるものは食べてもよいでしょう。しかし、自身の手で、それができないと思われるものは食すべきものではない、といえます。
ポールマッカートニーはビートルズ解散直後、しばらく農場経営をしていましたが、そこで羊を飼っていました。ある日、レストランで、羊の肉を食べているときに、自分が育てている羊のことが思い浮かび、それが日ごろ大切に育てている羊と同じ仲間であることに気付きました。これを機に、肉食を断ったそうです。かれこれ40年近くベジタリアンを貫いているのです。
神話の国、宮崎で起こった口蹄疫の問題は、肉食をやめなさいという警告ではないでしょうか。
BSE=狂牛病、鳥インフル、豚インフル、そこにはすべて同じ意志が貫徹しているように思えるのです。
これは県知事や、国の政治家が言い出せることではありません。一般の人たちの意識改革がなされることが大切です。
歴史事実として伝えられるのは、7世紀天武天皇による肉食禁止令があります。その後、明治時代の文明開化を迎えるまで、実に1200年にわたり、肉食は表向きは忌み嫌うべきものとされてきました。
縄文時代には貝塚などの発掘により、獣肉が食されていたことがわかっています。 今でも、時折、猪や鹿などの農作物荒らしの被害にあう地域で、捕獲された動物が処分されて食されることはあります。これは人と動物の共生が上手に図ることのできた一昔前と違って、山の動物も行き場を失い、えさを求めて、里の農作物を荒らすようになったわけですから、元はといえば人間に非があるといえます。
ここで明確に区別しておかなくてはならないのは、狩猟による不定期で少量の獲物獲得と、階級社会を形成した要因といわれる経済的発展の原動力となった人工的に繁殖させる牧畜による大量生産・大量消費です。
牧畜の発達によって、遊牧民や肉を主食とする人たちは、以前はまれにしか食することのなかった肉類を、ほぼ毎日のように食すようになります。日本では食肉のための牧畜は、近代以降から始まったのであり、いくら縄文人が肉を食べることがあったといっても、それは量的に比べ物にならないのです。
日本では戦前までは肉の消費量はそれほど多くなかったのですが、戦後西欧型の食生活がもてはやされて、毎日のように、ホルモン剤投与などで不自然に生育された食肉を摂取するようになったのです。
しかし、肉食の弊害は、多大な穀物飼料の消費のために引き起こされる熱帯雨林の破壊、食糧危機だけでなく、人の体および精神(=不安定化、凶暴化)への悪影響も指摘されます。家畜の成育は二酸化炭素の大量発生の元ともなっています。 http://www.rinri-saitama.org/compass/post-4.html
本来は20年以上の寿命を持つ牛が、2才くらいで屠殺される事もかわいそうなことです。
このたびの口蹄疫騒動でも、数十万頭の家畜が即殺処分されます。たとえ無事であったとしても、やがては屠殺される運命なのですが。いずれの選択でも動物の命をもてあそんでいるとしか言いようがありません。
人は、生き物の生命をいただいている、植物も動物もその見方からすれば同じであって、何も肉食ばかり目の敵にするのはおかしな考えだ、という人も多くいます。
しかし、ご自分で、その食物を調達する、というふうに仮定してください。
田畑にできる穀物・野菜を育て、収穫し、それを調理することに抵抗感を持つ人はいないでしょう。水揚げした魚類は中間的存在ですが、獣肉となるとそうはいきません。必ず屠殺という過程を経なければ口にすることはできないのです。
この観点からも本来の食べ物と、そうでないものとがはっきりしてくると思います。自身の手で、育て、加工し、調理できるものは食べてもよいでしょう。しかし、自身の手で、それができないと思われるものは食すべきものではない、といえます。
ポールマッカートニーはビートルズ解散直後、しばらく農場経営をしていましたが、そこで羊を飼っていました。ある日、レストランで、羊の肉を食べているときに、自分が育てている羊のことが思い浮かび、それが日ごろ大切に育てている羊と同じ仲間であることに気付きました。これを機に、肉食を断ったそうです。かれこれ40年近くベジタリアンを貫いているのです。
神話の国、宮崎で起こった口蹄疫の問題は、肉食をやめなさいという警告ではないでしょうか。
BSE=狂牛病、鳥インフル、豚インフル、そこにはすべて同じ意志が貫徹しているように思えるのです。
これは県知事や、国の政治家が言い出せることではありません。一般の人たちの意識改革がなされることが大切です。