ワニなつノート

《みっけ》の話 (その1)


《みっけ》の話が書きたいんだけど…



その映画の最初のシーンを忘れていた。
ストーリーは覚えているし、カエルのセリフもモノマネできる。
だけど最初のシーンは忘れていた。

その物語は、同級生からもらった一枚のカードから始まっていた。

「ちひろ 元気でね また会おうね  理沙」

理沙は、この物語には出てこない。
でも、主人公を助けてくれたのは、理沙だ。

理沙が、ちひろを見つけてくれたから、ちひろは自分であることをつなぎとめることができた。

そう、「みっけ」があったから。

そういう物語だったと、「宮崎駿再考」を読んで気づかされた。

本棚にこのアニメコミックが5巻揃っているのは、私が「普通学級がいいよ」という物語として受け取っていたからだとおもう。

で、私が書きたいのは、「みっけ」のことなんだけど…、何から始めようか。


        ◇

【 …「物語」とは何か。
それは記憶をたどることなのだ。

できる限りの「記憶」を組み合わせること。

なぜなら世界は「記憶」で成り立っているからだ。



転校の際に友だちからもらった「ポストカード」、
そこに書かれていた「千尋」の名が、
薄れゆく千尋の「記憶」をつなぎとめたように、
最後に銭婆からもらった髪留めも、
忘れゆく油屋の出来事をいつか思い出す
「記憶」のインデックスになってゆくだろう。

「記憶」があるのではなく、「記憶」を引きだす「インデックス=物語」があるのだ。

宮崎駿は「日常の記憶」と「地球の記憶」を「物語」の中で結びつけようとしている。】

(村瀬学 『宮崎駿再考』 平凡社)


名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「みっけ」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事