分離の影響を考える
分離は、偏見と恐れを生じさせます。
その偏見と恐れは、子どもの心を硬直させます。
その状態で子どもは、
落ち着いて考えるということができません。
世界を、あるがままに見ることができなくなり、
分離の恐れが絶えずどこかに残ります。
それは、分離された経験に傷つけられる子どもだけの
問題ではありません。
その影響は、分けられた側、分けた側の両方に見られます。
目の前で、分離された子どもを目にするだけで、
偏見と恐れは子どもの心を硬直させます。
たとえ、分離というやり方が不正義だと気づいても、
子どもの考えではまだそれを明確に把握することはできません。
子どもとしては、分離される子どもには
なんらかの理由があるに違いないと
思いこむしかありません。
そのような子どもは、社会の差別・不正義に
目をつぶらなければなりませんから、
成長の後、そのようなあり方を無批判に受け継いで、
悪であるものを当然、自然のものだと主張するようになります。
予めある社会の不正義を、平等・公平の基準として
無批判に受け入れてしまいます。
そして、その制度のなかで苦しめられる人がいても、
すべては自己責任ですまされてしまいます。
自己責任とは、差別された側が、
「自分が悪いんだと思うこと」
自己責任とは、差別する側が、
「分離に疑問を持たず思考停止すること」
昔ながらの分離や隔離の時代の伝統のなかで育った人は、
多くの場合、一生の間この硬直状態に
陥ったままでいるように見えます。
これは、幼い時期に受けた教育の結果です。
かつて経験させられた教育の中身と教えが、
この人たちを、権威に弱い人間に仕立て、
分けられる子どもの苦しみを思いやる感情を、
全く発達できなくしました。
幼い時期に身体中に蓄積されたこの恐れから生じる
思考停止状態は、成長後、その人が新たな経験をしたり、
情報を得たりしても、全然変化しません。
いつも体制・制度に応じて、
適応の仕方を変える自分しか持ち合わせていないのです。
「私はなぜこう考えるのか」
「私はなぜこう感じるのか」
自らに問う視点を、子どものころに
無くしてしまったままなのです。
このような人たちは、時として本当の意味で
大人になることもできませんし、
自分の言動に責任を負うことができないままですが、
それはかつて経験した「分離」「隔離」に伴う偏見と恐れが
成長を妨げているからです。
そのような人は、一生、情動面で
十分発達できないままでいることがしばしばです。
他者との対等な関係を作ることができず、
常に上下の関係でしか理解できなくなっています。
特に「分けられた」子どもと
一度もつきあったことがない人にとって、
その子どもと向き合うことさえできません。
正体の分からない不安を恐れ続けている
小さな子どものままです。
つまり、その人はいつまでも、
隔離にまつわる影響に苛まれた子どもで、
悪がどこにあるのかを正しく判断することもできなければ、
むろんその悪と戦うこともできません。
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