ワニなつノート

ふつうの生活



ふつうの生活


ホームで子どもと話し込んでいて、一時保護所の話題になった。
ホームの子はみんな、一度はホゴショで暮らしたことがある。
私もそこで働いていた。

様々な理由で「保護」される立場の子どもにとっては、楽しいだけの場所ではない。
でも私にとっては、寄る辺ない幼い魂が寄り添いながらせいいっぱいの笑顔で生きている、
そんな場に立ち会うことのできる、幸運な職場だった。

      ◇

そこで私が一番大嫌いだった男の子のことを、話した。
生意気でかわいげがなくて、幼児さんや障害のある子にいじわるをするクソガキだった。
こいつだけは好きになれないと、思い続けて半年が過ぎた。
ある日、私がいやいや卓球につきあっていると、ふいに彼がつぶやいた。
「さとー、おれもいい人になれるかな…」
ここで話にのってはいけない。
だまされるもんかと警戒している私の耳に、彼の声がつづく。

「まだ間に合うかな…」

そこにいたのは、どうしようもないクソガキと私が思い込んでいた子どもではなかった。
長いあいだ、ひとりぼっちで生き延びてきた小学5年生の男の子がそこにいた。

すべての大人を敵にまわして戦ってきた彼のこころの日々を、はじめて私はおもった。
こんなやつ絶対好きになれないと思った自分のこころを、ふりかえった。

      ◇


そんな十数年前のことを、なぜ彼女に話したのだったか…。
自分の人生で後悔していることがいっぱいあるということだったか。
彼女はただだまって聞いていた。


その後、別の話をしているときに、ふいに彼女が言った。
「わたしも小さいころ、ふつうの生活ができる日がくるのかなって、思ってた」

彼女も幼いころから施設で育った。
中学卒業とともに、このホームにきて二年になる。

「いまは、ふつうの生活ができてるけど、
子どものころ、こんなふうにふつうの生活ができるなんて思わなかった…」

わたしは返すことばが見つからず、てきとうな返事をしていた。
でも、その言葉はずっと私のなかでリピートし続ける。

「いまは、ふつうの生活ができてるけど…」

彼女は確かにそう言った。

「自分にもふつうの生活をする日が来るんだろうか」と思っていた。
「施設」にいるころは、そう思っていたと彼女は言う。

でも、ここ(ホーム)も「施設」のひとつだ。
自分の家ではないのだから、窮屈なことや嫌なこともいっぱいあるだろう。
本当の家族ではないのだから、気を遣うことも我慢することもいっぱいあるだろう。

いまの時代、「高校全入」だと多くの人が思い込んでいるこの国で、
十五才で自立を迫られる子どもが、いったい何人いるだろう。


それでも、「いまは、ふつうの生活ができてるけど…」と
彼女は言った。

日々、この仕事に迷っている私に、
その言葉は、最高の肯定だった。


彼女の思い描いている「ふつうの生活」が、どういうことなのか。
私もちゃんと分かっている訳ではない。

でも、「ふつうの生活をなくした」幼い子どもが、
取り戻したかった「ふつうの生活」が、
ここにあると感じてくれている。

それが、何よりうれしく思える。


(そう「普通学級」をなくした子どもも、きっと同じものを感じる。
それは、なくした子どもにしか、分からない。
取り戻したい大切なものが、ある。)
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