普通学級のなかで、言葉を話さない子や、自分では食べられない子の「介助」をすることで、私は何をしてきたのか…。
子どもができないから「介助」ではありませんでした。
リサが「できない」から、「できる」ようにするために「介助」に入るのではありませんでした。
直史が周りに「迷惑」をかけるから、それを防ぐために「介助」に入ったのではありません。
康治の「できない」ことを、代わりに「してあげる」ために入るのでもありませんでした。
「できない」ことがあっても、その「できない」ままの姿で堂々とそこにいて欲しいから、私は介助に入ってきました。それは、私が「教師」として、みんなの前にいたときも、私のやることは同じでした。
「介助」という仕事、「教師」という仕事をしながら、私がしてきたことは、同じことでした。子どもたちの前に立つ時、そこには、子どもたちが「この人はどんな大人だろう」とみるまなざしがあります。
この子が障害のために「階段を上がれない」とき、2階に車椅子と子どもを運びながら、私は何をしてきたのか。階段の上の友だちのいる所に行きたい気持ちを、「誰でもそう思うよね」とその子に伝え、まわりの子どもたちにも、「あたりまえのことだよね」と伝えること。子どもが、自分には障害があるから仕方がないとあきらめてしまわないように。そんなふうに、この子が「できない」こと以上の寂しさを感じないように。そんなことを思ってきました。
障害のせいで「できないこと」と「できること」の間に入り、私は何をしてきたのか。ようやく分かってきたことは、この子の「私」が、みんなとの「私たち」から零れ落ちないように、ということでした。
一人の子どもの「私の毎日」が、いつしか「私たちの毎日」に変わっていく日々を、私は子どもたちのそばで見せてもらいながら。入学の日、「私の学校」「私の先生」から始まる生活が、いつしか「私たちの学校」「私たちのクラス」という実感に変わっていく日々。
遠足・運動会・合唱祭という行事が、「私の楽しみ」から、「私たちの楽しみ」になっていく時間。例えばピストルの音が恐くて1年生の運動会に参加できなった子が、何年か後には、みんなのなかのどこにいるのか見つけられなくなるほど溶け込んでいく姿。
そんなふうに一人一人の子どもの「私の学校生活」が、「私たちの学校生活」と感じられるように、そのためのつなぎになりたいと思ってきました。
例えば、車椅子を押すことが「つなぐこと」でした。みんなのそばに連れていくことが「つなぐこと」でした。
時には、みんなから離れてぽつんとしている子どもを呼びながら、私が動かないことで、見かねた子どもたちに走っていってもらうことが「つなぐこと」でした。
いつも「いない」のが当たり前になることで、クラスの「私たち」からこの子一人零れ落ちないようにと願いつつ、同時に私がしてきたのは「この子の私」と「この子の私たち」をつなぐことでした。
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