私には「ふるさと」という意味での田舎がないので、新聞やテレビで報道される「帰省ラッシュ」をどうしてもひねくれた目で見てしまいます。
父は富山育ちですが、元々は東京の人間で、富山は空襲で焼け出されて避難していた土地です。
母方の祖父の田舎は岩手ですが、祖父自身は若い時に東京に出てきた人間で、その岩手も私は高校の夏休みに一度だけ遊びに行ったのみで、田舎と云うより「観光地」です。(小岩井の乳製品は美味しかった)。
江戸に三代暮らすと江戸っ子だと云われていますが、私の祖母が既に東京で三代目なので、私は祖母から数えると東京に住んで5代目です。それなら今住んでいる東京がふるさとなのかと言われれば、子供の頃から海外を転々としていて、同じ土地に3年を超えて暮らした記憶がありません。今の土地(都内)には8年住んでます。やはり東京が私のふるさとでしょうか。
家の代々のお墓は都内にあるし、父方の祖母が介護されているホームも地下鉄一本で行ける場所にあります。インパールで戦死した祖父は靖国に祀られています。学徒出陣して生き延びた母方の祖父は、よほど忌まわしい記憶だったのか、一度として「戦争体験」を孫である私に語ってくれたことはありません。
ご先祖様のお墓参りをするのも都内、一族が代々暮らしていた土地も東京、ふるさとの言葉(=方言)も私にはありません。
帰省というイベントはふるさとが離れた土地に無い私にとっては完全に他人事です。
高速道路も新幹線も利用せず、家で静かに、国を護るために散った英霊に心の中で手を合わせるだけです。私は神を信じませんが、日本が先祖の霊に護られている国だという事は理解しているつもりです。
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別に存在しないIDさんを非難したわけではありません。
ただ、自分の金と端末でインターネットに接続できる環境を享受している時点で、その人は「格差」と世間で呼ばれている物の底辺に位置している存在ではないと私は思います。掲示板やSNSの利用者の一部があたかも自分が犠牲者であるかのような語調で「格差」を論じて(?)いる光景はこっけいに見えます。
なんていうか、都市在住・地方在住の親戚の間での会話の微妙なかみ合わなさとかかなりの文化の違いというか、そういうものを肌で感じたのです。
…やるせなさを感じましたよ。
日本に於ける「都市部と地方の差」というのは、私は数値や理論の上でしか知ることができず、「体感」として理解することは決してできません。
飢餓に苦しんだ経験のない者が「食べ物のない辛さ」を理解できないのと同じです。
安易に「分かります」と同調することのほうが失礼だと思っています。
埼玉に居る従姉やその息子(今年20になったので酒を今回初めて酌み交わしました)など、なかなか普段会えない人と会うめったにない機会だったりします。
地方出身者が高校や大学を出てから都市部に出てくる、という、高度成長期に一般化した居住歴がいま崩れてきていますよね。
格差の固定化とも密接に関係しているのかな、なんて思ったり。
こうやって都市部と地方の差がまた広がっていくのでしょうか。