2010年11月29日(月)
テレビで、エコポイントがどうとかで、電器店がすごく混んでいるとやっていた。
レジでもすごく待たされるそうだ。
ウィステは、テレビも買い換えなかったし、特にエコポイントとは関係ないなあ・・。
でも、テレビを見ていたら、以前、チチの冷蔵庫を買い換えたときのことを
思い出したので、そのエッセイを・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「冷蔵庫を買う」
三月末のある朝、私がいつものように隣に住む両親の家に顔をだすと、
「お姉ちゃんが来たよ」と、父がうれしそうに母に言う。お姉ちゃん。長女である私は、もう五十数年、
そう呼ばれてきた。ことにここ数年、共に八十歳代となった両親が、「おねえちゃん」と呼ぶ口調は、
私には母の身の回りの世話をし父の家の主婦として采配を振るう頼りがいのある一家の「お母さん」という
響きに聞こえるが、これも長女の役目なのだろうと思っている。両親の家での私の朝一番の仕事は、痴呆が
進み一人では着替えもままならなくなった母の朝の身支度の手伝いだ。今朝も居間の温風ヒーターの前で
母を着替えさせていて、ふと台所に目がいくと、冷蔵庫の前に水溜りが出来ていた。新聞を読んでいる父に聞くが、
気がつかなかったという。父がうっかり水を零したのか、それとも、冷蔵庫の水漏れか。とりあえず床を拭き、
念の為、そこに古いバスタオルを敷いた。だが、昼に様子を見に行った時にも、夜、晩御飯を持って行った時にも、
そのバスタオルはぐしょぬれになっていた。
「これは、冷蔵庫の水漏れだわ」と、私は言った。もう二十五年以上は使った古いアメリカ製の冷蔵庫だから、
販売店を聞いても、父もうろ覚えだし、分かったとしても部品もあるかどうか。この際、修理よりは買い換えた方が
話が速いし良いと、父に勧ると、父も、
「そうするか」と、私の判断に同意してくれた。「お姉ちゃん」がそう言うのだし、あれこれ考えるのも
おっくうになっていたのかもしれない。私は、善は急げとばかり、翌日二人で冷蔵庫を買いに行くことまで
決めてしまった。
父を案内した電器店の冷蔵庫売り場には、大小様々な冷蔵庫が並ぶ。父は、これまでの冷蔵庫のような
ファミリータイプの大型冷蔵庫に眼を引かれているが、最近は私が自分の家で調理した晩御飯を両親に届けているので、
新しい冷蔵庫には食材を多く入れるわけではない。二人暮しの両親には大き過ぎる冷蔵庫をいつまでも見ていても
しょうがない。父に任せておいては時間ばかりかかると、せっかちな私は、
「とりあえず、私がざっと選ぶから」と、両親は冷凍食品を使わないから冷凍室は小さく、果物が好きだから
野菜室は大きくという条件を決めていくつかの候補を示し、その中から父に選ばせた。父は、
「このメーカーはいまいちだ。こっちのメーカーなら安心だ」と、メーカー名で見比べていたが、私は、
それは三十年前の評価じゃないかと思いつつも黙っていた。
以前より一回り小さな冷蔵庫を選んだ父は、
「昔に較べて、冷蔵庫が安くなったなあ」と、心積もりよりずっと安く買えたと喜び、私も一仕事かたづけた気になっていた。
翌朝、居間で母の着替えをしていると、母の靴下が濡れていた。「どうしたの」と、聞いても、母は、
「濡れているねえ」としか答えない。もしやと、台所を見ると、なんと床一面に水が広がっていた。「大変よ」と
、私は父を呼ぶが、朝食の仕度で台所に入った父も、気がつかなかったと言う。薄暗くて、良く見えなかったのだろう。
父のスリッパの底が水を吸ったため、足が濡れなかったので、尚更だ。突っ立ったままの父に、「いいから」と、言い、
慌てて雑巾で床を拭く。冷蔵庫の前から、シンクの前、さらに調理台の前まで拭くが、水は拭き取れない。
どうも、おかしい。
その時、シンクと調理台の隙間から水がじわじわと流れ出してくるのに気づいた。これは、水道管の水漏れに
違いない。水の流れのかげんで、最初に冷蔵庫の前が水浸しになったのだろう。しまった、どうしてもっと良く
調べずに、犯人は冷蔵庫と決めつけてしまったのか。生来の「慌て者」に加え、判断を鈍らせる「寄る年波」が
私の足元まで、いや、もう膝上までもひたひたと浸していると思った。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と頼りにされる昨今、ガイドのように父や母の手を引いて、日々の雑事を乗り越えて
いるつもりの私自身がアヤシイなんて、笑い事では済まない。「親亀コケたら……」の如く、今や私がコケれば、
父も母も道連れだ。今回は、結局、父に無駄なお金を使わせてしまった。「次回は……」急に心もとなくなってきた。
勝手なもので、自分の失敗に気持が挫ける隙に、
〈あまり頼られるのも荷が重いわ〉
という気持が心の奥からふっと浮きあがってきた。
それでも、とにかく目の前の水漏れをなんとかしなければならない。私が水を拭きとっている間にもテレビに
気を取られてしまった父も、父の側にぼんやり座っている母も頼りにはならない。
「冷蔵庫じゃなかった。水道管の水漏れだったわ」と、もそもそと父に話し、すぐ工務店の手配をした。
その日の夜八時過ぎに父から職人が来たと電話があり、父の家に行ってみると職人が台所のシンクを手前に
引き出していた。職人に挨拶をして話を聞くと、点検したところ給湯器の配管の継ぎ目のパッキングが腐食し
そこから水が流れ出しているので処置をしてくれると言う。水浸しになっていたシンクの奥の床を乾かすため、
数日間シンクはそのままにすると言われたが、水漏れが止まり、なにはともあれ一安心だ。職人が帰ると、
やや耳が遠くなっている父が呟いた。
「古くなって、あっちも、こっちも壊れて大変だよ」
私の説明が曖昧だったせいで、父は冷蔵庫も水道管も故障したと思っていたのだった。すっかりお姉ちゃんを
頼りにしてくれる父に、「ごめん……」と、もう一度私の早とちりを説明するのは気が重く、つい、
「古くなっていたから、省エネの新品もいいかも」と、付け加えた私に、父はあれこれ言わず、
「そうだな」と、答えてくれた。判断ミスでの余分な出費についてこぼされなくて、私はほっとした。
これが、十年前だったら、父は勿論、「何てことだ」と、怒る元気があっただろう。
二十年前だったら、きっと父自身が原因を調べただろう。
そういえば、私が子供の頃は、何か失敗をすると、父は、
「オッチョちゃん、又やったな」と、言ったものだった。父や母には、「お姉ちゃん」の他に、ときどき
「おっちょこちょいのオッチョちゃん」とも呼ばれていたと思い出した。あの頃は偉くて大きかった父が
すっかり小さくなり穏やかになったと今更のように気づく。
〈まあ、相変わらずのオッチョちゃんで悪いけれど、なんとか支えていくから〉
と、私は、心の中で父に申し開きをした。
それから三日後、母をデイケアに出してから自宅に戻った私に、
「お姉ちゃん、冷蔵庫が来たよ」と、父から少し弾んだ声で電話が来た。行って見ると、ゴタゴタしたままの
台所の隅に新品の冷蔵庫が据え付けられていた。父は、調子を調べるように扉を開けたり、閉めたりしている。
私は、その日の朝、うちで預かっていた食品を持ってきて、
「パンはここね。牛乳はここね」と、父と確認しあいながら、それらをまっさらな棚に並べていった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このエッセイを書いた頃は、まだチチもハハも元気だったなあ・・。
チチの冷蔵庫は、ムスメが貰って、今、埼玉のムスメの家で活躍しています・・。
テレビで、エコポイントがどうとかで、電器店がすごく混んでいるとやっていた。
レジでもすごく待たされるそうだ。
ウィステは、テレビも買い換えなかったし、特にエコポイントとは関係ないなあ・・。
でも、テレビを見ていたら、以前、チチの冷蔵庫を買い換えたときのことを
思い出したので、そのエッセイを・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「冷蔵庫を買う」
三月末のある朝、私がいつものように隣に住む両親の家に顔をだすと、
「お姉ちゃんが来たよ」と、父がうれしそうに母に言う。お姉ちゃん。長女である私は、もう五十数年、
そう呼ばれてきた。ことにここ数年、共に八十歳代となった両親が、「おねえちゃん」と呼ぶ口調は、
私には母の身の回りの世話をし父の家の主婦として采配を振るう頼りがいのある一家の「お母さん」という
響きに聞こえるが、これも長女の役目なのだろうと思っている。両親の家での私の朝一番の仕事は、痴呆が
進み一人では着替えもままならなくなった母の朝の身支度の手伝いだ。今朝も居間の温風ヒーターの前で
母を着替えさせていて、ふと台所に目がいくと、冷蔵庫の前に水溜りが出来ていた。新聞を読んでいる父に聞くが、
気がつかなかったという。父がうっかり水を零したのか、それとも、冷蔵庫の水漏れか。とりあえず床を拭き、
念の為、そこに古いバスタオルを敷いた。だが、昼に様子を見に行った時にも、夜、晩御飯を持って行った時にも、
そのバスタオルはぐしょぬれになっていた。
「これは、冷蔵庫の水漏れだわ」と、私は言った。もう二十五年以上は使った古いアメリカ製の冷蔵庫だから、
販売店を聞いても、父もうろ覚えだし、分かったとしても部品もあるかどうか。この際、修理よりは買い換えた方が
話が速いし良いと、父に勧ると、父も、
「そうするか」と、私の判断に同意してくれた。「お姉ちゃん」がそう言うのだし、あれこれ考えるのも
おっくうになっていたのかもしれない。私は、善は急げとばかり、翌日二人で冷蔵庫を買いに行くことまで
決めてしまった。
父を案内した電器店の冷蔵庫売り場には、大小様々な冷蔵庫が並ぶ。父は、これまでの冷蔵庫のような
ファミリータイプの大型冷蔵庫に眼を引かれているが、最近は私が自分の家で調理した晩御飯を両親に届けているので、
新しい冷蔵庫には食材を多く入れるわけではない。二人暮しの両親には大き過ぎる冷蔵庫をいつまでも見ていても
しょうがない。父に任せておいては時間ばかりかかると、せっかちな私は、
「とりあえず、私がざっと選ぶから」と、両親は冷凍食品を使わないから冷凍室は小さく、果物が好きだから
野菜室は大きくという条件を決めていくつかの候補を示し、その中から父に選ばせた。父は、
「このメーカーはいまいちだ。こっちのメーカーなら安心だ」と、メーカー名で見比べていたが、私は、
それは三十年前の評価じゃないかと思いつつも黙っていた。
以前より一回り小さな冷蔵庫を選んだ父は、
「昔に較べて、冷蔵庫が安くなったなあ」と、心積もりよりずっと安く買えたと喜び、私も一仕事かたづけた気になっていた。
翌朝、居間で母の着替えをしていると、母の靴下が濡れていた。「どうしたの」と、聞いても、母は、
「濡れているねえ」としか答えない。もしやと、台所を見ると、なんと床一面に水が広がっていた。「大変よ」と
、私は父を呼ぶが、朝食の仕度で台所に入った父も、気がつかなかったと言う。薄暗くて、良く見えなかったのだろう。
父のスリッパの底が水を吸ったため、足が濡れなかったので、尚更だ。突っ立ったままの父に、「いいから」と、言い、
慌てて雑巾で床を拭く。冷蔵庫の前から、シンクの前、さらに調理台の前まで拭くが、水は拭き取れない。
どうも、おかしい。
その時、シンクと調理台の隙間から水がじわじわと流れ出してくるのに気づいた。これは、水道管の水漏れに
違いない。水の流れのかげんで、最初に冷蔵庫の前が水浸しになったのだろう。しまった、どうしてもっと良く
調べずに、犯人は冷蔵庫と決めつけてしまったのか。生来の「慌て者」に加え、判断を鈍らせる「寄る年波」が
私の足元まで、いや、もう膝上までもひたひたと浸していると思った。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と頼りにされる昨今、ガイドのように父や母の手を引いて、日々の雑事を乗り越えて
いるつもりの私自身がアヤシイなんて、笑い事では済まない。「親亀コケたら……」の如く、今や私がコケれば、
父も母も道連れだ。今回は、結局、父に無駄なお金を使わせてしまった。「次回は……」急に心もとなくなってきた。
勝手なもので、自分の失敗に気持が挫ける隙に、
〈あまり頼られるのも荷が重いわ〉
という気持が心の奥からふっと浮きあがってきた。
それでも、とにかく目の前の水漏れをなんとかしなければならない。私が水を拭きとっている間にもテレビに
気を取られてしまった父も、父の側にぼんやり座っている母も頼りにはならない。
「冷蔵庫じゃなかった。水道管の水漏れだったわ」と、もそもそと父に話し、すぐ工務店の手配をした。
その日の夜八時過ぎに父から職人が来たと電話があり、父の家に行ってみると職人が台所のシンクを手前に
引き出していた。職人に挨拶をして話を聞くと、点検したところ給湯器の配管の継ぎ目のパッキングが腐食し
そこから水が流れ出しているので処置をしてくれると言う。水浸しになっていたシンクの奥の床を乾かすため、
数日間シンクはそのままにすると言われたが、水漏れが止まり、なにはともあれ一安心だ。職人が帰ると、
やや耳が遠くなっている父が呟いた。
「古くなって、あっちも、こっちも壊れて大変だよ」
私の説明が曖昧だったせいで、父は冷蔵庫も水道管も故障したと思っていたのだった。すっかりお姉ちゃんを
頼りにしてくれる父に、「ごめん……」と、もう一度私の早とちりを説明するのは気が重く、つい、
「古くなっていたから、省エネの新品もいいかも」と、付け加えた私に、父はあれこれ言わず、
「そうだな」と、答えてくれた。判断ミスでの余分な出費についてこぼされなくて、私はほっとした。
これが、十年前だったら、父は勿論、「何てことだ」と、怒る元気があっただろう。
二十年前だったら、きっと父自身が原因を調べただろう。
そういえば、私が子供の頃は、何か失敗をすると、父は、
「オッチョちゃん、又やったな」と、言ったものだった。父や母には、「お姉ちゃん」の他に、ときどき
「おっちょこちょいのオッチョちゃん」とも呼ばれていたと思い出した。あの頃は偉くて大きかった父が
すっかり小さくなり穏やかになったと今更のように気づく。
〈まあ、相変わらずのオッチョちゃんで悪いけれど、なんとか支えていくから〉
と、私は、心の中で父に申し開きをした。
それから三日後、母をデイケアに出してから自宅に戻った私に、
「お姉ちゃん、冷蔵庫が来たよ」と、父から少し弾んだ声で電話が来た。行って見ると、ゴタゴタしたままの
台所の隅に新品の冷蔵庫が据え付けられていた。父は、調子を調べるように扉を開けたり、閉めたりしている。
私は、その日の朝、うちで預かっていた食品を持ってきて、
「パンはここね。牛乳はここね」と、父と確認しあいながら、それらをまっさらな棚に並べていった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このエッセイを書いた頃は、まだチチもハハも元気だったなあ・・。
チチの冷蔵庫は、ムスメが貰って、今、埼玉のムスメの家で活躍しています・・。