この前、工藤直子さんの詩集から、一篇の詩を引用しました。
あの詩も好きですが、詩集の中で一番好きなのが「あとがき」です。
あとがきのタイトル?は、《「こどもだった自分」からの合図》と言います。
「たとえば、五歳のころの、ある日の夕焼け。…
たとえばふざけていて花瓶を割ってしまい、瞬間周囲が桃色から灰色に変わり、お腹がきゅっと痛くなったこと。…
たとえば夕食の時間に、父がビールを飲む、そのごくりごくり動く喉の記憶など。…」
工藤さんは、「くりかえし現れる、子どものころの記憶には、不思議な合図がひそんでいる」と言います。
「なにもかもが『お初』だった、あのころの自分からの伝言のような」もの。
「そしてそれは、(喜びの記憶であれ悲しみの記憶であれ)私をどこかで支え、励まして」くれるというのです。
(あなたは独りでない。沢山の「子どものあなた」が、いつもそばについているから大丈夫)と、大人になった私を、支え、励ましてくれるというのです。
その言葉を読むたび、私のとなりに、「子どものわたし」がいるのを感じます。
大人になったら、絶対にウルトラマンになると思っていた「子どものわたし」。
ウルトラマンになって、助けを求めている子どもを助けるんだと信じていた、「子どものわたし」が、今の私を支え、励ましてくれているのを感じます。
「子どものころの自分」が、「いつもそばについているから大丈夫」と、
今の自分を支え、励ましてくれているのだとしたら、
「子どものころの自分」の隣にいた、
たくさんの「友だち」や「同級生」たちもまた、
どんなにか今の自分を励まし支えていてくれることだろう。
私たちは、そうした子どものころに手に入れた宝物の意味を忘れすぎているんじゃないだろうか。
「私のなかの子ども」は今でも本気でウルトラマンになりたいと思っている。
子どもを分けようとする怪獣たちから、子どもを守るウルトラマンになりたいと本気で思っている。
(※ 引用は、『こどものころにみた空は』工藤直子 理論社より)
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