《99.9%同じ》
99.9%同じなんだ。
違いは0.001しかない。
専門家は子どもを見る時、その違いだけを探す。
だから、専門家というのだろう。
0.001の違いを見つけて、「見つけた」からには「修正できる」と思い込む。
違いを「見つける」ことと、その違いがその人の人生にどんな関わりがあるのか、何をどうしたら「修正」になるのかが「分かる」こととは、まったく別のこと。
0.001の違いを見つけることだけに目が行くから、99.9%の「同じ」が見えない。
0.001の違いを、障害と呼ぶとき、それを「全部」のようにいう言葉を「障害児」という。
そのとき、障害のある「ふつうの子」という見え方が消える。
誰もが0.001%ずつ違っているけれど、99.9%は「おなじ子ども」であるということが消える。
「障害」があるのだから「ふつうの子」なんかいる訳がない、という人がいる。
それは、その子の99.9%の姿が「みえない」と言っているのだろう。
◇
専門家でなくても、一目で分かる。
そもそも、子どもはみんな違う。
顔も声も気配も個性もみんな違っていて、自分の子どもと他の子どもを間違えることなどないくらい、ちゃんと違っている。
そこから、さらに「違い」を探そうとするのは、どういうときか。
違いよりも、同じに目がいく人もいる。
それは、何が違うんだろう?
「同じ」をみるか、「違う」をみるか。
それは、同じ一人の子どもの見方が、まったく違うことになる。
専門家かそうでないかは関係がない。
99.9%同じなんだから、0.01%を「無視」する、というつもりではない。
違いが「0.01%」だとして、その「違い」を、なくそう、治そう、修正しよう、同じに近づけよう、とする。
そのことこそが、「違い」を無視することではないのか。
という予感がする。
違いを大事にしながら、99.9%の同じを大事にすることはできないか。
99.9%を大事にすることが、違いを大事にすることにつながる、はずなのだ。
たとえば、「ふつう学級を希望したのだから、ふつうに扱います。特別な配慮はしません。それがご希望なんでしょ」という底意地の悪い先生がいる。
たぶん、自分が何を言っているのか、よく分かっていないのだろう。
それは、同じを大事にしてふつうに扱うのではなく、「違い」を無視しているだけ。
さてと…。
私は、何のテーマをしゃべっているんだろう?
(つづく)
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