我々が愛してやまない、「漫画」という娯楽がある。
大きく分けて「まんが」「マンガ」「漫画」の三通りの表記方法があるが、どの書き方をとるべきか。
結論から言えば、三つとも正しいし、その表記方法は如何なる束縛も受けずに自由であるべきだ。しかしその前に、私の暴論に近い言いがかりを聞いて欲しい。
「まんが」「マンガ」というひらがな表記とカタカナ表記をする事は、子供の頃から漫画を愛し、今も楽しんで読み続けている人々だけの「特権」である。漫画におかしなレッテルを貼り、その規制の先鋒となっているような者達に「まんが」「マンガ」と書かれることに、私は我慢がならない。
なぜか。まず一つには、幼稚園生や小学生で漫画を読み始めた時、我々は「漫画」の「漫」という漢字を学校の授業で習っていなかったからである。かといって、小学校低学年の頃に習う「画」だけを漢字にして子供が「まん画」と書くのも不自然だ。
ちなみに私は少年時代、「まんが」と表記していた。小学5年生を境に「漫画」と書くようになったが、それは藤子不二雄先生(コンビ解消前)にお出ししたファンレターに「先生方のような漫画家」という敬愛の言葉を挿入するために辞書を引いて漢字を覚えたからだ。
その翌年に藤子プロダクションから頂いた年賀状は一生の宝物だ。
25年以上前の話だが、クラスの男子の中ではジャンプ読者が最大勢力で、コロコロ読者がそれに次ぐ第二勢力だった。傾向としては前者は「マンガ」と書き、後者は「まんが」と書くことが多かった。女子では「まんが」と書く子が多数派だった。平安時代にひらがなが俗に女の文字(女手)とされていた事はほとんど関係がないだろうが、「まんが」という表記が女性的な印象、「マンガ」という表記が男性的な印象を与える面もいくばくかはある。
いずれにせよ、「まんが」「マンガ」のかな・カナ表記は、子供時代に漫画を知った人達が大人になってからも少年・少女時代からの習慣として用いるからこそ許される。漫画を生み出し、その編集・印刷・流通に関わる人々とその読者だけに許される。漫画を愛している人だけが三通りすべての表記方法を許され、漫画をはじめから規制の対象と貶めている自称人権派の活動家達にはパソコンの変換機能で第一候補として出てくる「漫画」と表記することのみがかろうじて許される。
お聞き苦しい言いがかりはひとまず終わりにしたい。
「漫画」という言葉の起源には諸説あり、その歴史を論じるだけの知識は私にはない。
私は今では「漫画」と書くのが習慣だが、それは漫画の「画」が「画(え)」であることと、「劇画」というジャンルに先駆けて「漫画」という表現手法が存在していた背景からそうしている。昭和49年生まれの私が物心付いた頃には既に「劇画」が存在し、市民権を得ていた。
公式(?)にどう表記されているかに着目してみれば、まず白泉社の漫画賞「HMC」は「花とゆめまんが家コース」の頭文字であり、集英社のティアラには「少女・女性まんが新人グランプリ」と傍記されている。小学館は「小学館新人コミック大賞」を主催しているが、応募要項では作品は「まんが」と表記されている。講談社や集英社が主催している他の漫画賞では「マンガ」「MANGA」「コミック」が混在している。一方で、高く評価された作品に贈られる賞に「講談社漫画賞」「小学館漫画賞」などがある。
要は、今では「まんが」「マンガ」「漫画」の三つのどれを使用しても構わないのであり、今後は新たな表記方法が出てきても良いだろう。なぜなら漫画は「自由」の代名詞でもあるからだ。
本来なら最後に「漫画」と「コミック」の違いを説明して締めくくりたいが、残念ながらこれに関しても私には十分な知識がない。
国内では、「コミック」は数十年前からほぼ「漫画」の同義語と捉えられている。例えば雑誌の名称に於いては、『まんがタイム』『週刊漫画TIMES』等の他に、『ビッグコミック』というような使われ方をしているし、国内最大規模の同人誌展示即売会の名称は「コミックマーケット」である。
しかし「コミックス」は個人的には漫画単行本を意味する和製英語だと私は思っている。「ジャンプコミックス」「りぼんマスコットコミックス」等とレーベル名にも使用されているが、この「コミックス」には「コミック」の複数形とは言い切れない部分がある。その使われ方に目を向けても、例えば現役の漫画家や出版社が「初のコミックス」「コミックスの第1巻」というような表記をすることがある。
最近では漫画は海外で「manga」と呼ばれ、辞書にも載っている。士郎正宗の『攻殻機動隊』が映画化され、日米英で公開されたそれを1995年に都内の劇場で観た時に、クレジットタイトルに"Based on the manga by SHIROW MASAMUNE"という文字を見たのが私の比較的古い記憶だ。
話は前半の言いがかりに戻ってしまうが、漫画を世界に誇る日本の文化と形容することは、ある意味では正しい。しかし漫画は「文化」である前に「娯楽」である。希薄な根拠で漫画を攻撃している者達は、「娯楽の一切存在しない世界」という地獄をもたらそうとしているに等しい。そのような者達には、「まんが」と書くことも「マンガ」と書くことも、まして「manga」と書くことも許されるべきではない。私は各種の条例案や日本ユニセフ協会の文書で「マンガ」というカタカナ表記をされていることが不愉快だ。前述したように、カナ表記は漫画を愛している人々だけの特権である。かといって「漫画」と書かれるのも腹立たしい。無論、漫画を描くこと・読むこと・所持することを規制しようとする者達に、新たな名詞を造る権利など微塵も無い。
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私は小学生だった1984年に「藤子不二雄ランド」の刊行が始まり、安孫子先生の『まんが道』だけはどうしても揃えたいと両親に頼み込み、月に380円の余分の小遣いをもらっていました。その時に買い揃えた全23巻は私にとって、今もこうして漫画を愛し続けていることの礎に等しい存在です。
会長がお仕事でご覧になったのは、年代的にはこの作品が舞台としている頃の物だと思います。貸本漫画の原画などその最たる物ですが、「後世に残す」という発想を版元側も時代も持てなかったようです。
漫画作品の「愛蔵版」や「画集」に対する需要が芽生え始めた時代に生を受けたことに、私は感謝しています。その裏側で絶版になっていく作品も多々あり、私は漫画の本棚を置いてある部屋の窓には遮光カーテンを吊るして光から少しでも守ろうとしています。
すでに、「マンガ」と書きましたとおり、オリジナルが"まんが"、"漫画”の場合以外は「マンガ」で表記を統一しました。特段の指示があったわけではなく、習慣に近いと思いました。
たぶん、世界的に、"MANGA" が定着したため、あえてカタカナなのかな?と考えます。外来語扱いとも捉えられます。
ヘンですね。
余談ですが、その業務で多くの素晴らしい原画を鑑賞できました。美術品といっても過言でないです。
「まんが」「マンガ」「漫画」の表記方法は自由であるべきだと言っておきながら、日本ユニセフには「マンガ」と書くなと言っているという、とてつもない「言いがかり」をつけているというのが記事のオチです。
そらすごいものをお持ちで!
私は「マンガ」表記が一番しっくりくるなぁ。
アグネス的な方々には使って欲しくないが。