松江市のゼロ磁場

役行者の山伏です。千日行をして松江の西方の陣賀山に新しくゼロ磁場を発見しました。
コメントは返せません。

ゼロ磁場 修験道 大木の精霊の御告(1月24日)

2015年01月24日 | 動画

「ゼロ磁場」を被っている大木が枯れたので12月23日に伐採した。それから毎日のように大木の夢を見た。あるとき大木が語りだした。大木と話ができると直感した。

毎日少しづつ話しかけてくれた。人間のように話しかけるのではなく、木の前で瞑想していると私の心に「木の氣」が強弱をつけて伝わってくるのです。丁度直物に電流を流すと電流の流れが人の言葉によって変化することが科学的に証明されているいることと同じです。

花に良い言葉をかけると花が長持ちして枯れないと言われるように人の言葉を理解するのです。植物とつながりがあるのです。

大木は次のように話してくれました。「枯れた大枝を切ってくれてありがとう。私は150年間「胎龍法印」とともにこの場所を守ってきたが「法印」の墓石像移動されたため、第一の役目が終わったので大枝の必要がなくなった。これからは第二の目的 参拝される方により多くの幸せを与えるため働くからこれ以上伐採しないで欲しい。「胎龍法印」を調べなさい」とのことであった。彼の資料が抹殺されていることに気がついたので、「たから石」と「厄払」の護符を大切に持っていた93歳の男性の病床で口伝を聞いた。

その男性はお祖母さんから聞いた話を話してくれた。法印の資料はないため史実的に正しいがどうかわからないが他の資料と比べると信ぴょう性がある。

松江藩は学問教育を尊重する土壌があった。そのため早くから松江藩の学校「明教館」をつくり、教育を行なった。  その「明教館」で神童と言われた3人がいた。

胎龍法印(たいりゅうほういん) 雨森精翁(あまもりせいおう) 内田鰪香(うちだろこう)であった。

3人の中で「胎龍法印」は特に学問にすぐれ、「学問の神」と言われ崇められていた。藩費で大阪の「篠崎小竹」に留学して儒学を学んだ。そして密教修行をして「大先達」になり、松江にかえり「役行者尊」を護り加持祈祷をして松江のこのゼロ磁場で精神科医のような仕事をして人々を病魔から守り「難病 奇病 悪病あらゆる病気が治る場所として言われていた場所を広めて江戸時代はたいそう多くの参拝者で賑わって人々から崇められた。

しかし明治5年に「修験道禁止令」が出たためそれまでの法印の功績は全て抹殺された。あらゆる資料はすべて焼き払われた。唯一つ写真にある墓石像が大木前に残っただけになった。150年間誰もおとづれる人がいなく寂れた。それを今皆様方のお参りで再び人々の健康のために役立とうとしています。

雨森精翁は内中原小学校の場所に「養生塾」を開き、内田鰪香は市役所横に「修道館」をひらき教育に励んだ。門弟には総理大臣の若槻礼次郎 二葉亭四迷や法学者の梅健次郎 歴史学者滝川亀太郎など有名な人が多くいる。

大木は「学問の神」と言われた「胎龍法印」の霊魂が宿っています。この霊魂が「学問の向上する氣」を与えます。 大木の精霊はこのことを私に伝えたかったようです。

松江の学問に関する知識が私も初めてわかりました。すごいことを私に知らせてくれたと感謝しています。大木よありがとう!!!

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする