倉敷 古い街並み「本町」「東町」を歩く
岡山・倉敷市
先日、
コブハクチョウの「ひな」を見に行ったとき
「ひな」が一時 隠れてしまったので、
倉敷川沿いの美観地区に隣接する
「本町」「東町」地区を歩いてみました。
倉敷の歴史を語ったら長くなりますので
今日はやめておきますが、
上流のない倉敷川は
当時、瀬戸内海に通じる運河でした。
瀬戸内海から船が出入りする活気ある商人の町でした。
その町並みが現在も残っている倉敷美観地区です。
6月3日 NHK の番組
「プラタモり」倉敷 が放送されました。
下記URLをクリックして動画をご覧ください
大原美術館
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出雲街道 美甘宿
--みかもじゅく--
岡山・真庭市
美甘を通通りかかったとき
沢山の風車が回っているのを見つけ見てきました。
こんなに沢山 回っていたら
モグラ君も落ち着いて休むことが出来ないだろう。
ここは出雲街道 美甘宿
しかし
モグラが休む場所ではないからね。
美甘宿は
古代宇南寺を中心にして開け、
中世の頃から戦乱期にかけて
美甘神社と麓城を中心としながら集落ができたとのこと。
宿場の形成は、
津山藩が承応元年(1652)から
3年間かけてつくりあげたと言われている。
美甘神社前の河原町から、
上町、中町、下町へと、約240mの間に家が並び、
かつての宿場のなごりを見ることができる。
観光拠点としての資源は乏しい
てまり館は不在で
電話をすると担当者が来てくれるそうです
宿場町の軒先に手毬を吊るしています
アマリリス
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松下村塾発祥の地
玉木文之進 旧宅
山口・萩市
松下村塾を創始したのは、玉木文之進です。
少年期の 吉田松陰 を厳しく教育した。
また親戚の乃木希典(乃木大将)も玉木の教育を受けている。
有能な藩士として順調な歩を進めてい玉木文之助
天保11年(1840)
部下が起こした不始末のために免職となりました。
そこで彼は同13年
萩城下 松本村に、
近所の子供たちを集め私塾を開いたのです。
これが松下村塾の起こりです。
弘化4年(1847)
藩政に復帰した玉木文之進にかわり
松下村塾の名は松陰の外叔であった
久保五郎左衛門に引き継がれます。
久保の松下村塾には
伊藤博文や
「松陰門下の四天王」の一人 吉田稔麿が通っていました。
パンフレットより
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