ワニなつノート

8才の子ども




わたしだけ体操着に着替えなくていいと、先生が言う。
父ちゃんが迎えにくるという。
みんなが不思議そうにわたしを見送る。

わたしは父ちゃんに付き添われ、
警察に自首する気分でその建物に入る。
わたしは何か取り返しのつかないことをしてしまったのだ。
でも、それが何なのか、
8才のわたしにはわからなかった。

わたしには何の説明もないまま、時が過ぎた。
わたしが何をしたのか、わたしの罪は何だったのか。
8才の子どもには分からなかった。
わたしの生活はそれまでと同じように続いたけれど、
わたしはもう、無邪気なクソガキではいられなくなっていた。

自分が悪い子だから、
この学校にいさせてもらえなくなるのだと、
8才のときに思った。
自分がだめな人間だから、
友だちと遊べなくなるのだと、
8才のときに思った。
自分が情けない人間だから、
家族と一緒に暮らせなくなるのだと、
8才のときに思った。

気をつけなきゃ。
今度へまをしたらすべてが終わる。
だけど、それが何なのか、
いくら考えても分からなかった。
ただ、自分はみんなとは違う、
何かが足りないのだという思いが、
8才のわたしに残った。
取り返しのつかないことが何か、分からないこと。
それは、信じられるものがない、ということだった。

☆       ☆       ☆       ☆       ☆

19歳の時、養護学校義務化が始まり、
それに抵抗する人たちを知る。
その声に耳を傾けているうち、
わたしは忘れていた記憶を思い出した。

あの時の、「取り返しのつかないこと」。
それは、わたしが何をしたかではなかった。
「ありのままのわたし」が、問題だったのだ。

分けられるかもしれないと怯えたのは、
わたしが悪い子だったからではない。
ただ学校の先生が、わたしを受けとめる気持ちがなかっただけ。
わたしは確かに悪い子だったけど、
それでも堂々とみんなと一緒にいてよかったのだ。

なぜなら、わたしはただの子どもだったから。
世間知らずのただのクソガキだったから。
他の子どもよりも、自分のこだわりや納得にしがみつくしか、
自分を守る術を知らなかったクソガキだったから。

これから起こることへの見通しが悪く、
それをごまかすために、
自分を守ろうとしていただけだったのだから。
そんなふうにしか、自分を大事にするやり方を知らなかったから。

だから、分けられるかもしれないことを、
あんなに長い間、怯えて暮らさなくてもよかったのだ。
何年ものあいだ、本当の自分を抑えて生きてこなくても、
本当はよかったのだ。

ずっと怯えていた自分のなかの
「8才の子ども」を、
康治が救ってくれた。
知ちゃんが救ってくれた。
たっくんが救ってくれた。

子どもを分けることに肯かず、
普通学級に通わせたいと願う親たちの声が、
わたしの中の「8才のこども」に届く。
「あなたは本当にどうしようもないクソガキだけど、
本当はいい子なんだよね。」
「あなたは、そのままでいいんだよ。」
「ありのままの自分を、ただ精一杯生きていればいいんだよ。」
「すれちがいながら、失敗しながら、人とぶつかりながら。
どんなに不器用なやり方でも、
あなただけの大事な生き方がきっとみつかるから。」

そうして、わたしは、
障害があってもありのままでいいと、
子どもを愛する人たちに救われた。

☆       ☆       ☆       ☆       ☆

あるとき、「8才のわたし」よりずっとずっとクソガキな
10才の男の子に出会った。

かつて、わたしが怯えていた「取り返しのつかないこと」のために、
彼はそこに連れてこられた。

年下の子や弱い子をいじめる。
年上の子にもケンカを売る。
中学生に対しても高校生に対しても生意気で、
もちろん職員の名前も呼び捨てだった。
そこで暮らす大人からも、子どもからも嫌われるクソガキだった。

特に障害をもつ子どもへの侮辱の仕方が陰険で、
わたしも彼が大嫌いだった。

それでも何人かの大人は、
ちゃんと彼と向き合って暮らした。
わたしはどうしても好きになれなかったけれど。

ある日、彼と二人きりで卓球をしながら、
わたしの子ども時代の話になった。

彼が聞いた。
「さとうも、おれみたいだった?」

お前よりはずっとかわいげがあったさ、と思いながら答える。
「まあ、似たようなもんかな」
「ふーん」

しばらくして、彼がつぶやく。
「さとう、おれもいい人になれるかな」

うろたえた。

彼の口からそんな言葉が出るとは思わなかった。

「なれるんじゃないのぉ~」
茶化して答えるのがせいいっぱいだった。

ラケットを振りながら、彼が言う。
「まだ、間に合うかなー」

彼の素直な言葉を、わたしは受け取りそこねていた。

「何、言ってんだか。まだ5年生のくせに」
そう答えるのがせいいっぱいだった。

後悔していた。
どうしてちゃんと答えてあげられなかったのか。
「いい人になれるかな」
「まだ間に合うかな」
それは、8才のわたしの不安と希望そのものだった。

「大丈夫、間に合うに決まってる」
「間に合うどころか、もともとお前はいい子だ」と、
どうして初めから思ってあげられなかったのか。

今も、彼の声が聞こえる。
「いい人になれるかな」
「まだ間に合うかな」

子どもたちはみんな、いい人になりたいと願っている。
人間を好きになりたいと願っている。
誰かに信じてほしいと願っている。

だからわたしは、子どもたちに伝えたい。
「だいじょうぶ。あなたはそのままでいいんだよ」
「あなたは、あなたのままで、
あなたのペースで、あなたの人生を歩いていいんだよ」
「だいじょうぶ。
あなたはあなたの人生に、いつだって間に合うから」





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