ワニなつノート

名古屋からの宿題(その3)



「ことばの掟」と「解放の呪文」



講演のタイトルが「普通学級の障害児のために知っておきたい大切なこと」と言われて、「それそれ、わたしも知りたい!」と思った。

でも、話すのはわたしだ(+_+)

こーんなに「知りたい!」とわたしが思っていることを、わたしは話せるのか?

そんなに「大切なこと」を、わたしは知っているのか?

答えは確かにイエスだ。
わたしは知っている。

ただ、それをことばにできるか?
それを、話すことができるか?
それを、物語ることができるか?

そう、わたしは「大切なこと」をたしかにみてきた。
たくさんの子どもの顔が浮かぶ。
ひとりひとりが、わたしに大切なことを教えてくれた。
でも、それは「ことば」を通してだけではなかった。

大切なことは、子どもの顔であり、その子をとりまく友だちや家族の顏だった。

わたしの「たいせつ」と「だいじょうぶ、まちがいじゃない」の確認は、ことばではなかった。

・・・名古屋に行く前、そんなことをずっと考えていた。
はじめに、気をつけなきゃいけないと思ったこと。


(1)「大切なこと」を大局から語ってはいけない。

たとえば、就学相談会で、わたしが話したい相手は、わが子の就学にゆれる親であって、障害児の教育を考える人、ではなかった。

ゆれる親と、考える人、に話すときと、ことばの何が違うのか。

障害児の教育を考える人、は、子どもの笑顔と涙でゆれることには、あまり興味がない。

算数の授業について語るときに、この子にはいつも笑っていてほしいと思う先生はいない。

国語の授業について語るときに、この子がさびしくないようにと願うことから考える先生はいない。

でも、・・・

だから、就学相談会では、私が議論したいM先生に語ってはいけない。
それは、言葉の違う世界の話だから。


特別支援教育の先生に語るときには、違う言葉が必要。

特別支援を選んだ親と話すときにも、違う言葉が必要。

違う言葉を、同時に話そうとしても、その言葉は、虚空に消えていく。


現実世界には、異世界が幾重にも入り込んでいる。

私が魔法使いだったとして、一番よく学んだのはこの「ことばの掟」だった。
いま、修行している魔法は、「解放の呪文」だ。

さてと。
ふざけている訳ではない(・。・)

コメント一覧

yo
oonoさん、名古屋ではお世話になりました。

100人を超える人のにぎわいはいいですね(^^)v

なにより、交流会の子どもたちの姿は素敵でした。
あの雰囲気は、「ふつう」の世界でないと感じられない世界ですよね。

コメントの返事を書こうとすると、長くなりすぎるので、とりあえず、今日のブログに、「ことばのまほう」のことを書きました。

いい感じに、魔法がかかっていると思います。
(>_<)


ono
こんにちは。
名古屋での講演ありがとうございました。onoです。

その他にも、いろいろとアドバイスをいただいてありがとうございました。

「違う言葉が必要」考えてみます。

自分の場合、それ以前のこともきちんと考えないといけないと思いますが…(-_-;)

ありがとうございます!


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