高樹のぶ子のSIAブログ
モンゴル民族衣装デール

先日のSIA=DAYモンゴル編で、円形劇場になっている会場の外に、このようなマネキンに、モンゴルの民族衣装を着せて、展示しました。
帽子は、モンゴル料理店からの借り物ですが、衣装は、私がウランバートルで買ってきたものです。
オトナの方は女性用で、子供は6歳ぐらいが着るとカワイイですね。
これらは市場で購入したものですが、実際に着られているものとは、少し違うかもしれません。正式には、帯を巻いて後ろでくくります。
この帯のおかげで、(日本の和服でもそうですが)着丈の調整などが可能になって
きます。デールの色に対して、反対色というか、目立つ色の帯で、きりりとかっこよく結びます。
帽子がこれまたいろいろあって、結婚式などでは、飾りがたくさんついたものが
かぶられます。
デールの下にセーターなどを着込むことで、防寒着の役目も可能になってきます。
身に付ける・・ということでは、モンゴル相撲の衣装は、中国領自治区の内モンゴルと、今回私が訪問したモンゴル国とでは、違います。内モンゴルのほうが、重たくて、がっしりして、ビスなどを埋め込んだ革の衣装とブーツで、闘いますが、モンゴル国はもう少し、動きやすい格闘着で闘います。
高樹のぶ子
コメント ( 8 ) | Trackback ( 0 )
« 草原の日・・S... | 王監督との、... » |
※ | ブログ主の人格、活動、作品を貶めるコメントはご遠慮ください。 |
明らかに事実と異なる事柄や個人への誹謗中傷が著しい場合、運営側の判断でコメントを削除する場合がございます。予めご了承ください。 |
この民族衣装のすぐそばに、ダシドンドクさんの絵本を日本語に翻訳したものも展示してありましたよね。私は、会場に入るとすぐ、まず、この絵本をゆっくりめくって見ました(読みました?)
休憩の時に、真赤な民族衣装を身にまとった女性に出会ったのですが、この方、このブログでも紹介されていた福岡市内のモンゴル料理店の方だそうですね。最初は、わざわざ、モンゴルからやって来られたのかと思っていました。
会場に展示してあった民族衣装も印象に残りましたけれど、赤い民族衣装の印象もかなり鮮烈でした。
前の前の項に崖さんとsatokoさんへの御礼を書いている間に、高樹先生のコメントが掲載されていました。
モンゴル相撲といえば・・・SIAの会場では、駱駝を持ち上げたことがあるというモンゴル相撲の元おすもうさん(モンゴルでは、おすもうさん、とは言わないのかも?)と高樹先生のツーショットも映し出されていましたね。もともと細身の高樹先生が、さらに小さく見えました。
そうですか、モンゴル相撲には土俵がないのですか。
私も土俵のない世界で生きたいなぁ・・・。そのためには、もっと持久力を磨かねばならんのでしょうが・・・。
日本の文化や伝統芸能には、とかく格式がつきまといますよね。それは、良くもあり、悪しくもあるのでしょう。
朝昇竜、休場するそうですね。破天荒で大らかな彼の本質は、土俵のなかでおさめなければならない相撲にはむかないのでしょうか。
モンゴル相撲と日本相撲は大きく違ってます。
日本相撲は神事として栄えたのでしょう。w
あれは格闘技と考えて観戦にはちょっと行けませんね。
太り過ぎは醜いだけです。
事実、モンゴルや外国籍のお相撲さんは強いです。
幕内力士も半数を占めてるでしょうか。
恐らく土俵を少し大きくすると、力士の体型も変わってきそうです。
一瞬の体重勝負の決着は少なくなり、力士の健康対策にも好いでしょうね。
僕は子供の頃かなりの小柄でしたが、相撲が大の得意で小4と時に選ばれ、5・6年生と対戦しました。
砂場に線を引いただけの土俵で、5年生は投げ飛ばし、6年生には線から少し足が出て、勝てそうな相手に負けてしまいました。w
あの経験から少し大きくすると、土俵の俵も使い方が有ります。
ただ、土俵の余白や土俵下の安全処置など大きく設計が変わります。
これは今まで以上に、凄いパワーで転落する力士と、観客を守るためのスペースの確保です。
土俵をぐ~んと大きくする、こんな提案を相撲協会からは出ないでしょうね?w
是非とも、美しい力士の対戦が観たいものです。
朝青龍の踵は土俵上で傷めていたのでしょう、気合い入った真剣勝負の痛みは、しばらく後から感じるものです。
朝青龍も一連の壁に当たり、自ずと体調リズムを崩し、再起には適切な治療と、謙虚な努力が必要なのでしょう。
朝青龍よ、頑張れ~!
同じ日にソフトバンク王監督が体調不良と成績不振を理由に辞任しました。
それぞれの分野を代表するおふたりですが、マスコミの人物的評価は対照的だな、と思わずにはいられません。
朝青龍は土俵外の姿勢まで云々され、本人としては心外でしょうが、大相撲の世界ではこれが物議をかもしています。
愛犬に「スモウ」と名づけ、「フランス共和国大統領杯」を提供したほどのファンだったシラク前大統領。
一方彼を継いだサルコジ大統領は「ポニーテールをなでつけた太った男たちの格闘にどうした興味をかき立てられるだろう。相撲は知識人のためのスポーツではまったくない」と酷評しています。
たしかに表面的にはそう見る人もいるでしょう。
大相撲・命というほどの大ファンだった作家の尾崎士郎さんは言っています。
「類似した競技は世界何処にでもあるが、これほどまでに力技を魂に還元し、芸術に還元したものがあろうか」と。
今や、番付上位の大半を外人が占めるようになりました。
これから先の大相撲がどうあるべきかが問われています。
<力こそ正義>という世界の流れに方向を任せれば、日本柔道が<JUDO>になってしまったように、相撲も<SUMO>になってしまう。
つまり、プロレスの小型版にしか過ぎなくなるでしょう。
大相撲は古来、奉納相撲かを起源とし、江戸時代からは職業的な相撲興行となった。<綱を張る>とか<弓取り式>とか、力士はある意味、<神職>でもあり、<力士>でもあった。
<サムライ>という日本語はいまや世界語となっています。
司馬遼太郎氏の言を借りれば、
<人がどう行動すれば美しいかと考えるのが江戸の武士道倫理であり、そんな類型のない美的人間を世界はめずらしがったのだろう>ということでしょう。
世界に稀有たるスポーツ、芸術でもある大相撲の力士には、<サムライ>をめざしてほしいと思います。
その上で大相撲の将来図を描いてほしい。
福岡の地元ワイドショーは、王監督辞任の話題でもちきり。たまたま、昨日、福岡に来られたお医者様のお兄さんも、次女さんも、そして選手たちも辞任のことは知らなかったようです。
王さんが胃がんの手術後、復帰された年に福岡に赴任した私にとって、王監督の活躍は知らない土地で暮らすことの不安を打ち消してくれ、勇気を与えてくれるものでした。なにより、ONといえば、小学生のころの英雄でしたし・・・。とても残念に思います。
今日が王監督最後の試合だということで、ヤフードームに行こうかと思ったのですが、残念ながら午前中のうちにチケットは完売したそうです。
新庄が甲子園で現役最後の試合をした日も、私は阪神甲子園球場駅の隣の駅近くで仕事をしていました。準急に乗り換えるため、甲子園駅で降りると、そこにはいつも以上の人だかりが。人垣が波のようにうごめきながら球場に吸い込まれていきます。すごい熱気でした。試合のある日なのだということはすぐにわかりましたけれど、新庄の最後の試合なのだということは知らなくて・・・。ホテルに帰ってニュースを見てから事の次第を知りました。
最後の雄姿を真近に見る運には恵まれないが、すぐそばで、その哀感と熱を感じることのできる位置にいる運には恵まれているのかもしれません。
王監督は、中国にゆかりのある方でしたね。
日経連載の「甘苦上海」の告知記事、拝見しました。
主人公・紅子は51歳の事業家。紅子の人生最後の恋、最後の男、がテーマなのだとか。このブログでも、初恋と最後の恋の話題は、もりあがりました。
51歳で最後の恋・・・というのは、少し早すぎるような気がしなくもありませんが。私、まだ、その年齢に達していないので、先のことは闇の中。よくわかりません。案外、50歳という年齢は、女性にとってひとつのターニングポイントなのかもしれません。
モンゴルの服って実際に見たことがないので
興味がでてきました。
パッピーは今、女子十二樂坊のおねえさんたちの曲を聴いています。
「永隔一江水」「魂之舞」「コンドルは飛んでいく」・・
とかです。
「二胡」ってステキですネ!
ママがいうのには、中国の唐の時代生まれた中国を代表する民族楽器なんだって! 中国に古くから伝わる弦楽器で、2本の弦の間に弓を入れ、内側と外側の両方で演奏するんだって!
中国に数多くある二弦の楽器の中でも人間の声に近い美しい音色には定評があり、東洋のヴァイオリンともいわれるんだって!
日本では、「胡弓」という名で呼ばれることがあるけど、二胡と胡弓は、本来は別の楽器なんだって。
中国の豊かな自然に育まれた胡弓の音色は、心になつかしい郷愁を呼び起こす、ってママが言ってたけど。
このブログでも、それぞれのテーマにちなんだ曲を流すといいのにって、ママが言ってる! 簡単に流せるよって!
そうなればいいのに、とパッピーも思う。
じゃあ、またね!