天草の英雄 天草四郎
1614年徳川秀忠の時代
関が原の戦いに敗れたキリシタン大名・小西行長に代わり
唐津領主・寺沢広高が統治する天草、
人々は
実際の石高の2倍に当たる重い年貢に苦しめられていました。
そんな中
江戸幕府はキリスト教の信仰を禁ずる禁教令を発令します。
口之津(長崎県口之津町)で年貢が納められなかった家の妊婦が、
寒中の川にさらされ殺される残虐な事件を機に、民衆の怒りは爆発。
四郎を総大将にまず島原で火の粉が上がり、続いて大矢野町へ。
一揆群は大島子(天草市)の戦い、町山口川(天草市)の戦いで勝利を収め、
勢いに乗って富岡城(苓北町)を攻めますが、難攻不落、
富岡城陥落をあきらめ、次は海を渡って原城(長崎県島原市)へ向かったものの、
数に勝る幕府軍に圧倒され3ヶ月間の籠城の末、敗れてしまいました。
パンフレット参照
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橋幸夫: 南海の美少年(天草四郎の唄)
(カバー曲です)
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天草メモリアルホール
殉教天草四郎之像
天草四郎の墓
愛の鐘
愛する人のことを想いながら
神秘なる海に向かってこの鐘をついてみませんか
潮風があなたの愛をきっと運んでくれるでしょう
夫婦の愛は永遠に
恋人は結ばれ
そして新しい愛や友情が深まることを願って
日本一の天草四郎像
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