ワニなつノート

トラウマとフルインクル(その76)



トラウマとフルインクル(その76)


《主体感覚》



「主体感覚」がないということ。
「主体感覚」を失うということ。
「無力」である、ということ。


わたしは無力で、何の力もなく、大切な両親を守ることができなかった。
わたしは無力で、何の力もなく、大切な自分を守ることができなかった。
事件や津波や虐待に抗うことはできない。


だから、わたしは無力なだけ。わたしにはなんの「力」もない。
わたしはいてもいなくても同じ。
わたしは、この体の中に、いない、も同じ。
いても、何も、できないのだから。


「主体感覚」を失うということ。
そのことに、私がこだわるのはなぜか。


それは、お前は「無力」だと押しつけてくるものに対する怒り。

お前には「なにもできない」と押さえつけてくるものに対する怒り。

そのせいで、自分の一番大切なものを「守れない」ことへの怒り。


それが「人」なら、怒り、憎み、力をつけて「復讐」することもできる。

だけど、それが地震や津波であるときには、人は「無力」だ。
それが事故や病気なら、「なにもできない」と人は感じる。
大切な人の命を「守れない」こともある。

それでも、わたしがわたしであることで、悼みつづけること、思いを守り続けることができる。

無力でなにもできなくて、守れないとしても、大切なものがある。

それでも、目の前の子どもに、大丈夫、一緒に生きていこう、あなたには自分の尊厳を守る力があると、伝えながら共に生きていく生き方がある。


【主体感覚、つまり自分がどのぐらい主導権を握っているのかという感覚は、自分と体やそのリズムとの関係で決まる。

覚醒や睡眠、あるいは食べ方、座り方、歩き方といったことが日々の輪郭を定める。】


歩けなくても、読めなくても、書けなくても、しゃべれなくても、大丈夫、一緒に生きていこう、あなたには自分の尊厳を守る力があると、伝えながら共に生きていく生き方がある。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「フルインクル」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事