私は意外と快適にバス旅を過ごせたのですが、夫は一睡も出来なかったと、嘆いていました。
翌朝9時近くに、アルゼンティン第2の都市コルドバへ到着しました。
経由だけと思っていたのですが、その日イグアス行きのバスがいっぱいで予約できなかったため、1日コルドバ滞在を伸ばしてイグアスの滝へ向かうことにしました。コルドバ-イグアス間の乗車時間はなんと20時間です。ぎょえ~耐えられるかな?
コルドバの街は、聞いていた通り何も見るところもなさそうです。移動で体力をかなり消耗しているため、到着したらあまり出歩かずゆっくり過ごすことにしています。
この日もお昼はまた、アサードを食べに行きましたが、夜はスーパーでワインを買って宿でおとなしくしておくことにしました。
また肉(骨付き)。もう飽きた!
しかし、もう何度アサードを食べたことか?!とにかく安くて、おいしいです。ステーキにサラダかポテトをつけて大体どこでも300円前後で定食をいただけます。しかもかなり大きいお肉でです。(ちなみに魚はほとんど見かけません。ここで食べても美味しくなさそうだけど。)
そのうちどっか具合悪くなるね・・・と二人でびびりながらステーキを毎日食べてます。
こっちの人は恐ろしいくらいなんにでも「塩」をふりまくります。量がすごいです。山盛りふってます。何もわざわざふらなくても、すでに濃い目に味付けされてるのにですよ。おそろしや~。
こんな食生活でちょっと胃もお疲れ気味です。あぁ、ふんわりごはんと納豆が懐かしい今日この頃?パリやNYなら納豆はあったけど、ふんわりご飯はそう簡単にはありつけません。納豆バンザ~イ。
旅に食事もかなり重要な位置を占めますが、最近つくづく思うのはその街の善し悪しは「そこで出会った人たち」に左右されるのではないかと言うことです。
街並みや景色、食事もさる事ながら最終的にはやはり「人」につきるのではないかと思います。
私たちのような旅行者と、その街に普通に暮らす人たちと会えることなんてまさに一期一会。
なのに、ある街では誰もが親切で友好的に迎えてくれたり。
逆にある国では、心を閉ざしてしまいたくなるほどの屈辱を受けたり、不快な気持ちだけが残ったりする。
たとえその街が世に名高い素晴らしいものをたくさん持っていたとしても、私たちにとっては、もうどうでもいい街の一つ、になってしまうことには変わりありません。
そういえばある街のインフォメーションで、誰に対してもいや~な感じの態度をとる人がいました。
どっからどうみても「何故あなたがインフォの仕事してるの?」と言う感じの人でした。
インフォと言えば、その街に初めて到着して右も左もわからない旅人が尋ねるいわば、旅人の駆け込み寺的な存在の場所なはずなのに、挨拶してもうなずくだけだったり、そんなのあっちに聞けば・・・だったり、終いには怒り出したり。そういうインフォもありました。インフォなんて私たちはボランティア精神で、何らかの役に立ちたい的な、お世話好きな人がいるところと思っているだけにショックでした。
もしかして、ここのインフォは役所の派出所か銀行の窓口かと思ってしまいました。(苦笑)
迷わず私なら彼女に「不適任」の烙印をおし、一緒にとらばーゆをプレゼントするけどなぁ。
街の顔のインフォがそんなことでは、街の損害になりますよ。
そんなインフォの人もレストランの人も、宿の人、ガイドさん、運転手さんなど旅をしていて出会う人はたくさんいます。たくさん素敵な人に出会えた街は、ぜひまた行きたいし、人にも紹介したい。でも逆にありきたりの事務的な扱いだけしか受けれなかった街や、嫌な思いをした街は印象にも残らないし、2度と訪れることの無い街にしかならないし、当然人にも話すこともないでしょう。
日本にもたくさんいいところはありますよね。自慢したい、教えてあげたい日本のいいところ、私にはたくさんあります。
それに、日本のサービスは世界のどこと比べても間違いなくNo.1だと思います。
人もやさしいですよね。日本人は世界に行くと断然人気があります。
興味も持ってくれています。自分が日本人であってよかったなぁと誇りに思える瞬間もあります。
でもなんでなんでしょう?日本にいるとダメなところばかり見えてきてしまうのは?
そして、外国で日本人にあったら同じ同郷の日本人同士もっと仲良くしましょうよ。ここ南米やエジプトでは日本人に会うと「結束しますかぁ?」と言う雰囲気が出ているように感じます。ヨーロッパやNYではそういう雰囲気は全くなかった感じです。
旅に出て、今日はどんな素敵な人に出会えるのかなということ、そして、日本人に生まれてよかったと思える瞬間、この二つがいつも心をわくわくさせてくれます。