松原八幡宮
兵庫・姫路市
社伝によると、
天平宝字7年(763年)4月11日、
妻鹿の漁師が「八幡大菩薩」と書かれた霊木を拾い上げ、
その霊木を祀ったことを起源とし、宇佐神宮の勧請としている。
平安時代には
松原荘が石清水八幡宮の社領となり、その別宮となっていた。
戦国時代、寺社が兵を持っていることは珍しくありませんでした。
「松原八幡神社」も寺社勢力を持っていた神社のひとつ。
豊臣秀吉と毛利軍・別所長治(べっしょながはる)の戦の際、
松原八幡神社は双方から援軍を依頼されましたが、
選択できませんでした。
勝利した秀吉は加勢をしなかったことを怒り、
神社を芝原(現:姫路市豊沢)に移すよう命じましたが、
松原八幡神社を敬う黒田官兵衛は存続を嘆願し、
存続を許されました。
(千石あった寺領は六十石に減らされました)
官兵衛は、神社復興の際に拝殿を寄進したほど、
松原八幡神社への敬神が厚かったと伝えられています。
以上 山陽電車とめぐる軍師黒田官兵衛 | 松原八幡神社 より
まだ見たことはないですが
この神社の秋季例大祭
灘のけんか祭り(なだのけんかまつり)は有名で
http://www.nadamatsuri.jp/outline/index.html
毎年10月14日・15日に行われる。
一の丸、二の丸、三の丸からなる3基の神輿をぶつけ合わせる神事と、
旧7ヶ村の絢爛豪華な屋台が激しく練り競う勇壮な屋台練りが行われる。
楼門(随神門)
拝殿
拝殿、本殿
本殿
松原八幡宮 絵馬殿
宮白稲荷社
白内障の手術をどうするか
いまだ決めかねております。
皆様から頂きましたお見舞いのお言葉に勇気づけられ
結論は早期に出さなければと考えております。
心配をおかけいたしました。
最後までご覧頂きましてありがとうございました。
明日も 皆様のお越しをお待ちしております。