し~んぱ~いないさ~ ライオンキングより
じいさんみたいにコタツで寝るうちの子
夜になるとやっと目がパッチリ開いてきます~こっちは寝不足だっちゅうねん
し~んぱ~いないさ~ ライオンキングより
じいさんみたいにコタツで寝るうちの子
夜になるとやっと目がパッチリ開いてきます~こっちは寝不足だっちゅうねん
私は痛みに弱い人間なので、陣痛時にはきっと気を失うと思っていたのだが、友達が一言、「大丈夫、そんな気を失っていられるほど、生優しい痛みじゃないから・・・」と、喝を入れてくれた。
確かにそのとおりであった。
気は遠くなるものの、決して気を失うことはなかった。
はたして私の選択した無痛分娩は、本当に必要だったのだろうか。
一度の体験しかないので比べようはないが、痛くなかったとも、つらくなかったとも、決して言えない。
とにかく、私の人生の中で体験したことのない、最もつらい時間であったのは間違いない。
そうは言ったものの、産後に病室まで車椅子で運ばれてしまう人などがいる中で、赤ちゃんを連れて歩いて入院する病室まで行けたし、同室の産婦さんに元気よく挨拶出来たりしていたので、周囲の人や助産師には、出産したその日にあんなに元気な産婦さんはめずらしい、などと言われた。
と言われても、私としては死ぬーと思ったくらい、しんどかったことに変わりはないのだが・・・。
こうしてやっと私たちのお産は終わった。
夫に立会い出産してもらえたおかげで、私は決して自分一人で産んだとは思っていない。
夫ももしかしたら、自分が産んだ気になっているかもしれない。
(確かにあの夫婦スクワット中に産まれていたら、産んだのはもしかして俺か?!と錯覚してしまったかもしれない(笑))
一緒にがんばってくれた夫、最善の力を尽くしてくれた医師や助産師さん、そして私たち夫婦の元に必死で産まれてこようとしてくれた子、みんなの力が合わさって、この歳で無事に初めてのお産を終えることが出来たと思っています。
慣れない育児と睡眠不足で、すっかり育児ノイローゼ気味に陥っている今日この頃では有りますが、それでも我が子は何事にも代えられなくらいくらい無条件でかわいく、何があっても守ってあげたい存在であるに違いありません。
そして、高齢の私をいろいろな形で応援してくれた、たくさんの皆さん、本当にありがとうございました。
今後とも家族一同、宜しくお願いいたします。
ここで、出産に立ち会ってくれた、夫について書いておきたい。
私はもともと、立ち会い出産に賛成ではなかった。
出産は女の仕事と勝手に思っていた。確かにそのとおりなのだが・・・。
そして、自分の苦しんでいるところを夫に見られたくなかったし、夫も私が苦しんでいるのを見るのはつらいだろうと思っていた。
だいたい私がもがき苦しんでいる横で、男の夫に何が出来ると言うのだ・・・と。
なので、もし私がまだ若い頃出産していたとしたならば、夫は間違いなく出産に立ち会うことは出来なかったと思う。
しかし、この歳では間違いなく最初で最後の出産になるだろうと思ったし、一生に一度の夫婦の大イベントに、立ち会ってみたいと言う夫の気持ちを受け入れるべきではないかと、歳のせいでか考えも変わってきていた。
でも、出産は普段の自分ではない、もう一人の別の自分が出現してくると聞いていたので、もし私が豹変して発狂しながら途中で、もう外に出てって・・・っと言ったときは、速やかに退室してくれるようお願いしていた。
陣痛中、夫は随時汗だくの私に水を飲ませることはもちろんのこと、私の陣痛の波にタイミングを合わせて、腰を渾身の思いで押してくれた。
そして、大学病院の出産にもかかわらず、フリースタイル的な出産方法までも体験させてもらえた。
普通お産と言えば分娩台の上で、蛙がひっくり返ったような体勢で、何時間も力み続けなければいけないもの、と思っていたのだが、その体勢になったのは、本当に産まれてくる数十分だけで、私は終始右を下にして横向きのまま、陣痛に耐えていた。
それだけではなく、夫と中腰で向かい合って、夫の肩に私がもたれかかる体勢になり、二人で一緒にスクワットするようなスタイルで力むということまで体験させてくれた。
もし、赤ちゃんが二人の間でスルっと出てきたとしても、その下で助産師さんが受け止めてくれるという、ものすごい状況に、夫もかなりびっくりしたようだ。
もし、この状態から産まれていたら、夫は自分が産んだ気になっていたに違いない。
そして、もう頭が見えてるよ~とか、これで最後だよ~とか、何度も何度も同じことを聞かされた気がするが、やっと我が子が出てきてくれたのは、日付が変わったまだ暗い朝4時20分だった。
誕生の瞬間は、TVでよく見る光景と同じで、思いっきり「ウンギャーウンギャー」と、ものすごい勢いで泣き叫ぶ声を聞きながら、あぁ元気な子だ、と感動し涙が流れたのを覚えている。
その私の横で、気が付けば夫も涙声で、「皆さん、ありがとうございました」とお礼を言っていた。
すぐに赤ちゃんは、生まれたままのべとべとの状態で、私の胸元の上に置かれ(カンガルーケア)、しばらく母子初対面をはたす。
私が子に初めて話しかけた言葉は、「しんどかったかぁ?」「おかあちゃんは老体だからすごくしんどかったよ~」だった。
あとでビデオを見てわかったことだが、これを周りで聞いていた看護師さんたちが爆笑していた。
そのあと、身長、体重などを図ってもらう。
体重3040g、助産師さんが頭デカっ!と、びっくりしていたようだが、頭囲が35cmもある、頭でっかちの子だ。
それで、なかなか出てきてくれなかったのだろう。
あぁ、ともあれ長~い一日であった。
こんなに苦しんでいるのに、なんで麻酔の準備をしてくれないのか、不思議でしょうがなかった。
それまでに至る間、代わる代わる介助してくれる助産師さんからは、呼吸法もとても上手だし、麻酔なしでこのまま自然に産んでみましょうか?と何度も聞かれいた。
いやいや、そろそろ限界です・・・。
何度も同じように答えた。
このまま自然に出産するのであれば、きっとあと2、3時間で赤ちゃんが生まれてくるわよ・・・とも言われていた。
そうは言われても、
もう限界です・・・薬を、薬を打ってください・・・
と、まるで薬物中毒者のように、頭の中で思っていた(笑)
夜10時を過ぎた頃だったか?
やっと麻酔のカルテルを通す準備を、別の専門の医師が始めてくれた。
これで少しは痛みが和らぐのか・・・と安心していたら、あっという間に極わずかな麻酔の量で、すっかり効き目が出てしまい、急に陣痛が弱くなってしまったようだ。
これも、無痛分娩のリスクのひとつだと言っていた。
あと少しの私の頑張りがあればよかったのだが、せっかくあと数時間で誕生するかもしれないと言うのに、麻酔を投入したとたん、微弱陣痛に戻ってしまったらしい。
このとき、私は全く聞こえていなかったが、自然出産を促してくれていた医師は、麻酔を投与したせいで、急激に微弱陣痛に戻ってしまった様子をみて、「くそっ!」と思いっきり言っていたと、夫があとで教えてくれた。
出産後、助産師さんから聞いた話によれば、私の出産に携わってくれたチームの医師、助産師さんの間では、出来ればこのまま麻酔なしで出産させようと話していたらしい。
あと2,3時間のところまで頑張れた私なら、麻酔なしでも行ける・・・と、言うことだったそうだ。
しかし、私はいたって弱ちんなので、そんなチームの皆さんの気持ちとは裏腹にあっさりと、「麻酔まだ?・・麻酔・・麻酔・・」と苦しんでいたのだ(笑)
結局、微弱陣痛のままでは胎児に良い影響はないので、陣痛促進剤を投与することに・・・。
慌しく夫が書類にサインしている様子だった。
この頃の私は、すでに麻酔投入してもらっているにもかかわらず、苦しみの絶頂で、医師に一通りの説明をされ、承諾書にサインする夫の気配を感じながら、促進剤なくても十分苦しいんですけど・・・と、汗だくになりながら、頭の中で訴えていた。
その後、促進剤をいつ投与されたのかも、全くわからないくらい私は、うめき続けていた。
またしても促進剤は、すこぶる効き目があったようで、いい感じで来てるね・・・と、医師が満足げな声で言っているのが、遠くで聞こえた。
午後2時を過ぎても、全く陣痛の気配はなく、医師が次の決断を迫ってきた。
まず、子宮口を開いて陣痛を促進するために、水風船のようなものを挿入し、様子をみようという。
たとえ極わずかな前期破水とはいえ、破水が起きてしまった以上、長時間このままの状態でいることは、胎児に決していい状態ではないのだと言う。
とは言うものの、私としてはお腹の子から次に何らかの合図があるまで、まだこのままで様子をみていたかった。
そう伝えはしたが、医師に説得され、最終的には指示に従うことに。
すでに1週間ほど前から子宮口は2cm開いていたので、3cmまで開くのに、時間はかからなかった。
そして、ちょうど夫が会社から戻ってきた夕方5時過ぎ頃から、10分間隔の陣痛はやってきた。
いよいよか?!
それでもまだこの頃は、10分間隔でやってくる陣痛のつらい時間は、ほんの20秒ほどだったので、3度ほどゆっくり深呼吸を繰り返すと、痛みはまた消えていた。
夫はこの頃から、私が苦しんでいる時間、腰を必死に押してくれていた。二人三脚の出産はこのときから始まったのである。
陣痛の押し寄せてくる波の間隔は、どんどん短くなり、夜9時を過ぎたあたりからは、もういい加減麻酔を打ってはくれませんか?と、思うほど間隔も短くなり、つらい時間になっていた。
そう、私は無痛分娩を希望していたのだ。
妊娠するだいぶ前から私は、もし万が一妊娠することがあれば、過度のストレスがなく、痛みも少なく、産後の回復が早いと言う、欧米では至って当り前で行われている、無痛分娩を選択したいと思っていた。
賛否両論あると思うが、私の選択を夫も快く理解してくれていたし、里帰り出産する予定や、産後夫以外にお手伝いしてくれる援助も得られる予定はなかったので、自分としては賢明な選択だと思っていた。
ただ、無痛分娩にもリスクはあるし、私のような高齢の初産婦にはあまりお勧めしないと言うことも、医師からは事前に説明を受けていた。
でもどんな分娩方法を選択したとしても、高齢であるだけでリスクはあるわけだし、ならば自分たちが納得できる方法で出産したかった。
時間は夜9時を過ぎていた。
こんなに苦しんでいるのに、なんで麻酔の準備をしてくれないのか、不思議でしょうがなかった。
遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
2009年師走から、今日に至るまで、暮れ、忘年会、クリスマス、大晦日、お正月もあったもんではないくらい、慌しい毎日が繰り返されています。
たくさんのお祝い、あたたかいメールやコメントをいただき、本当にありがとうございました。
出産後、1ヶ月が過ぎて、だいぶ精神的にも、体力的にも回復しつつあります。
出産直後は、ホルモンバランスが崩れたせいなのでしょう。毎日些細なことでくよくよして涙したり・・・妙にテンションが高かったり・・・と、かなり情緒不安定だったときも有りましたが、それもだいぶ落ち着いてきたように思います。
そりゃーそうですよね。それまでどちらかと言うと、男性ホルモン過多でおっさん化していた私が、出産して急激に女性ホルモンがバリバリに増殖したんですから、体だってびっくりしてるはずです(笑)。
少しずつ、また自分たちのペースの生活に戻して行けたらと思っています。
さて早速ですが、忘れないうちに私たちの経験した「お産」について、記しておきたいと思います。
世界一周旅行も、けんかしながらでも絶えず記しておいて良かったなぁ~と思えるくらい、今となっては記憶も遠く、忘れていることもたくさんですが、ふと自分のこのブログをクリックすれば、あぁそんなことあったなぁと、写真と文章で思い出させてくれます。
お産についても、決して忘れたくない人生の1頁として、大事に記録しておきたいので、勝手に報告させてもらいます。
これから出産されるかもしれない女子の皆さんは、多少他人のお産について、興味をお持ちかもしれませんが、男子の皆さんは、興味ないでしょうかねぇ~
少々長くなりますが、数回に分けてアップさせてもらいますので、おつきあいくださいませ。
12月4日の朝7時頃、夫が出勤しようとしていたとき、何やら破水らしきものを感じた。
なんせ初めてのことなので、それが破水なのかどうなのか自分では判断できない。
通院している○大病院へ電話して指示を仰ぐことに・・・。
診察してみないとはっきりわからないが、とりあえず入院準備をして病院へ来てくださいとのこと。
夫も会社に連絡をしてくれ、一緒に病院へ行ってくれることに。
慌てる夫を尻目に、何故か妙に私は冷静で、のんびりと出かける支度をし、タクシーで病院へ向かう。このとき私はまだ、本当に破水しているのかどうか怪しいと思っていた。
勝手な勘で、出産はあと1週間ほど先のような気がしていた。
早速、診てもらう。
やはり破水であることは間違いないらしい。えぇ~ホントに~???
良かったぁ、電話して指示受けて・・・。
ただ極わずかな前期破水で、子宮口はすでに2cmほど開いていたが、その後も陣痛らしきものは全くなかった。
一通りの検査の後、陣痛室に案内され、陣痛を促すためどんどん歩くように言われる。
まだしばらくはお産の気配がないため、夫は職場へ。
一人、産科入院棟内をうろうろ歩く。
午後2時を過ぎても、全く陣痛の気配はなく、医師が次の決断を迫ってきた。