〈川俳会〉ブログ

俳句を愛する人、この指とまれ。
四季の変遷を俳句で楽しんでいます。「吟行」もしていますよ。

拾い読み備忘録(55)

2016年02月24日 18時48分48秒 | 研究書
わたしたちが外国語を学習するのは、外国語こそが、たとえ下手に身につけても決して無駄に終らぬ唯一のものだからです。
たとえば、バイオリンがちょっとしか弾けない人がいたとします。彼は自分の演奏によって聴衆に及ぼす苦痛が、彼自身にもたらし得るだろう喜びに較べて計り知れぬほど大きいことを即座に見て取るでしょう。また、アマチュアの化学者が滑稽でないのは、自己のその営みの純アマチュア的性質を自覚し、プロの化学者と張り合おうなどと思い立たぬ限りにおいてです。医学を《少々かじった》手合いとて同じです。彼がそのアマチュア知識を実際に行使しようとするならば、ニセ医者として刑法上の罪に問われることになりましょう。アマチュアが社会的利益をもたらし得るのは、わたしの考えでは、外国語においてのみです。
「わたしの外国語学習法」ロンブ・カトー著 米原万里訳 ちくま学芸文庫 2000年
                              富翁
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