高樹のぶ子のSIAブログ
平面と奥行き
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/a0/ba50386f931602bec2e8f2cd37aaf56e.jpg)
高校時代の友人から送られてきた写真を、ご紹介します。
八ヶ岳の盟主、赤岳からの眺めだそうです。
誰もが、このような視界に恵まれるわけではないので、是非このブログの前で
深呼吸してみてください。
山頂の冷気が肺の奥深くまで、キーンと入って来るのではないでしょうか。
この友人が数日前に、ラピュタ阿佐ヶ谷に「マイマイ新子と千年の魔法」を
見に行ったそうです。小さな映画館ですが、補助席や座布団も置かれて、
満員だったようで、ちょっとうれしい報告でした。
私はと言えば、アバターの3D版を見てきました。
「マイマイ新子」と対極にあるモンスターのようなアニメで、これもまたアニメで
あってアニメではない・・
再生音楽が、ステレオになったときのような、身体的な革命です。
たしかに、奥行きの感覚はすごいですね。
でも、脚本というかテーマは、宮崎アニメの方が深い気がします。
結局はスクリーンを「とことん見せて伝える」か「自分で見て想像するか」の違い
だと思います。奥行きがソコに在る・・ともかく在るのは強いです、
とりわけ受け身の現代人にとっては。
この赤岳の写真にしても、もし3Dで見たら、圧倒的な広がりなんでしょうね。
この写真を見て、その広さと遠い山々への距離を実感出来る人は、きっと山に
登ったことのある人なんだと思います。一度得た視界は、感覚で再現しやすい。
でも、冬山に登ったことの無い私は、多分その半分ぐらいしか味わえない景色
なんでしょう。
その違い、体験した者と体験したことのない者の感覚の違い・・を、無化するのが
3Dだとすると、ははん、「マイマイ新子と千年の魔法」に、都会で育った子供より、
麦畑の遙か遠くに山が在るのを、自分の目でみて育った大人のほうが、楽しんで
くれているのも、納得できます。
体験は、平面を奥行きで感じる力になるんです。
あれ、ちょっと理屈っぽくなってしまいました。
もちろん、アニメや写真だけの話ではなく・・・
恋愛体験が、恋愛小説を立体的に読ませる、という我田引水でした。
高樹のぶ子
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子ども時代は今よりずっと寒く、積雪も多かったですね。
以下に、八ヶ岳連峰のステキなリンクを!
http://www.yatsugatake.gr.jp/
「子」の付く名前の関連で、前項に触れようかなと思っていましたが、新ブログがアップされましたので、こちらに少し。
「子」が付くと一般的には女性だと判断しますが、そうでなくても間違えられる場合もあるということで。
亡くなった三浦綾子さんのご主人の名前は、三浦光世さん!
光世さんは、ご自分の名前は女に間違えられるのでイヤだと子供の頃ぐずったそうです。そうしましたら、育ててくれた祖父が、人間の使うものには男女兼用という言葉があって、男性でも女性でも良いものがある。これでいいんだと言われたそうです。
詳細は、以下のリンク先ビデオで;
『道ありき』の世界を歩く(2)
三浦綾子さんのご主人・三浦光世さん
http://www.harvestinternet.tv/
また、こちらには、「心臓外科医が語る驚異の人体」の映像もあります。英語の字幕も出ますので。
左手、白いのが、木曾の御岳さん、真ん中が乗鞍岳
右手に 穂高から白馬岳の北アルプスです。
手前、右に諏訪湖も見えます。
近くの知人が凍結していると言っていましたが、、、
氷点下15度からの写真堪能しました。
体験あっての想像力・・・
私の経験はどんどん臆病にしてゆくばかりです^^;
八ヶ岳連峰とは違う峰の映画ですが「劔岳 点の記」は映像の綺麗さに感動をしました。
恋愛体験が、恋愛小説を立体的に読ませる……も。
冬ではなく真夏の八ヶ岳に登ったことがあります。
メンバーに女性が2名ほどいたこともあり、岩の多い赤岳を眺めながら隣の山に登ったのでした。
ずいぶん昔のことで、山の名前は忘れましたが、4時起きで、それこそ早朝の冷気を心地よく感じながら山道を歩き、下山してから麓の温泉で汗を流したことは覚えています。
八ヶ岳連峰の裾野はなだらかで、遠くに富士山を、近くには中央アルプスが眺められます。
雨飾りさんの説明では、右手が穂高から白馬岳ということですが、それなりに思い出のある山々です。
こんな素晴らしい冬山の写真を送ってくださる友だちがいらして羨ましいです。
そうそう撮れる写真ではありませんから。
凛とした冷気を楽しみました。
マイマイ新子と、罪花、を買いました。二つで450円ほど。
すみません。ブックオフで・・・
これから読みます。
このところ、忙しくしています。
空模様も何となくふわりとした雲が増え、春が間近に来ているようです。
八ヶ岳の雪山は経験がないですね。
泊まる山荘が冬期は閉鎖しますから、八ヶ岳連峰には4月末~11月中旬にしか、出掛けられないので初夏から秋を楽しみます。
閉鎖する理由は湯沸器や水洗トイレの水抜きを、ちゃんと出来ないか忘れる人がいるからですね。苦笑
首都圏に住む二人の友人から毎年、近年八ヶ岳からの年賀状が届きますから、
お正月を別荘で過ごしているようです。
蓼科に度々長期滞在したときに、横岳と蓼科山の間を縦走しました。
八ヶ岳は二千Mを越す尾根や頂上付近ガラ山のようです。
蓼科牧場から蓼科山に登る途中は、中腹のガラ場に高山植物が生えていて、山野草が好きな人には好い登山路です。
開花は6、7月です。
八ヶ岳は謎の山だそうで、富士山くらい高い主峰が、有史以前に原因不明の大崩壊したそうです。
個人的には雪山は何と云っても北アルプスの感動が抜けてますね。
「マイマイ新子」はデモ映像をちらっとしか見てませんが、
宮崎映像よりアニメの描き方がラフタッチだった印象が有ります。
あと「カルフォルニア」でしたか、高樹さんが心配されたように、
あの情景は脚本で別のストーリーと差し替えるべきだったでしょう。笑
ちょっとあ~言った世界に子供が立ち入らせると、新子達がこまっしゃくれて見えて仕舞いますからね。
小説でもジャン・コクトーの都市に住む、「恐るべき子供達」をあの情景で連想しました。
ところで男はハッとするような好い女と出会ったとき、
それまでの体験や経験は全て忘れて仕舞いますが?
これからも続けてほしいです♪
画家の目になって眺めると、きっと白と灰色の濃淡がかなりはっきりと見えるのでしょう。私には、白一色に見えるし、ひたすら寒いのが雪。
けれど雪の暖かさ・・を言う人もいます。
ですから、この写真のような景色は、ヘリコプターにでも乗らなくては手に入りません。
小説の中に出てくる雪は、やはり「キリマンジャロの雪」でしょうか。もちろん序文の「凍てついた豹の死体」です。
海と山、では、圧倒的に文学では海が多い気がします。
雨は効果的に使われるけれど、雪はさほどでも無いような気がしますが、これも読む人によって違うのかな。
雪は詩を、海は物語を生む。
寒い高地には神が住み、暑い低地には邪が住む。
「キリマンジャロの雪」そのままになってしまいましたね。
これからも続けてほしいです♪
雨で思い出すのはサマセット・モームの「雨」。
間断なく降り続く雨の中で展開する物語……そんな印象が強いのですが、読んでいて、雨の日の鬱陶しさが体に染み込んでくるようでした。雨音、びしょぬれ感が圧倒的だったような。
読んだのはだいぶ前なので記憶も薄らいでいますが、雨の中で本を読んでいるような気持ちになったものです。
> 海と山では、圧倒的に文学では海が多い気がする……。
先生は海を舞台にした小説が多いですね。
山が小説にはなりにくいのは、山を知っている人でないと理解されにくいからでしょうか。
そういえば、「雨」も海なんですね
「雪山と恋」と来たら、個人的には、
『天の夕顔』(中河与一著)―天の夕顔の天蓋山―
http://www2.ocn.ne.jp/~ynhida/yamagatari/katari/tengai.htm
『アコンカグア山頂の嵐』(チボル・セケリ著)
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/1674/nanbei/nanbei.html
ほか、山岳小説リンク
http://climbing.x0.com/novel.htm
http://www.shinshu-liveon.jp/www/topics/node_137207
http://www1.accsnet.ne.jp/~blizzard/bushsnow/author/bookshelf_4.html
山から戻ってきて、新宿駅に着く山男の気持ちから書き起こされていたました(間違ってたら、すみません)
作品リストを眺めていて、あることに気がつきました・・
圧倒的に男性作家が多いことです。
山男はいるけれど山女という言葉は無いですよね。
深い(男女の生理的な)問題が隠されているような気がします。
その割に目立った日本の海洋小説は未だ見当たりませんが、幾つか山岳小説は有りましたね。
少なくとも日本の近代までの物語性は、何らかの落差の存在により、人の様々なエネルギーが物語として展開して来たようです。
しかし現代は落差の悲哀だけでは、現代を捉えた小説にはならないようです。??
アフリカの山奥でもパソコン部品を作っていますからね。
ところで山男に対して、山女の言葉が使われていないとか?
いえ、現実的に都会には中高年の山女が大勢いますよ?笑
實は僕のワイフ(54)だって、十年前かは平均月二、三度は登山に出掛けています。
北アルプスも三泊四日で縦走しましたし、北岳や木曾御嶽山などを、かなり本格的な装備で出掛けています。
山女と呼ぶとブスを連想し可哀相だから、斑紋の美しい渓流の魚、ヤマメと呼ぶことにしましょうか。
想えば20代に長く付き合っていた可愛い彼女も、国立音大の附属中・高・大で山登りのクラブに入っていました。
特にパソコンやピアノやキーボードを使ったり、仕事で液晶画面に釘付けになる人は、
山の自然に親しむ時間を出来るだけ設けると好いでしょうね?
海辺の散策は楽ですが、磯釣りでもしない限り、視覚的には単調ですからね。
メンデルスゾーンもスイスで登山をしていましたね。
振り返ると僕は海辺の育ちだったので、
何かと落差のある内陸部の育ちの女性と付き合って来たようです。
姨捨山の連想から山女(やまおんな)の発音は忌み嫌うのでしょうね?笑
そう云えば高1の頃から、人形峠から美しい大山(だいせん)を眺めに、
度々ツーリングで旭川沿いに上りクタクタになって帰宅してましたね。
途中の村々の風景や人の表情が懐かしいですが、今は全く残ってないかなと思います。
その頃ジョン・ゴールズワージー
「林檎の樹」に幻想を抱いたものです。
参考までに。
「枝もたわわに
黄金の実をつけた
歌姫たちの守る
林檎の樹」
エウリビデス『ヒポリタス』
この詩の引用か
らはじまるこの小説は、ギリシア神話の理想郷に鎮座する、林檎の樹を夢見ながらも、
近代人にとってそのような理想郷はもはやなく、
それをどこかに追い求めてしまう悲哀を描く。
二人の逢い引き情景はギリシャ詩人サッフォーの詩のような、
かなり幻想的で細やかな風景描写が散りばめられています。
山の魅力に取り付かれている女性も沢山いますよ♪
私には現実に目にすることの出来ない素晴らしい写真に
ついつい見とれていました~
私は冬山に登りたいとは思えない軟弱な人間なのでした。
北国で暮らしながら・・・寒いのがメチャメチャ苦手なのです。
暑いのならどれだけ暑くても誰にも負けない?自信があるのですが。。
寒いのだけは・・・ダメですね~
この度、
私の山仲間に加わったお友達ですが、
紅子さんと同じ(私と同じ)年齢で、
今まではロッククライマーだった女性です。
エベレストにも挑戦したことがあるようです。
それでも、
この年齢になったので、
私のような初心者と一緒に「里山」で楽しむ生き方を選んだようでした。
ハードな登山経験から膝の半月版損傷など身体はぼろぼろのようですが、
それでも山を捨てられない女性がいるのですよ。
山野井泰史・妙子夫妻のヒマラヤ・ギャチュンカン峰登頂の記録などのように・・・
人は男女を問わず魅せられた世界に突入していくものなのでしょうね。
私は・・・なかなかそこまではたどり着くことはできませんが。。
私も毎年「ヒグマ」の恐怖と戦いながら近間の登山を楽しんでおります。
今年は「利尻岳」を目指します♪
恋愛体験が、恋愛小説を立体的に読ませる……
これにも妙に反応してしまいました。。
経験が・・
感情の奥行きを深くするものなのでしょうか。。
どうしても・・・
少女miriamから、おばさんのMillerになってしまうのですよね・・・
ごめんなさい。
著書も沢山あります。
『女子だけで海外遠征を』を合言葉に女子登攀クラブを設立。
1975(昭和50) エベレスト日本女子登山隊 副隊長兼登攀隊長として、世界最高峰エベレスト8848m(ネパール名:サガルマータ、中国名:チョモランマ)に女性世界初の登頂に成功
1992(平成 4) 女性で世界初の7大陸最高峰登頂者となる。
2009年春よりNPO法人日本トレッキング協会会長。
向井千秋さんではないですが、これから、女性登山家で、奥深い小説を書く女性が日本にも出てくるかもしれませんね。
田部井淳子オフィシャルウェブサイト:
http://www.junko-tabei.jp/
ブログの更新をいつも楽しみにしています