ほんわか亭日記

ダンスとエッセイが好きな主婦のおしゃべり横町です♪

あの頃

2018-03-11 | 日記
2018年3月11日(日)

東日本大震災から、7年たった。
テレビは、「震災のその後」の番組をさかんにやっている。
当時、千葉のこの辺りは、大きな揺れに不安になったけれど、東北の
ような、大地震、津波、原子力災害といった大災害には、見舞われず、
ウィステが、当時住んでいた一軒家も、被害は受けなかった。
今、住んでいるマンションは、大きく揺れ、冷蔵庫がひっくり返ったとの
話も聞いたわ。なにより、外壁に被害があった棟が目を引き、その修理費に
修繕積立金をずいぶん使って、去年、管理費がぐ~っとアップした・・。(^^;)

当時から、エッセイサークルは、エッセイ誌を出していたんだけれど、
先生が、
「2011年3月、ここで、私たちは、何をしていたのかを
エッセイに書いておきましょう」
と、提案され、その年の秋には、みなで、当時の思いや暮らしを
エッセイにした号を出したのだった。
ウィステは、久しぶりにその号を取り出して読んでみた。
それで、今日は、当時のエッセイを・・・。
(2011年に、ブログに載せたエッセイを、再度、ですが・・)
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「余震の日々」
 老犬となっていたポチが死んで一週間後の平成二十三年三月十一日に「東日本大震災」が、
東北・関東を襲った。そして、頻繁に起きる余震の中で、私にとっての本当の一人暮らしは始まった。
夜、寝ていても、枕元の携帯電話から響く、「ギャギャギャ、ギャギャギャ」という緊急地震速報の音で
何度も眠りを破られ、余震にベッドごと揺すられる日々が続いた。ぼ~っとしたまま、
〈このまま天井か本棚に押しつぶされても、誰にも気づかれないかもしれない。
津波で何万人も亡くなったんだし、そこに私の命が一つ付け加わるのかな〉
と、なんだか他人事のように感じていたり、
〈ポチが生きていたら、さぞ怖がったろう、この地震に合わないで良かった〉
と思ったりした。
 震災の翌日から、公民館や自治会会館は、点検や会議などが優先でサークルへの
貸し出しは停止となった。私達とて、ダンスのような楽しみ事に気が動かない。
洋裁教室も、先生から、「計画停電に当たっても困るし」と、当分お休みの連絡が来た。
原発の水素爆発による放射能漏れのことも不安で、私は、昼間は家に篭ってテレビを見続けた。
 テレビは地震被害の報道一色だった。津波が家々を潰していく様子やその後の残骸が広がる
惨状が繰り返され、私は目が離せない。いくつもの市がまるごと消え、死んだ方の人数がうなぎのぼりだ。
あっと言う間に黒い波に飲み込まれて亡くなった方たちの無念さを思い、ご冥福を祈るしかない。
助かった方たちの姿に、生き抜けて良かったと思うが、避難所にぎっしり座っている様子に心が痛む。
床はこの季節冷えるだろう。私も夜中にトイレに行くようになったけれど、お年寄りはトイレを
どうしているのだろう。
 繰り返し起こる余震の中、家を失い、生活が崩壊する怖さがひたひたと増す。胃が重い。
私の出来ることは、いくばくかの義捐金、そして、節電だ。エアコンの温度を二度下げて、
代わりに冬のズボンをまた取り出し、ソファーに座るときは毛布を羽織る。
夜は街の防犯のために門灯を点けていたが、これも消した。
〈温かいご飯が美味しい。トイレットペーパーやガソリンのある安心感。お風呂でゆっくり〉
といった穏やかな日常生活がしみじみ有り難いと思ったり、そう思うことが画面に映る被災者に
対し後ろめたいと感じたりした。
地震からそろそろ一週間という夜中、夢を見た。
〈私は母を連れて避難所にいた。周りの人たちは毛布を被って寝ているのに、薄闇の中で
母が大声をあげてどこかに行こうとするのだ。みなさんにご迷惑になると宥めても止めず、
私は困ってしまった〉
 はっと目を覚ました。母は病院で、看護婦さんもいて安全なのだからと、自分に言い聞かせたけれど、
困ってしまった感覚はずっと残った。
 翌日、娘に電話して話すと、娘に、
「お母さん、テレビを消しなさい」
 と言われた。迫力ある映像の見過ぎで、心が立ち竦んでいた私は、その言葉で、
やっとテレビから離れることが出来た。
 それでもニュースは気になるので、非常持ち出し袋の中から小さなラジオを出してきた。
ラジオからは、落ち着いた男性アナウンサーの声がして、被災者への励ましの便りや音楽を流している。
私はそれを聞きながら、縫いかけのTブラウスを取り出し、一目一目ゆっくり仕付け糸をかけた。
夜、娘からメールが来た。
「今、動物関係の番組をやっているから、ニュースじゃなくて、それを見なさい。癒されるよ~」
チャンネルを合わせると、テレビには、子猫が映っていた。ほやほやの毛、可愛い仕草に
ほっとして見入った。そのうちに口寂しくなり、つい非常食用のチョコレートを取り出してきてしまった。
甘いチョコレートが口の中に広がる。ダイエットの敵、夜のチョコレートはまことに美味しく、
自分を甘やかしているな~という感じに浸れる。
竦んでいた心も少し解れてきたようだった。すると、気になっていた被災地の動物のことが
心の表面に浮かび上がってきた。人間が大変な時に、動物の心配までは大きな声では
言えないような気がしていたけれど、彼らも怯えているに違いない。
そうだ、動物救出ボランティアの活動があるというから、「ポチへのお香典」と娘がくれた
二千円を義捐金として送ろう。もちろん、送り主の名前はポチにする。
「よっしゃ、明日朝一番で」と決め、ついでに、私は、もう一つと、
テーブルのチョコレートに手を伸ばした。
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あの頃は、ハハは、まだ、生きていたんだなあ・・・。
テレビから目を離せず、でも、テレビで、心が大揺れしていたんだった。
あの頃から、ムスメに喝を入れられていたんだなあ・・。
それに、ポチ・・。
と、あの頃の日常が思い出された・・。

午後2時46分、東日本大震災七周年追悼式の中継に合わせ、ウィステも、
亡くなった方々のご冥福を祈り、黙祷をしました。
7年たった東北の方々の頑張りに、そして、辛さに、頭が下がります。
ウィステ、せめてと、あれからも、福島産の野菜や果物、買っています・・・。






コメント
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