断章、特に経済的なテーマ

暇つぶしに、徒然思うこと。
あと、書き癖をつけようということで。
とりあえず、日銀で公表されている資料を題材に。

『日銀短観』の調査内容変更の件

2014-03-08 01:49:25 | 日銀ウオッチ
今回の日銀短観から
調査内容が変更されることについては
すでに以前から発表があったので
別段目新しいことではない。

が、改めて調査票を手にして
回答を書き込むとなると
「本当にこれで大丈夫なんだろうか」という気がしてしまう。
驚いたのは、資産・負債の残高項目がすべて削除され、
その代りに、1年後、2年後、3年後の
自社の製品価格および仕入価格の上昇率(当年日)の予想、
及び一般的な物価上昇率(核燃とも前年比)の予想
という項目が追加されたことである。
また、他の判断項目も著しく簡素化されている。
内容の簡素化自体は反対ではないが
しかし、これはないだろう、という気がする。

2008年のリーマンショックを引き起こした原因の一つが
民間部門の債務の異常な肥大化にあったことは
しばしば指摘されている。
アメリカにおいては、民間部門の負債の総額が
GDPの3倍にも及んだという。
これが、恐慌の原因となると同時に
連鎖的な債務不履行の発生が
単純なクラッシュを、経済全体にわたるショックへと
変換したというのである。
しかも、その後の不況の長期化もまた
民間部門における「バランスシート調整」が大きくかかわっているという点は
リチャード・クーのバランスシート不況論をはじめ、
様々なところで議論されている。
そのさなかに、
日銀短観から資産・負債項目が削除されるのである。
調査項目の簡素化は
調査対象となる企業の負担の軽減といわれたが
こんなものはほとんどの企業が
月々集計している。近年は
ほとんどの企業が会計ソフトを導入していると思うが、
これを使えば自動的に集計され、
具体的な数字が出されるのである。
(手形割引を負債項目に含むなど、
通常の財務諸表とやや違うとはいえ、
これがそれほどの負担になるとはとても思えない。)
負債は時価表示化がすすめられているとはいえ、
多くは洗い替え法を用いて計算しているだろうから、
それも負担にはならない。
で、あれば、負担削減という目的には
負債項目の削減はそれほど効果がないであろう。
他方で、
現在の景気の先行きを考えるためばかりでなく、
今後、たとえ景気が回復した後でも
いつでもまた再び起こるかもしれない
債務デフレ(ミンスキーの本のタイトルではないが)に備える観点からも
こうした資料を長期的に整えておくことが
必要不可欠なのではないだろうか。

それにしても不可解なのは、
それに代わる調査項目として
2年後3年後の物価上昇率の予測が加えられたことである。
現在の経済学では、
現に今あることよりは
将来の先行きの予想のほうが重視されることが
少なくない。静学的期待よりは合理的期待というわけだ。
実際、企業会計においても
こうした点が重視されており、
現在では企業の財務諸表の貸借対照表は
「バランスシート(残高表)」
から「資産・負債・純資産のポジションステートメント」
と、名称が変更されたほどである。
しかしそれでもなおかつ、
現在の負債残高の水準は重要である。
他方で、将来の物価水準に対する期待はいくら重要だとはいえ、
それだけで意味を持つものではない。
日銀の、いわゆる「市場との対話」に資すものでもないであろう。
第一、日本の、とりわけ中小企業では
来年のことはともかく、3年後の物価上昇率など
企業内部で公式に議論しているところなど、
一部の業種を除けば
圧倒的に少数であろう。
多くの企業が、先行きを予想してそれを見越して
先手を打つことよりも
ある程度方向が見えてから―つまり
成り行きを「静観して」、
やや受け身に行動を選択する。
勿論、完全に受け身になるとは言えないが
それでも数年先を見据えて先回りして行動する余地など
それほどありはしない。
とりわけ多くの製造業においては
そうするより他にないのである。

このことは、これまでの日銀短観でも
はっきり見て取れる。
これまでも短期的な将来の仕入価格および販売価格についての調査はあった。
これらは常に、ほとんどの業種において
仕入価格については上昇、販売価格については下降を予測するという
やや矛盾した傾向を示していた。
実際、デフレが喧伝されているさなかでも
多くの場合、仕入価格は上昇予想が支配的だったのである。
こうした結果が出る理由は、
勿論、この種のアンケートに答える職員が
財務畑の人々であるため、会社内で公式な判断をしない場合にも
常に保守的に物事を考えるように
癖がついているせいもあろうが、
他に日本の産業構造と独特の商習慣の影響もあるように思う。
この点を詳論するのはまたの機会に譲るとして、
いずれにしても
3年後の予測など、長期請負や長期債券を扱うような会社を除けば
ほとんどの企業会計にとって
意味がないのである。それでも
問われれば答えるであろう。
3年物長期的見通しについて言えば
ほとんどの企業が
仕入価格は現在よりある程度大きく上昇、
販売価格もやや上昇と答えることだろう。
根拠などありはしない、ただのあてずっぽうである。
こうした調査にも世の中の雰囲気を知るという意味はあるが、
それだけである。
なぜこんな調査をする必要があるのだろうか。
ついでに言っておけば
調査はまずは自社の仕入価格、販売価格の2年後3年後の、
「今年に比較しての」上昇予想、
次の全般的な物価上昇については
「前年比」上昇率を回答するようになっている。
なんだって、こんな煩わしいことをしているのだろうか。
今年との比較なら今年との比較、
前年比なら前年比、
統一するのが普通であはあるまいか。
毎年前年比1%ずつ上昇すれば
3年後には今年と比較して約3%上昇することになる。
逆に言えば、
先に「今年と比較して3年後は3%上昇しているだろう」と
回答した人は、
その勢いで、次の質問(全般的な物価上昇率)についても
3%と、答えてしまうかもしれない。つまり
この質問形式には
物価上昇率予想を高くひきあげるバイアスがかかっているのである。
そこまで姑息なことを日銀が意図しているとは、さすがに思えない。
とはいえ、いずれにせよ、今回の変更が
「期待物価上昇率」を重視する安倍政権の方向性に沿うものであること自体は
おそらく間違いないであろう。

政策当事者が、政策を推し進めるうえで、
必要な調査資料を入手しようとするのは当然のことであり、
非難されることはない。
しかしながら日銀短観のような調査は
長期的な継続性が重要である。
とりわけ、企業の資産や負債の状況などは
継続して調査し続けることに重大な意味がある。
今後の歴史研究のためにも、残しておくべき資料である。
こうしたものを、その時々の政権の都合でいたずらに
変更するべきではない。

話は変わってしまうが、
私が安倍政権をこれまでのどの内閣よりも
危なっかしい政権であるように考えているのは
その「反教養主義」とでもいうべき性格である。
過去にも、中曽根政権など危なっかしい政権がなかったわけではない。
しかし、今回の安倍政権が過去のどの政権と比べても目立つ
著しい特徴は、安倍氏自身およびその周辺に、
全く政治家としての教養に裏打ちされた言動が
見られないことである。
過去の自民党政権は
どれほど右寄りだろうと、
政治家自身に歯止めがあったように思う。
中曽根氏なども、本人の思想自体は
あるいは安倍氏などよりよっぽど右寄りだったかもしれないが
同時に、例えば、ご自分が靖国に参拝すれば
それがどのような政治的意味を持つことになるか、
異なった政治的立場にいる人々の出方を考え
自分の行動を抑制するだけの知性はあったように思う。
政治家、とりわけ首相ともなれば
一市民とはわけが違う。
「自分の行っていることは正しい」というだけでは
自分の行動を正当化するには足りない場合があることを
承知している。
「私はあなたの言うことには反対だ。
だが、あなたがそれを語る権利は死んでも守る」
といった、「最初の保守政治家」の精神は
まだ受け継がれていたと思う。
憲法の内容が、いかに自分の思想に反するものであっても
憲法を守ること自体の意味を、どの程度理解していたかはさておき、
ともかくも意識はしていたと思う。
なぜ、憲法を守らなければならないか、なぜ、
立法や司法が行政から独立しており、
「均衡と抑制」などと言うめんどくさいものを
抱え込んでいるのか。
こうしたことは、東大の法学部にでも言っていれば
勉強なんか改めてしなくても
自然と身につくものなのであろう。
まあ、東大の法学部のことを過大評価する気などさらさらないが、
それでも、日々司法試験にトライしようという人間が
自分の周囲にいる環境とそうでない環境とでは
おのずと意識に違いが出てくるだろう。
人権や民主主義といったもののややこしさ、
めんどくささ、しかしそれを守ることの重要さ、
そうしたものが本人が意識していなくても
ことさら意識的に学習しなくても
自然と身につくような面もある、と思うのである。

しかし、安倍首相のやることを見ていると
最低限の民主主義の要請すら
身についていないように感じられる。
この点は、NHK会長の籾井氏にも通じるところがある。
彼も、要するに、自分の言っていることは正しい、
正しければ、何を言ってもいいのだ、
という程度の料簡しかない模様である。
そもそも、マスメディアとは何か
マスメディアと権力の関係は、いかなるものであるべきであり、
いかなるものでなければならないのか、
こうしたことについての
過去の研究や歴史の蓄積といったものを
何一つ学ぶことなく、あの職についてしまったように思われる。
このことは、役員に日付なしの辞表の提出を求めた点を問われた際の
彼自身の言い分にはっきり表れている。
「普通の社会(すなわち、営利企業)ではよくあること」というのが
彼の言い分である。実際、そのようなことが
普通かどうかはともかく、
ここには、マスメディア、とりわけ、公共放送というものの
特殊な性格に対する配慮といったものは
全く感じられない。そもそもそこに特殊な事情がある、
ということ自体を全く理解していない様子なのである。

現在の日銀の総裁黒田氏は、
私の記憶では、確か東大卒だったような気がする。
と、なると、上で書いた私の学歴主義も
ずいぶん怪しい感じがしないではないが、
黒田氏も、また安倍氏や籾井氏と同様
長期的な「日銀が果たすべき役割」について
全く理解することなく、その要職についてしまった、
という意味で、
やや危なっかしい人に属するのかな、
と、いう気がしてきてしまう。


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