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メタボ君の自由・気ままな人生&散策あるばむ Ver.2.1

自由気ままにぶらり散歩に出かけ、四季折々の風景、花、景観、鳥撮を楽しみ、日記アルバム風の備忘録帳

   

2016 振り返って(福島会津若松城・地元は鶴ヶ城と呼ぶ) その7

2017-04-24 | 城・石碑
おはよう、
今日(170424)は、「福島・会津若松城、鶴ヶ城」の雄姿の姿、特に赤瓦が有名である。かつ、戊辰戦争での不滅の城、桜と日本の城とのコラボ。「鶴ヶ城公園」として「日本さくら名所100選」に選定された。「春の花だより」をします。
**********************************************************ぶらり日帰り散歩:2016-04-12
若松城(わかまつじょう)」は、福島県会津若松市にあった日本の城である。地元では「鶴ヶ城(つるがじょう)」と言う。旧称である「黒川城(くろかわじょう)」、または単に会津城とされることもある。国の史跡としては、「若松城跡(わかまつじょうあと)」の名称で指定されている。戊辰戦争の際には会津戦争にて、会津勢の立て篭もる若松城は1か月の間持ちこたえ城は落ちなかった。
桜と日本の城

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見事な「枝垂れ桜

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以上
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福島・若松城(鶴ヶ城) その1

2016-04-18 | 城・石碑
おはよう、
今日(160418)は、4月12日(火)~4月14日(木)(2泊3日)に「福島・会津若松、会津坂下、西会津、福島飯坂、及び宮城・松島へ桜前線北上に合わせ、旅行」してきました。これから数回に分けて、する。
今回は、「福島・会津若松 若松城(鶴ヶ城)編 その1」です。さくらは満開で、最高の陽気でした。ちょっと驚きは、12日朝は、少し寒く道路・枝には数cm積もった雪でした。日陰の枝は樹氷の風景でした。

若松城:
若松城は、日本の城である。全国でも稀な赤瓦の天守閣 。地元では「鶴ヶ城」と言うが、同名の城が他にあるため、地元以外では「会津若松城」と呼ばれることが多い。文献では旧称である「黒川城」、または単に「会津城」とされることもある。(出典元:インタネット情報)

「若松城(鶴ヶ城)」の登閣記念のご朱印を頂きました。(歴代の藩主の家紋が印象的です)

「若松城(鶴ヶ城)」内の案内板

「天守閣」の標柱と満開のさくら

「鶴ヶ城」への参道付近(椿坂)のさくらと「鶴ヶ城 さくらまつり」の標柱
「鶴ヶ城」の正面である北出丸から本丸に向かう坂が椿坂(横手坂)

「赤瓦の雄姿な鶴ヶ城」
赤瓦は、表面に釉薬が施して焼かれており瓦の強度が強く、会津の厳しい冬の寒さにも耐えることができる。

その2 (重厚な構造である)

その3 (鯱(しゃちほこ):鶴ヶ城のしゃちほこは「銀」でできている。目は2カラットのダイヤモンド)直接見ることは難しい。(双眼鏡で)

その4

その5

その6 (ここの場面が気に入っているが)

その7

有名な「鉄門:表門」

その2

「鶴ヶ城」を中心にした集合写真 1

「鶴ヶ城とさくら」のコラボ

その2

その3

その4

その5

その6

その7

その8

その9

「鶴ヶ城」を中心にした集合写真 2


 → 「福島・若松城(鶴ヶ城) その2」 へ続く。
以上
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福島・若松城(鶴ヶ城) その2

2016-04-18 | 城・石碑
 → 「福島・若松城(鶴ヶ城) その1」 からの続き。
おはよう、
今日(160418)は、「福島・会津若松 若松城(鶴ヶ城)編 その2」です。最終回です。次回から、別テーマでアップする。

「天守閣」展望台から東西南北の眺め風景(真っ白な雪、薄ピンク色の桜、青葉のコラボが全体を躍動させている)
(掲示物を撮影)

赤瓦の上にも雪化粧状態

その2

その3

その4

「磐梯山」も再び雪化粧をしていた。
                  下段右:飯豊山連峰の雪化粧状態(12日降った雪でさらに真っ白に)

「茶室麟閣」側から眺めた「鶴ヶ城」

その2

その3 (シダレザクラがさらに栄える)

その4

その5

その6 (正門と「麟閣」の扁額)

その7

その8 (千利休の子・少庵が建てたと言われる茶室)

「鶴ヶ城」の入口付近、とても美しい「照姫しだれ桜」が綺麗でした。
上段左:桜ヶ馬場蹟正面         上段右:「桜ヶ馬場蹟」と鶴ヶ城の瓦

その2

その3

その4

その5

「鶴ヶ城」周辺の様子
                    下段右:まだ朝降った雪が解けていなかった。


以上
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信州・松本 国宝:松本城見学へ

2015-06-02 | 城・石碑
こんにちは、
今日(150522)は、信州 善光寺への参拝・翌日帰り路の「国宝・松本城」に立寄りました。戦うための黒い堅固な天守と平和な時代に造られた優雅な辰巳附櫓、月見櫓と数々の優れた築城技術を今に伝えている。
国宝・松本城の入り口の石碑と歴代藩主(城主)

写真スポットと云われている場所付近からの城の重厚な景観
黒門手前からの撮影(城と後方のアルプス山脈の山並みの調和はさらに美しい)

黒門

黒門の拡大写真

天守の正面からの撮影(重厚で、りっぱな城です)

正面から少し右側に移動して撮影

左:正面から撮影            右:二の丸御殿跡から撮影

大名町大手門井戸(城の周りには、さらに6井戸ある)

昼の時間帯に、太陽の周りに虹の輪を発見:「日暈、ひがさ」という気象現象だそうです。
少し分かりやすく、色を濃くしました。(実際は8の字になっていました)



集約した写真(太陽直撮影は危険であるので、目くらシャッターでした)

以上
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国宝:松本城のまめ知識
天守の高さ29.4m、天守6階造り、
 最上階・天守六階: 戦い時、周りの敵の様子を見るところ
 天守五階:重臣たちが作戦会議を開く場所
 御座の間・天守四階:城主のいるところ(御座所)
 窓がない暗い部屋・天守三階:天守閣は外からは五重に見える
 特徴のある窓・天守二階:武者だまり、窓が多く明るい階
さまざまな工夫が施されている。
 渡り櫓:天守への入り口:頑丈な扉、簡単には入れない構造
 石落と座間:鉄砲戦の工夫、厚い壁は、矢座間、鉄砲座間が合わせて25か所、天守と乾小天守の渡り櫓には、石落がある。
 たくさんの柱:丸太柱は400年以上たっている。

「日暈:ひがさ」とは
暈(かさ、halo、ハロー、ハロ、ヘイロー)とは、太陽や月に薄い雲がかかった際にその周囲に光の輪が現れる大気光学現象のことである。特に太陽の周りに現れたものは、日暈(ひがさ、にちうん) 、月の周りに現れたものは、月暈(つきがさ、げつうん) という。虹のようにも見えることから 白虹(はっこう、しろにじ) ともいう。