実は、3/17から兵庫県の三田市に住む、義弟宅でお世話になっています。
我が家は地震が起きてからというもの、余震でずうーと揺れていて、船酔い状態に陥り、近くのスーパーや薬局には物資も品薄、放射性物質を警戒して、公園で散歩する人もいなくなり、ママ友たちは次々と子供を連れてどちらかの実家へ避難しだしていたりで、毎日ドキドキ過ごしていました。
こちらに来て、やっと地震の恐怖から少しずつ解放され、落ち着きつつあります。
地震のあった時私は、ママ友数人と近くの保育園の開放されているサロンに遊びに行っていて、自宅にはいませんでした。
たぶん自宅にいたら、びびって腰抜かしてたと思います。
サロンのすぐ前にある外灯は、倒れそうな勢いでものすごく揺れ、サロンから見える道路向こうの小学校の体育館の窓ガラスは、波打つように揺れ、今にも割れそうな勢いでした。
余震中に小学生は防災頭巾を被って、近くの公園に避難しだし、近所の住民たちも自主的に公園避難、人々は一斉に食料買出しに走りましたが、スーパーなどすでにクローズ。
サロンからの帰り、びびりつつも呑気な私は、唯一やっていたパン屋さんで、腹のたしになる食パンや惣菜パンを何故か買わず、「シュークリーム二つください」と言ったら、お店の人にそれだけでいいんですか~?みたいな顔されました。
よく見たら、店内のパンは残りわずかで、すでにこの時食料が危機的状況に陥ることを予測できたのに、だめな私です。。。
シュークリームを抱えて私は、まだ呑気に薬局へと向かう。
途中ママ友に会い、閉まっていることを聞くも、すぐに開くのでは?と思い、店に向かうが、しばらく開かず仕方なく自宅マンションへ戻りました。
案の定エレベーターは全て止まっていました。
復旧のめどはまだたっていないとのこと。
ゆうきちの夕飯の時間が迫りつつあったので、他の人同様1階のロビーで待ち続けるわけにも行かず、管理人にベビーカーを預け、意を決してゆうきち抱え22階の我が家まで階段を登ることにしました。
途中何度も休みながら、なんとかたどり着くも、余震で揺れゆれで落ち着かず、いろんなものが移動している部屋をあとに、1階下のママ友宅へ身を寄せることに。
不安でドキドキして一人でいられませんでした。
そこで、ゆうきちに夕飯を食べさせ、少し落ち着いたので、自宅へ戻り風呂に入れ、いつも通りに寝かしつけました。
夫は電車が全て止まっていたので、帰宅難民になることを予想し、会社に待機。
他のパパは歩いて自力で帰ってきたというのに、うちは翌日電車が動き出してから、帰宅。
その晩はゆうきちと二人きりでドキドキしたものの、よくよく考えれば、無理して帰宅して2次災害に巻き込まれるより、夫の選択は冷静だったように思います。
そして翌日からは、日に何度も起こる余震にひやひやしながらの生活。
スーパーでは人の目の色が違う。開店前から行列を作って並び、買いだめに走るため、どんどん物資不足になる日々。
子供のオムツも薬局から消えました。
計画停電の話もあやふやなまま広まり、不安が増しましたが、結局自宅周辺は対象になっていませんでした。
こんな数日を過ごし、ストレスでおかしくなりそうだったので、お邪魔虫ながら義弟宅でお世話になっています。
ほとんど被災していないと言ってもいい東京が、何故そんなことになって、パニクっているのか・・・とにかく一日も早く通常の生活に戻りたいです。
我が家は地震が起きてからというもの、余震でずうーと揺れていて、船酔い状態に陥り、近くのスーパーや薬局には物資も品薄、放射性物質を警戒して、公園で散歩する人もいなくなり、ママ友たちは次々と子供を連れてどちらかの実家へ避難しだしていたりで、毎日ドキドキ過ごしていました。
こちらに来て、やっと地震の恐怖から少しずつ解放され、落ち着きつつあります。
地震のあった時私は、ママ友数人と近くの保育園の開放されているサロンに遊びに行っていて、自宅にはいませんでした。
たぶん自宅にいたら、びびって腰抜かしてたと思います。
サロンのすぐ前にある外灯は、倒れそうな勢いでものすごく揺れ、サロンから見える道路向こうの小学校の体育館の窓ガラスは、波打つように揺れ、今にも割れそうな勢いでした。
余震中に小学生は防災頭巾を被って、近くの公園に避難しだし、近所の住民たちも自主的に公園避難、人々は一斉に食料買出しに走りましたが、スーパーなどすでにクローズ。
サロンからの帰り、びびりつつも呑気な私は、唯一やっていたパン屋さんで、腹のたしになる食パンや惣菜パンを何故か買わず、「シュークリーム二つください」と言ったら、お店の人にそれだけでいいんですか~?みたいな顔されました。
よく見たら、店内のパンは残りわずかで、すでにこの時食料が危機的状況に陥ることを予測できたのに、だめな私です。。。
シュークリームを抱えて私は、まだ呑気に薬局へと向かう。
途中ママ友に会い、閉まっていることを聞くも、すぐに開くのでは?と思い、店に向かうが、しばらく開かず仕方なく自宅マンションへ戻りました。
案の定エレベーターは全て止まっていました。
復旧のめどはまだたっていないとのこと。
ゆうきちの夕飯の時間が迫りつつあったので、他の人同様1階のロビーで待ち続けるわけにも行かず、管理人にベビーカーを預け、意を決してゆうきち抱え22階の我が家まで階段を登ることにしました。
途中何度も休みながら、なんとかたどり着くも、余震で揺れゆれで落ち着かず、いろんなものが移動している部屋をあとに、1階下のママ友宅へ身を寄せることに。
不安でドキドキして一人でいられませんでした。
そこで、ゆうきちに夕飯を食べさせ、少し落ち着いたので、自宅へ戻り風呂に入れ、いつも通りに寝かしつけました。
夫は電車が全て止まっていたので、帰宅難民になることを予想し、会社に待機。
他のパパは歩いて自力で帰ってきたというのに、うちは翌日電車が動き出してから、帰宅。
その晩はゆうきちと二人きりでドキドキしたものの、よくよく考えれば、無理して帰宅して2次災害に巻き込まれるより、夫の選択は冷静だったように思います。
そして翌日からは、日に何度も起こる余震にひやひやしながらの生活。
スーパーでは人の目の色が違う。開店前から行列を作って並び、買いだめに走るため、どんどん物資不足になる日々。
子供のオムツも薬局から消えました。
計画停電の話もあやふやなまま広まり、不安が増しましたが、結局自宅周辺は対象になっていませんでした。
こんな数日を過ごし、ストレスでおかしくなりそうだったので、お邪魔虫ながら義弟宅でお世話になっています。
ほとんど被災していないと言ってもいい東京が、何故そんなことになって、パニクっているのか・・・とにかく一日も早く通常の生活に戻りたいです。